2008年11月19日水曜日

2008年11月17日月曜日

あああああああああああ

聳え立つ父性に対する劣等や憎悪に永遠に悩まされる事に苛立つ事だけは一人前の若造が、知識に付着してくる父性に反発するあまりに、無知で居ることを選ぶというのは、それがまだ、本当に若く、青年とも呼ぶ事のできない人間であるなら、無意識にそれを選び、むしろ、無知であり、無意識で居る事を誇る事も許されるだろうが、つまり、弟がかろうじてまだ、そうした精神のなかで今、映画に立ち向かっている事に、たとえば映画の系譜的なオマージョの故意の結晶のような由緒正しい映画が、まるで映画の一切を知らずに撮られた無意識の奇跡的な結晶のような映画に永遠に太刀打ちできないように、映画に向けられる弟の無知なる視線の純粋さにはもう、僕は勝つ事など永遠にできないだろう、映画の粘膜に知識の種着けをしでかして友達と喋りまくるあの大学生風情の眼鏡くそ男子のように映画を観終えたあとのあの甘く苦しく切ない恐ろしい余韻のなかで映画と駆け落ちる時間させ忘却しているような若造共とはまったく領域の違うなにかで立ち向かっている、ほとんど裸で映画と向き合っている弟が、そうした輩の賛美騒音に劣等感を感じて、自らの姿勢を映画への冒涜だとか自分は映画を観てはいけない人間なのではないかと考えを巡らせてしまう事に怒りを覚える、むしろ、弟と映画の、その聖なる関係についてだけは誰にも何も言わせたくはないし、弟の映画への愛だけはどんな横暴的で鬼畜な手段をもってしても守ってあげたいと思う、弟がほとんど、ガキのように、精神を持ち得ない赤子のように映画を観ていたとして、映画が弟に授けた衝撃や感動に見合うだけの言葉を語る事が出来ない事に、いったい誰が、その事を咎め、それが間違いだなんて言えるだろうか、映画を愛すると自供する人間は映画そのものだけではあきたらず、映画を観ている人間にまで批評の液体をバラまいてくる、映画を観終えた後のあの学識的な答え合わせの時間が大嫌いだ、映画が映す水面に映画は私の恋人だと顔中に刻んでいるような優秀な小僧どもは100の意味を見出すことができるのかも知れない、奇跡のようにひとつの画面に結晶したものを解剖するように、その癒着を切り剥がすように、物語へと、意味へと、血の系譜へと、とてもお利口に分類してゆくだろう、それは映画史にとってもっとも重要な証言なのかもしれない、その横で映画という巨大な生命をまえに馬鹿の子にもみたない力でしか立ち向かうことができなかった弟がなにかただひとつでも意味を見出してくれたのなら、そんなにうれしい事はおれはないんだ、映画がその両者の優越を裁こうとするだろうか、映画がその両者を選ぶ事ができるだろうか、弟は衝撃のあまりの混乱と同時に愛しているが故の無言でしか返事をしない、それは完全な敗北だ、自らのなにをもってしても打ち勝つことのできない程の感激を生命の歓喜を映画に見出した瞬間だ、弟は完全に映画に敗北している、まずは、そこからすべてははじまるのだ、完全な敗北を味わったものでしか映画は見えない、観る事はできたとしても見る事はできないだろう、それでも、弟の完全なる無言に苛立つのは、きっと、その聖なる無言の領域にもはや自分が許されてはいない事への嫉妬だろう、自分がこのまま、尊敬する評論家の映画溺愛器官のその視点の出来損ない複製を移植してゆくかのように、彼らを消え入る寸前迄薄めたような言葉や眼差しでしか映画と抱き合えないのなら、そんな不幸な事はない、映画のアソコは見えたか?、あれはどこの引用だ?、そうやって瞳をギラツカセ語るのか、なぜ、子供は黙る事でしか父親に勝つ事ができないのだろう、あらゆる父性を帯びる先人の知識や情報に反抗し楯突く事を弟に進める訳ではない、あんな映画たちを立て続けに観てしまったにもかかわらず永遠に赤子のように言葉を封じ無知である事を許すんじゃない、ただ、絶対に、映画を犯すなと、映画に侵されるのはいいが、映画を犯すなと、そうただ願っている、映画になにかを感じている、ただその事実だけが尊い、書を捨て街に出よ、そんな下らない言葉ってあるか、なにもかも道連れに一緒に街に出ればいい、映画を観る事はそのまま身体をその重い腰を上げる事に繋がっている、映画館は街のなかにあるのだ、部屋のなかにあるんじゃない、映画館には人々がいる、映画館は街にある、街に、。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。それでも、僕は映画を一緒に観終えた弟にこう言ってしまう、どう思った?、そして、弟が殺気だけで返事をする時、どんな知識に裏付けされた賛美よりも強いものを僕は感じてもうなにも聞く事ができなくなる。僕は映画そのものも知りたいが、弟を魅了する映画というもののその正体を知りたいのだ。何年間も思い続け探し続けた女の住む街で男が行きずりの女と寝た時、僕は安心した、心の底から、安心したのだ、そして、安心した事に絶望した、弟はきっと、男の行為に心底失望しただろう、僕は、それを間違ってるだなんて言えないんだ、ただ、羨ましいと思う、眩しいだけだ。女の子を愛する事も、映画も見る事も、もう、あの純粋さのなかでは僕には立ち会えない事はわかってる。せめて、その苦しみだけは忘れてしまわないように居たい、僕は意識を持ってしまった、僕は言葉を吐いてしまった、僕は年を取ってしまった、僕は必死でしがみつくだけだ、居ちゃいけないところで、観てはいけないもの観て、しがみついているだけだ。

2008年11月11日火曜日

田中れいな - Reina Tanaka



11/11 勃起くんラフ原(扉絵) れいなちゃんの巻

作画者 フルボッキ&ディナーショー

れいなちゃん 画 ディナーショー
勃起くん 画 れいなちゃんの服アクセ加筆 フルボッキ

田中れいな - Reina Tanaka









自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!