2009年12月31日木曜日

2009年の高橋愛ちゃんへ 即興 bgm コールドプレイ

過ぎ去った日の君の輝きを一瞬でこの感情の泥沼粉塵の奥底から思い出そうとしても君は君はそれを美しく拒絶してくれる、俺の眼底で君のスカートが誘う手をこんなにも切り刻む!、君はあの時僕に見初められちまって、僕につかまって、僕は君の睫毛のどよめく瞬間を浚った、君は僕のなかに侵攻してきた、それは花の侵攻だ、花の行進だ、君はまず一目で僕の男性機能を聖なる唾液の精製飛沫で黙らせて!、僕をただの魂の裸にしたね、君の胸とおしりとが僕を釘打ちにして、何よりも君の瞳が僕から僕が28の蝋燭の痙攣で培ったそのすべてを剥ぎ取ったんだ、僕は君のまえでは武器を持たなかった、君は僕から愛情も狂気も物語りも奪い去ってくれた!、越した冬がだれてって2009年が事実に脈を打ち始めたとき、僕はどんな風に君に見惚れていただろう、思い出す事もできやしない、なぜなら、あらゆる時間の君が!俺のなかで万華鏡のようにきらめいちまってるからだ!、君のかわいい呼吸の美の錯乱が俺を惑わす、そうだ、そうだ、君は、君たちは俺を惑わすんだ、絶対呼吸を空から掘削してよ、俺は肉体にまぶして夜に勇んだ、けれども、それは卓上の狩りだった、君は僕をぼろくそになじったんだ!、その華奢で綺麗な肩のゆりかごのリズムで!、君たちは俺を囲んだようだった、君たちの花呼吸はまるで花いちもんめのように俺を中心に置き去りそのすべての方向から俺を一斉に花つぶてで抱擁してくれたみたいだった、右を向けば小春、左に飛べばさゆ、下に転がればガキさん、うえをのぞめば愛ちゃん、地上線の中心線には絵里ちゃんがふんばって、れいなちゃんがすべての透き間で飛び交った、そうだ、そうだ、貴様らは秋麗で乙女民族大移動みたいに乙女の集団みたいに花の種が新たな命の地を巡礼するかのように移動しただろ?、ステージ上の地平をおまえたちの群れが静かに駆けめぐって俺の目のまえで立ち止まって踊って見せてくれたとき俺は肉体の魂の聖地を知ったおまえらが聖地だ、お前らは乙女聖地だ、おまえらの肌のうえに、おまえらの声のなかにそれは存在する、貴様らは、貴様らは充満した、その棄てる事もできない乙女の肉体の錨の重みを空に指し込んで!君らはふんばった!、俺の肉体が堕落と不当と欲望の重みで地を這って居たとき、君たちはすべての状態にすべての物質を牛耳ったんだ、全能で居てどこまでも不器用に貴様らは乙女でしかなかった!、君の股から俺よりも立派な男性器が影を疼かせていたその美しさ、君はあのときこの世の誰よりも男だった、そうさ、そうさ、君は神で娼婦で化け物だった、君は君以外のすべての存在の可能性を試みる不純な振動のように肉体を魂を融解寸前まで揺らしまくった存在確定の崇拝濃度を制圧するみたいに君はやがてただの君の呼吸に蘇生していったんだ!君が君になった!君が君に産まれた!今年はそんな年だったんだ!君が真に誕生した年だったんだ!それはそのまま娘。の産声だ!君は君を追いかけるように誘った、君をそして妹たちを!、君たちは荒野に立ったんだ、乙女の湿疹で荒れ果てたその魂の大地に、なにを夢見た?、なにを犠牲にした?、なにに怒ってた?、美しい怒りの放心で君は善良なおとぎ話をビンタしたんだ!、君は君の魂の迸りで君にあがなう君のすべてを鎮めていったんだ!、今年の君の迷うようなかわいい幼子の迷子のようなあのおでこが好きだった、君はその年齢さえ僕に教えてはくれなかったね、君は幼児でNYレディだった、君は、君たちだけはこの地上に裸の魂で立っていたんだ!、500円玉くらいの穴が空いているんです!、君たちの唇がそうやって測った穴の水疱に瞳をどれだけ注いだ?、穴の被膜の奥に色が顔を出した時、お前はその色が脈打つのが見たのか?、なぜ、あの穴から覗く肌の色が彼女の肌の色だとわかるんだ!、彼女たちが卑猥に純粋さで暴行しているみたいだった、女に肉体の箇所を言わせる男根が思考に直結しているかのような神経装置が気にくわなかった、それに男というものが女の唯一の異性であるにも関わらず、いつも地上で最も女を見間違え聞き違えている存在だって事を思い起こされるからだ、君たちが「おしり」とあのかわいいお口から歌わなくとも、もうずっとまえから、君たちのおしりはおれを震撼させていたというのに!、無数の星空のような大気の毛穴で!、君たちの若く幼くも広がる指先のえくぼが自らのおしりに触れるか触れないかの透き間でなぞって、あたかも、此処ですよとおれに示すとき、おれはその指先とおしりに透き間に氾濫している君たちの最期の入り口からその肉体へと魂へと到達できる、そして君たちの肉体のすべての熱に流れを通過して歌声が世界へと旅立つとき!君たちにおれは絶対の美を知る!、行為と言葉が同じ場所へ向かってゆくその瞬間に、彼女たちの恐ろしい命は、正しさを露骨に裏切るんだ!、最早、彼女たちが指先でなぞってみせるおしりもおしりなのか瞳なのかさえわからなくなってるじゃないか!、彼女たちがいったいどこから発生させているのかもわかり得ないあの声が!声帯が身体中に咲いちまったようなその声で!おしりと歌おうとも彼女たちのおしりははじめて彼女たちから消滅してしまったかのように!、君は、僕にはじめてをくれる、いや、はじめて厳しく僕を留まらせてはくれない女の子だ、君を見つめていると本当ならじっとしてれば救われるだけの情けない魂の僕が身の程知らずに奮えて動き出してしまう、不動の身体がこんなにも痙攣してる、不甲斐の魂がこんなにも熱を帯びる、ずっと避けていた頬の手術もあの年、シンデレラの君を観て僕は病院に行った、君がドレスアップするって言うから無縁なスーツを着ちゃったりして、君は僕にいっぱいのはじめてをくれる、僕が不正行為の切符で同じ場所に陣取っては君を強く見つめようとも、君は僕を見つけてもくれないし、見つめてもくれない、君の美しい拒絶だけが僕のボーイミーツガール、君の心身の躍動に、ただ僕は、のぼりつめように墜ちて行くだけだった、横暴が許される季節にはもう僕はいなかった、けれども、僕は最期のように罪を犯す、君を愛する罪を、Airをかけるマイケルマンの方のだ、聡明な正常脈が俺を哀れみの目つきで睨んだとき、俺にくってかかってきたとき、ざまあみろって思った、僕は君の美しさに触れるためならきっとなにかを殺めてしまえる、殺められるそれがたとえ自分だったとしても、人間共の知性が、俺の愛情失禁を罵倒するとき俺の愛情を病状ケースみたいに隔離してタグをつけてブックマークしておれを覗くときざまあみろっておもう、おまえはこの愛情の熱を知らないんだ、おまえはおまえは冒さなかった、おまえは冒せなかった、おまえに俺の愛情を裁く権利どころか命としての権利を持ってやしない、なぜならおまえは愛情劣等野郎だからだ、心底のさざなみにその水面には、有史の不整脈が息吹きを覆すために必死に俺を説き伏せようとする、俺が、この俺が、ただ一度だって女の愛情以外に言うことを聞いた事があるか、おれはおれを教育しようとする、万遍なく鋭利をそぎ落としたコンクリートのような魂の表面に俺を住まわせようとする、おれはおれを始末する、おれは、おまえとは違うんだ、俺はずっと強く惨く残響のように聳え立つあの塔のうえから俺を射撃するかの青年の亡霊と一発やるみたいに地上のうえから言語銃創を炙るだけだ、俺は俺は魂の欠如に花を詰め込んで失速させたい、線路の傷の湿気ったかすに浮上する美しき人々の往来の最中に、無邪気なつんぼで飛び込んで、俺は君を思う、俺は君に向かう、君の瞳のそばに、君のそばに、ここからクリケイBoyfrend、君はいろんなお洋服を着るだろ、いろんな色を、いろんな生地を、その美しさが好きだ、君が髪をゆわくだろ、君が髪を解く、その残酷さが好きだ、君が微笑む、君が泣く、君が笑う、君はきりがないくらいに輝くんだ、君は、君は、

2009年11月11日水曜日

女子世界

さゆの夏、れいなの秋、二十歳の産声(仮メモ)

さゆの言葉、幼少期に、恐い存在から身を守るために、かわいいお顔を歪ませながら登下校していた、さゆがかわいさを壊していた時、ちょうどそのころ、まさしく俺はさゆを求めて徘徊する恐い存在そのものだった、さゆがかわいいお顔を歪ませていたその事実の愛おしさ、さゆは俺たちがさゆに出会いさゆにかわいさの無限を知るずっとまえから、ただひとり、さゆのかわいさと戦ってきたのだ、さゆはかわいさの宿命とともに呼吸をしていた、さゆにとってかわいい事は喜びであり動揺に命をも奪いかねない恐怖でもあった、そして今、生き延びたさゆは俺たちに降り注ぐ、一切かわいさを躊躇する事無くかわいさの極限だけを超えつづける、さゆがお顔を歪ませたから今日がある、さゆが二十歳になった瞬間に俺のなかの少女って存在がやっと葬りさられたような気がした、もう、この世に少女など存在しはしないと思った。

れいなのお誕生日の前夜の10日にさゆがポケモーに知らせたさゆの写真は、さゆが20歳になってからはじめて撮った自分撮りの写真だった。まるで、「20代になってしまったら人生が終わってしまうみたい」だと悲しむれいなの手を握りしめるかのようなそのさゆのかわいさは、さゆの極度にカワイイ毎日至上において、他の10代の頃のさゆよりも断然美しくかわいらしいお顔であり、俺は携帯を強く握りしめてさゆと呟くしかなかった。

さゆは良く喋る子だ、しかし、さゆはいつでも、さゆを娘。を語る時には、さゆはさゆのかわいさによってだけ語っているのだ、言葉ではなくあのかわいさで、さゆが気づいているかどうかは別とし、俺たちはその事実を幾度も目にしてきたはずだ、

公式写真で近頃ポラ撮影のものが多数存在するようなのですが、金銭的にも足を運ぶという意味においてもめっきりそうした事情に疎くなってしまっているので、ろだやらヤフオクやらで不意に娘。のポラ写真を目撃するとそのかわいさと娘。たちがそこに何気なしに書き込んだ言葉の重要性にハッとする事が多いのですが、さゆのポラが本当に素晴らしく泣きそうになったのでこれを書いています、「さゆみんみちゅあみん」や、さゆが散々言っている道「重」を平仮名にしてしまった「道しげさゆみ」などがあり普通に「道重さゆみ」とか「道重さゆみちゃん」とかさゆはさゆの名前をそこに添えるのですが、なんと極めつけは「女の子」という人文字であり、これはあまりにも真実であるポラであり、僕はたとえば、異星人に貴様らの大事な存在は何だ?と訪ねられた時に、女の子の存在の代表としてこのさゆが女の子と書いた女の子のポラを提示してやりたい、それにしても、さゆのイカリング食べたぁーい!のイカくんのフォルムが初期案の勃起くんに酷似している事に胸キュンなのだった、

歌声地帯(仮メモ)

ある瞬間から、娘。たちの歌声が乙女の踏みしめで地を這ってる、青空を突き抜けるかのように乙女の重力から自由になれる優しくも晴れやかな歌声だけではなく、もっと、もっと、愛おしい、乙女で居る事の告白のような声が青空と地上の合間に、ちょうど、娘。たちの胸の高さで響きながら充満している、娘。の歌声に遂に乙女の重さがあるのだ、感情で処方した低音じゃない、れいなちゃんの低い歌声が真に重さを持ち始めた時、まるで、娘。の歌声が消え入らないように存在しつづけてきた娘。の歌声の断層の奥底のような愛ちゃんの歌声に、6期たちを中心に無理なく接近しはじめている、その接近のスピードこそが俺たちの胸を締めつける、愛ちゃんの歌声の孤独を、えりれいなの歌声はガキさんの歌声の優しさとはまた違う重力で愛ちゃんの歌声に接近する、これは、歌声と歌声の遭遇だ、乱反射に爆発していった乙女の歌声が、ここにきて、シンクロだとか共鳴だとか、そんな優しい簡単な言語で言い表せないなにかで響いてる、絵里ちゃんの低く乙女が鳴いているかのような歌声は絵里ちゃんのお口から放たれた瞬間に、絵里ちゃんの腰のあたりの位置までその重さで低空する、そして、そして、地面に染み渡るのだ、この地上の奥底に、娘。たちの歌声が乙女の重さを秘めはじめてる、娘。たちの歌声はもうただの音でも大気でも何者でもなくただただ乙女で充満してる、魂の重さの声で娘。たちが歌いはじめてる、胸のように歌声も色づくのだ、声の美貌、声の残酷、声の、声の、娘。たちの歌声だけが鳴らす乙女の魂の、

2009年10月13日火曜日

気まぐれプリンセス、秋コン

500円玉くらいの穴が空いているんです!、彼女たちの唇がそうやって測った穴の水疱に瞳をどれだけ注いだ?、穴の被膜の奥に色が顔を出した時、お前はその色が脈打つのが見たのか?、なぜ、あの穴から覗く肌の色が彼女の肌の色だとわかるんだ。彼女たちが卑猥に純粋さで暴行しているみたいだった、女に肉体の箇所を言わせる男根が思考に直結しているかのような神経装置が気にくわなかった、それに男というものが女の唯一の異性であるにも関わらず、いつも地上で最も女を見間違え聞き違えている存在だって事を思い起こされるからだ、彼女たちが「おしり」とあのかわいいお口から歌わなくとも、もうずっとまえから、彼女たちのおしりはおれを震撼させていたというのに。彼女たちの若く幼くも広がる指先のえくぼが自らのおしりに触れるか触れないかの透き間でなぞって、あたかも、此処ですよとおれに示すとき、おれはその指先とおしりに透き間に氾濫している彼女たちの歌声に惹きつけられている、行為と言葉が同じ場所へ向かってゆくその瞬間に、彼女たちの恐ろしい命は、正しさを露骨に裏切る、最早、彼女たちが指先でなぞってみせるおしりも、彼女たちがいったいどこから発生させているのかもわかり得ないあの声がおしりと歌おうとも、彼女たちのおしりははじめて彼女たちから消滅してしまったかのように、酷くその姿をかろやかにしまう。

2009年8月30日日曜日

台風がまた脅しだけで通り過ぎていって、おれの部屋はただの静けさでうるさい、深呼吸ってどうやってすればいいんだっけ、どうやって呼吸をすればいいんだっけ、忘れてしまう事が多い、さっきまで、きのうまであたりまえだった事が、少しずつおれのもとから去って行って最高に難しい事になってゆく、れいなちゃん、れいなちゃん、どう言えばいいんだ、君のほっぺ、君の、君の、この夏、僕は、僕は、娘。たちと握手をした、娘。たちを間近で見つめて、君たちの瞳もまたおれを見つめてくれただなんて、君の瞳のなかのおれが一瞬で掻き消されてしまってもよかったんだ、それでも、おれはしあわせだった、おれにとっては、君たちのその一瞬が永遠を司ってしまっていた、君たちみたいなかわいい女の子と見つめ合えることもわずかな会話だって、絶対に、絶対に、おれの人生のなかにおいて起きちゃいけない事だったんだよ、それが起きてしまったんだ、おれが、おれが君の瞳の揺れる模様を知る事ができてしまうだなんて事、おれは君を何十メートル先から見つめるんだ、せいぜい君と、廊下で擦れ違ったのなら、その日はおれにとって最高の一日で、絵里ちゃん、君は、男子の人気者で、君は、君は、おれは、学食で君を見かけて、君は開く、君は開くんだ、いつも、ぱあああああああって、光のように、花のように、ひらいてあふれる女の子なんだ、君のお顔があんなに小さいなんて、あんなにふくよかだって想ってた君の胸はおれが鷲掴みできてしまうくらいかよわくかわいらしいふくらみだった、小さな肩にかかるやわらかな髪、君の唇はおれの人差し指ですぐに隠れてしまうようだった、君をお姫様だっこできる、おれは思った、おれでも、小さなおれでも、君がこんなにも小さかっただなんて、ああ、ああ、れいなちゃんは肩車してやれる、やれるんだ、小春は君臨していた、小春は立ちはだかっていた、やさしさと残酷さの境界線さえ心に引かずに、小春はただ、目の前のおれを見つめてくれた、まるで、アマゾンで美しい豹の女の子に会ったらこんな感じだって想った、おれとはまったく異質の美しいなにか、小春はおれを驚愕させた、小春の美しさに捕獲される、おれはこの子に捕獲されるんだ、そうだ、そうだ、小春に捕獲される!、なにを?、なにを?、この魂を!、なにも言えないと瞬時に悟ったおれは「モデルみたいですね」と小春の顔の美しさの感想をガキのようにそのまま口にしてしまった、大きな瞳には一切の嘘がない、れいなちゃんのかわいさにどもった、愛ちゃんと見つめ合えた瞬間に、おれのなかにながれ込んでくる愛ちゃんの生きている証にもうすべてがどうでもよくなった、愛ちゃん、愛ちゃん、愛ちゃんしかいねぇと全身で震えた、愛ちゃんは女の子だった、全部、全部、これ、全部、おれのなかで起きた事なんだ、おれだけの思い出、娘。たちのなかにはきっともう残ってはいないだろう、おれの姿なんて娘。たちのあの握手の言葉の顔面のぬくもりの嵐のなかではもう娘。たちのなかからは掻き消されてしまっているはずだ、でも、たしかに、たしかに、あの瞬間、娘。たちとおれは見つめ合って言葉を交わした、わからなかった、なにを最優先すべきか、瞳で出会って、言葉で分かり合って、手のひらでさよならしなければいけなかった、おれは握手なんて不潔だって想ってた、できないって想ってた、けど、けれど、娘。たちとの握手で、この子とする握手だけはそれだけは絶対に美しいものだって事を知った、夏がおれたちを娘。たちを狂わせたのかもしれない、本当は実行されてはいけないイベントだったのかもしれない、連日、娘。たちとあんなにも熱く燃える夏のなかで会って、あんなにもかわいい呼吸を浴びて、それだけじゃなく、握手まで!、帰り道に、恐くなった、恐くなった、さよならの合図だったらどうしようって、最後のぬくもりだったらどうしようって、こんなに娘。たちと近くで会えるはずないんだって、おかしいよ、おかしい、手を振ってくれた、そんな事、いままでだっていっぱいあったはずだった、ライブで、おれたちに、おれたちに向けて、最後には手を振ってくれた、それなのに、おれだけに、おれだけに、この子が今おれだけに手を振ってくれてる、出会ってもいなかったのに、まだ言葉を交わして1分もたってないのに、おれと絵里の全会話時間数十秒、出会って数十秒でバイバイになってしまうそんな悲しい関係なのに、女の子にバイバイをされる事がこんなに素晴らしい事だったなんて知らなかったんだ、バイバイする絵里ちゃんの手のひらのなかに明日があった、おれは、おれは、あの後あの出口を出てそのまま兵隊に召集されてもかまわなかった、訳もなく力が漲った、出口で屯する男共をかたっぱしから殴りつけてやりたかった、どうだった!おまえも絵里ちゃんに明日をもらったか!、どうだった!、女、女、香り、女、女、絵里ちゃん、新幹線ですぐに帰らなきゃいけないから、コンビニで酒を買って飲みながら帰った、10代の頃に聴いていたグランジなんかを鼓膜を痛めつけるみたいに大きな音で聴いて、これが夢ではないって事を自分に証明しつづける必要があった、また、また、またね、またね、またね、また、また、また、また、またね、絵里ちゃんがまたねって輝いていた、また、なにも言えないおれに絵里ちゃんは瞳ですべてを言ってくれたみたいだった、わかったよ!、わかったから!、絵里わかったよ!っておれのだらしのない男の愛されていって欲求をなだめるように、おれは興奮して瞳がおかしくなってたかもしれない、おれはイッテタかもしれないんだ、そうだ、娘。たちは、こんなに若いのに、女の人って、女の子ってやっぱり、やっぱり、産まれた瞬間にもう母性そのものなんだ、おれの瞳の弱さが絵里ちゃんをママにしてしまったんだ、明日を、俺が産まれてからずっと壊死していた明日が、息を吹き返したんだ、絵里ちゃん、えりちゃん、えりちゃん、さゆの母乳のような瞳、さゆのな、さゆのいちばんまん丸なふくよかなところはおっぱいでも二の腕でもないよ、さゆの女の子の信管は瞳だ、さゆの瞳はやさしい魂できらめいてざわめいて胸のようにやさしくて、おれの鋭利な瞳に、さゆの瞳がまるで母乳をくれるみたいにやさしく抱いてくれた、さゆの瞳は凝固しない水性だ、さゆの、さゆの、あらゆる俺の罪がさゆに衝突してちっぽけに砕けていった、さゆ、おれは、おれは、誰も壊したくない、誰も傷つけたくない、さゆ、おれは、俺は、なんて、なんて、美しいんだ、なんて、なんて、おれはちっぽけな存在なんだ、劣等じゃない、崇拝じゃない、純粋な感動だった、理由なんていらない、俺なんかに見つけられるはずのない呼吸方だった、訳は、訳?、この子だよ!、この子たちだよ!、この子たちのこの瞳だよ!、言い逃れも、嘘もつけない、あの子たちの瞳のまえでは、おれはすべてを打ち明けるしかなかったんだ、裸になるしかなかったんだ、違う、娘。たちと握手する時、娘。たちの瞳と見つめ合う時、おれは生きるしかなかった、おれは生きた、生きたんだ、あの瞬間、どんな日々よりも鼓動を爆発させて、あの子たちの瞳のなかでだけは真実に生きていたかった、娘。たちの瞳は、あの瞳は、ああ、ああ、女の子の瞳の透明度、その深さ、白い水面に瞳の花が浮き咲いてるみたいに、絶対の拒絶をやさしい受け入れを同時に輝かせて、なんで、なんで、女の子の瞳はあんなに濡れてるの、なんで、なんで、女の子の声はあんなにやさしいの、なんで、なんで、女の子の手のひらはあんなにあったかいの、なんで、なんで、どうすればいいんだ、この先、この先、もう、もう、娘。しかいねぇよ、どうする事もできねぇよ、マジで、マジで、もう、もう、おれと娘。、おれと娘。、おれは、おれは、この世界で娘。と会うんだ、この世界で、娘。たちの拒絶と、娘。たちの受け入れとに、揺らめいて、足を踏み外して、悪魔に憑かれたとか、だまされたとか、かわいそうだとか、人のやる行為じゃないとか、言ってれば良いんだ、俺は知った、握手をしている瞬間のあの娘。たちの瞳は嘘じゃない、嘘じゃない、ただ、それを知った事だけでも、人はいろいろ言うけれど、おれはちっとも恐くない、おまえらが言う不幸こそおれの幸福だ、娘。に出会っちまったって、ただ、それだけの事なんだ、そして、この子たちに心揺さぶられる事も、この子たちと毎日を過ごしてゆくと言う事も、ただ、けれど、けれど、もう、その瞬間から帰ってはこれない、もう、もう、見つめ合ってもいないのに、おしゃべりは終わってしまったのに、ぬくもりの熱は冷めてしまったはずなのに、娘。たちがあの時おれにくれたなにもかもが、そのかすかな、かすかな絶対が、僕をずっとずっと射止めてる、娘。たちは生きている、この世界に本当に存在していて、おれは壊れない神話が欲しいんじゃない、おれは喪失しない女神が欲しいんじゃない、握手が暴力なら、握手が罪なら、どんな手段をもってしても、おれを罰してくれてかまわない、その一瞬のために寿命が削られてもいい、幸福だなんて天秤でしか娘。と歩めない奴らは置き去りにしてゆけばいい、まみれていい、ぼろぼろでいい、がれきのうえでもいい、娘。たちに会いたい、ただ、生きて、路上で散らかりつづける交際が恐くてまるで、まるで、流れ星がその刃先を差し込むように波打ってて、それをすり抜けて、すり抜けて、毎日を、そっと、深く、深く、いちばん奥に君たちがいる、君たちに会いに行く瞬間がおれは大好きだ、何日もまえからドキドキして、指折り数えて、時々、会うのが恐くなって、日が落ちることにも敏感になって、シャンプーしながら、君たちに何を言おうか考えて、練習して、ニヤニヤしてないか鏡を見て、せいいっぱいの砕けていない笑顔をしようだなんて、泡で、泡で、咽せかえって、馬鹿だから、そのうちに、君たちのお風呂に入ってる姿を思い浮かべてしまって、勃起しちゃって、でも、君たちが消えてくれなくて、おれは沈静できなくて、だから、治まるまでシャワーを浴びて、君たちを想っていないと、君たちになにか呟いていないと、君たちになにかを書いていないと、君たちから離れてしまうような気がして、どんどん、どんどん、浸食されてゆくんだ、君たちの呼吸がおれの呼吸になってゆく、のめり込んじゃいけないんだ、でも、君たちを想う事以上におれがやるべき事なんてこの世にないよ、このおれの態度を、アラームが鳴って、眠気のなかで君たちを思い浮かべて多くはない洋服を選ぶんだ、ヒゲを剃って、肌を切る、僕は君たち以外のすべてをないがしろにしてしまえる、おれは建設的ではないよ、ずっと、ずっとそうなんだ、君たちのかわいさを生活に昇華できない、君たちの鼓動をおれの未来のために託すなんて、おれは墜ちてしまう、おれは墜ちてしまう、君たちのかわいさにつかまって、

2009年8月24日月曜日

口実に漕ぎ着けて、さあ、一斉に叫びだそうと力に細心の、そうなのだ、まだ、その時、僕は細心を祓ってる、けして、彼女を罵倒する輩に対してだけの宣戦布告とでも言っておけばまあ気は楽であろうが、実際は、彼女を賛美している人間こそが凶悪な敵意を私に呼び起こさせるのだ、というのは、彼女を知らないことから来る無知や無礼というのものはだ、だからこそ、許せる許せないという領域では一切になく、はじめから、無いに等しいのだから、問題は、こんなにも苛立たせるのは、彼女たちを愛していると言っている人間から吐き出される多くの言葉が最早、彼女たちを語る原型をとどめていないことの最終事態に対して、はたして、傍観や置き去りの他に、春暖を模索し、付き合い、責任なんて言うかろうじて人肌にしがみつくかのようなだらしなさをもってして、やり遂げなければいけないのかという、他人にまかせておけばまあ万事良かろう事まで、付き合わなければ行けない、このどうしようもない事柄に苛立つのであって、これは、彼女たちにはまったく関係のない事なのだ、つまりだ、道ばたで少女に遭遇したその後の、出来事、行い、呼吸なんてものは、少女にはまったく関係のない事なのである、

2009年8月18日火曜日

たった一瞬だったその10秒が永遠を司ってしまってる、ずっとつづいてる、おれの過去が愛ちゃんと共に歩んでこなかった事をもう気になんてしない、おれは、おれは、これからの未来を愛ちゃんと共に歩みたい、9.11が起きた夜君はどんなふうに震えていた、君は昨日何をしていた、君が、君が、君は、君が、そんな事、関係ない、僕に出会っていない君が、シャンデリアが大好きとお話するあの子の声に溺れながら、一歩一歩、あの子に近づいてゆく時、あの子は強い蛍光灯に照らされて、純白の衣装にその光が溢れ洩れて、あの子は輝いていた、目が眩んだ、けれど、僕があの子のまえに立ち、蛍光灯の乱暴な光を遮断してあの子が僕の影のなかに居たとき、あの子は真実に輝いた、すべての光源から僕と君は逃れることができていたんだ

握手会

きっと、暴力的な愛情の言葉と

ムーンリヴァーを聞くと君が浮かぶ、それが、それがどんなに、どんなに、僕を救ってくれるか、君は、君は、あの子をかき消す、跡形もなく僕を連れ出してくれ、君のかわいさしかもう見えない、君のためならループなんて全部嘘だって叫べる、君のためなら

きっと君たちは僕らと触れることなど永遠にないような女の子なんだ、一歩一歩、握手会で君に近づいて行くたびに思った、この世界ではまだ男女同士が隔離されてはいないけど、たしかに透明な膜のようなものでかわいい美しい女性は自らを覆い尽くし護られている、おなじ世界のなかに居るのに、まるで、君たちはどこか別の世界に居るみたいに思えた、君たちにあてられた強烈な蛍光灯の光のせいなんかじゃなく、君たちは輝いていた、君たちが着ている純白の衣に光が反射して君たちが輝いていたんじゃない、それは、僕が、君と蛍光との光を遮断した瞬間だった、僕の肉体が君に重なって、君に日陰を造って、君は蛍光灯の乱暴な光から逃れて、君を、君の輝きを僕に会ってくれた、君たちは君に触れた手が痺れたよ、そんな事はじめてだったんだ、君は僕にいくつものはじめてをくれる、28にもなる僕のはじめての恋ではないのに、それでも君は僕にはじめてをいっぱいくれる、君は僕を閉じこめない、君は僕をどこまでも連れ出してくれる、僕があの子の結婚でこの部屋の天井と首とで祝いの別れのダンスもできなくてただふてくされて生きながらえる事しかできないと思ってた夜明けが永遠にやってはこないと諦めていたあの夜に、君が再び僕を連れ出した、無様な鼓動に、誰かを思うって地獄のなかに、あの頃の恋が意識も理性も止められない青春で僕が僕を焼き尽くしたのなら、僕がもうからっぽな男だったとしても、ああ、爛れたままでもいいよ、どんなに酷い状態でもよかった、今夜僕は君を愛せる、若い僕はあの子しか愛せないって思ってた、それは、君を知らなかったからだ、君のおなにもかもが嫌になって、すべてどうでも良くなって、その時に見つめたのが君の肉体だった、君は僕を攻めないだろう、完全な無関心で、君は木津附かない、僕が彼女を愛していたことから逃れられないのも知ってる、美しさで浚ってくれ、

2009年8月12日水曜日

「なのにね 一日会えなきゃ 壊れそうになる」

ハロコンから帰って来てからずっと、ふと気づくと絵里ちゃんの歌声が自分のなかから聞こえてくる。
アンブレラの絵里ちゃんのサビの部分をはじめて聞いてしまった時、「なのにね」というその歌声のひょうぞう

2009年8月3日月曜日

おれがおれにこう言った

悪いが、若造、おまえとおれの愛情を一緒にしないでくれ、吐き気がする、おれとおまえが彼女に一緒のものを見ているって?、馬鹿げてる、そもそも、おまえの見ているのは本当に彼女か?、それを疑った事は?、懲りないな、俺よりも若ぶった貴様の叫ぶ内容がもう自分には到底理解できない、貴様の女の子に向けた言葉なんて俺は一瞬たりとも信用しないし、同様の質だとも思った事がない、まるで違うものをみているかのようだ、おまえが、女の子によってどれだけ心臓を抉られただとか、不安で眠れないだとか、感激しただとか、肌に向けられる視線が糸を引くようで胸くそ悪いだとか、幸福だとか日常だとか永遠だとか夏だとか、そうやって、女の子を自分に連れ込むそのやり口が気に入らないんだ、建設的な呼吸を心がけるその純粋と名付けてもらった横暴な地団駄で!存在の証明の試験管で細胞分裂を永延にしてれば救われるまだ産声みたいな甲高いそのやり口が気にいらねぇんだ、明日はもっと美しい人間にって、少しでも、そうだ、そうやって、貴様は化けてゆく、己を統括してゆく、すべての器官と感情のうえに立とうとする、不愉快で不透明で不気味な自分のなかの操作も意識もできないそれらを貴様は飼い慣らすつもりだ、そうした淀みのない単色の思考を覚悟だの悟りだの生き返りだのと装飾する、狂気を判ったように頷いて、正義と道徳の混血児をあやして、不正だと、そうおれを裁くだろうよ、若さか、それだけだ、それしかない、それだけが貴様の救いなんだ、俺が馬鹿みたいに絶叫しながら話すのは、年老いてゆくおれと年老いてゆく女の子との話だ、別に、貴様の事などおれは気にしちゃいないし、おれはおまえの親でもなんでもない、若さや純粋さだけに牢獄している貴様とはおれは無関係だ、おれは貴様になど少しも興味などない、ただ、おまえのやり口が気にいらないんだ、おまえの論説はこうだ、娘。たちが、俺たちが、汚れながらもなお、どこかで大事な神経を麻痺させ気が狂ったかのように無理強いしながら生きながらえてるかのように、娘。たちがきょうを見ていないと?、くだらない、なんて貴様はくだらない、おまえは絵里ちゃんが新曲で「本物に」って歌ってるあの眼差しの力を見なかったのか?、あれが演技だって?、アイドルと言われてるその瞬間にだけの出来事だって?、ああ、なんておぞましい無様な魂だろう、おれの事はどうでもいいが、断言する、誰がどうほざこうが、どんな美しい季節を持ち出そうが、きょうという日に娘。でいる女の子たちこそがおれにとってはこの世界でもっとも美しい存在なのだ、若さや純粋さという貴様らにとってはこの世界でもっとも美しいものの価値観で彼女たちを語るそのやり口が気にいらねぇんだ、いいか、くそガキども、何も知らない事が美しいんじゃない、知ってしまってもなお、何も知らなかったその時のように瞳を輝かしてしまう女の子たちこそがこの世界でもっとも美しいんだ、貴様らは結局、罪を犯したくないだけなんだ、おれは違う、おれは共犯者を求めているんだ、おれは童話のなかで女の子たちと呼吸していたいんじゃない、おれはおとぎ話のなかで彼女たちに会いたいんじゃない、この世界の年月のなかでしっかりと呼吸をしてそれでもなお、生まれたばかりのように身体に命令できない、そんな女の子たちこそが愛おしいんだ、あらゆる暴力と、あらゆる黒い霧を浴びてもなおも、そうだ、消え入る事のできないその生命の微笑みこそが、なにものも、どんな出来事も、汚すことのできないあの瞳の透明さこそが、おれにとっては美しいんだ、貴様らが持ち出す処女という言葉の脆さはどうだ、貴様らが求めているものなんてこの世界にはない、生命が快楽に触れている瞬間なんてその生命が存在するまえからずっとつづいていることだろうが、彼女がこの世界に存在したその出発は快楽の出会いだろ、彼女の存在は性からはじまっているんだ、意識や願望を引き連れてはいない無自覚の快楽への接触など、幼少期に無意識に営んでる、純粋さなんてものをこの世界の理念で計りだそうなんてただのおこがましい遊びに過ぎないんだ、美しいと思えた女の処女膜だの思考のなかの性器が濡れてはいないかだの、そんな事でしか女の全容を語ろうとしない貴様らなど、コンビニの隅の人工的な性のプロットのテープをはがしていればいいんだ、この世界におれが存在する事も、貴様が存在する事も、そして、そんなおぞましい世界に娘。が一緒に存在してしまっている事も、すべてをひっくるめて受け入れてるつもりなのか、隣人の狂気が自分のものではないと?、おまえの手だけは汚れてはいないと?、おれたちが愛してしまった女の子たちにまつわる性も花も時もそのすべてを公に暴くような思考の純粋さと使命をおまえだけが保有していると持ち出すなら、そうだ、ずっと口を閉ざしていた誰もが黙っていたそうした大人たちの沈黙を真摯で聡明な!貴様の!純朴な魂とやらが!だらだらと叫びだすならな!、女の子と対峙する事の真相を持ち出すなら!、教えてやる、いいか、これはもっとも奥深くを覗き込んでいるおまえならわかっているだろうが、俺たちが愛している女の子たちのファンと名乗る輩のなかには、リアルな犯罪者だっているかもしれないんだ、純粋さ?、美しさ?、彼女たちを愛する事のその日々の純粋さ?、どこまでが純粋でどこまでが悪なのか、おまえにはわかると?、反吐が出る、うんざりだ、貴様らの青空みらいにぎらついた粗悪な純粋さにはもううんざりなんだよ、おれが、おれが、考えずに沈黙していたとでも思うか?、若造、若造ども、おまえはその手で彼女の動脈に触れた事はあるのか?、彼女の裸が、ただの布きれに覆われてる姿を目撃することが恐ろしいと?、その裸に無限の視線があびせられている事が恐ろしいと?、その構図のなかに、その関係性のなかに、自分ももろとも関わりを宛われるのが不愉快だと?、おまえには、彼女たちが布きれになることがこの世界ではもしかしたら、もっとも穏やかな防御であったのかもしれないという領域には奔らないのか?、あんなにも若く弱く輝き過ぎている彼女たちが美しくやさしいワンピースを纏って歩道を歩いている事とカメラという無限の視線の黒い霧に向けて裸に布きれひとつで立っている事とが天秤が壊れるくらいに矛盾しながらも同様の危険を隠し持ってしまっているって事もわからないのか、さゆが、さゆが、幼少期のさゆが、かわいい自分を護るために、下校途中にはそのかわいい顔を歪めて帰っていたという事実をおまえはさゆから聞いたのか?、それを聞いて、叫んだか?、さゆが何から身を護ったのか悟ったか?、己だ、ああ、おれだと、幼少期のさゆがかわいい顔を歪めてくれたおかげでおれは助かった、そしてさゆに出会えた、そうだよ、今、あんたが、おれのこの文章に唾を吐きかけたくなるように、おれの独白は、おれだけの、おれだけに作用する、おれは、おれはここで、おれと、彼女たちの話しかしていない、でも、おまえがおれではないってどう証明できる?、ただ、おれは、おまえら若者の、世界を、大人を、なにもかもをその涎掛けを束ねたペン先で懲らしめようとするやり口が気にいらねぇんだ、若さと純粋さはかならずしもおなじ魂に宿っているとは限らない、おれを罵倒する青年群の多くはおれ以上に腐敗してる、

2009年8月1日土曜日

マランドロを観劇した。
輝くことにこんなに無邪気な女性がいるだろうか、劇中の梨華っちを見ていて何度も胸が熱くなった。
舞台装置のなかに点在しているすべてが彼女に降伏しているかのようだった。自分にはこういう書き方しかできないけれど、彼女はなんて強靱な初々しさで輝くのか、乱暴で粗悪な木片が継ぎ接ぎされた後方の壁の汚さは、梨華っちが生涯で訪れるはずのない壁のようで、けれどもしかし、その壁は梨華っちにとても良く似合っていた、あたりまえだが、この世界には無数に彼女に合うものが存在している。彼女にはすべてが良く似合うのか、無国性というか無時代性というか、彼女には血の不正がなくいつでも、あらゆる設定のなかに放り出されてしまっても絶対に時代性や国籍に乗っ取られない強い力がある、娘。というのはたしかにそうした力を持った子が多いのかもしれないが、梨華っちのその力というのは存在の根底からそれは肉体を撫でられても撫でている男に撫でられてなどいないという真実を強く知らしめてくれる、彼女はもしかしたら初々しいという究極の美しさを通り越してしまっているのかもしれない、
マランドロを観劇した。
すべてを祝いたくなるくらいの輝きだった、今日という日がこんな日であったからこそ、石川梨華という女の子の存在の大切さが身に沁みた。輝くことにこんなに無邪気な女性がいるだろうか、劇中の梨華っちを見ていて何度も胸が熱くなった、彼女はただ輝く事にとても純粋だからだ、彼女は輝くために生きているみたいだった。舞台装置のなかに点在しているすべてが彼女に降伏しているかのようだった。
乱暴で粗悪な木片が継ぎ接ぎされた後方の壁の汚さは、梨華っちが生涯で訪れるはずのない場所の壁のようで、けれどもしかし、その壁は梨華っちにとても良く似合っていた、太陽がやさしく照らす草原と同じくらいにだ、この世界の風景のなかで、彼女に似合わない世界なんてあるのだろうか、彼女をじゅん彼女にはすべてが良く似合うのか、無国性というか無時代性というか、彼女には血の不正がなくいつでも、あらゆる設定のなかに放り出されてしまっても絶対に時代性や国籍に乗っ取られない強い力がある、娘。というのはたしかにそうした力を持った子が多いのかもしれないが、梨華っちのその力というのは存在の根底からそれは肉体を撫でられても撫でている男に撫でられてなどいないという真実を強く知らしめてくれる、彼女はもしかしたら初々しいという究極の美しさを通り越してしまっているのかもしれない、

2009年7月27日月曜日

牢獄にでも閉じこめるかのように、なにかをする事に、絶対に通らなければいけない約束のような仕草を、思考も意識も、ましてや書くこともしないで居るとだ、10日まえのある瞬間からそのまま今のこの時まで、なんら、記憶や感覚もなく、どこまでも静かにからっぽで、ああ、こりゃあ、恐ろしいと思った。

さゆが20になった事がこれ程までに自分に衝撃を与えるとは思っていなかった、まるで、この世界の少女すべてがさゆが20になった瞬間に20を迎えてしまったかのような心持ちにさえなった、おかしい、まるで、少女という存在がこの世界から消えてしまったのようにおもえてならない、さゆが20本のローソクを吹き消した瞬間に少女消滅がこの世界に同時に巻き起こったのじゃないのか、いや、スーパーに行けば、少女たちは無限の水滴のようにそこらじゅう溢れかえりながら躍動してみせてはいる、けれども、さゆが20になったと言い聞かされて、自分は、酷く歳を取ってしまった気がするし、それに、本当に、少女がこの日本からいなくなってしまったような寂しさと、ああ、やっと少女から救われるのかも知れないと思える気持ちとでぐしゃぐしゃになっているのだ、スポーツ飲料水のCMに出てくる少女を見たって、ああ、これは少女ではない、とても、とても、上手に少女を模造してはいるが、これは少女そのものではない、そうか、もう、少女はこの世界には存在しないのだな、だなんて、まるで出来の悪いSFのような台詞で思ってしまう、さゆって言ったいなんて女の子なんだろう、さゆ、さゆ?、さゆ、もしかしたら、誰でもない、さゆによってだけでしか、おれと少女の地獄は完全に終わらないのかもしれないと思った、さゆの20のお誕生日のお祝いの文章を書きためて行く過程で、結局自分は、幼少期のさゆがあのかわいい顔を歪ませて変質者から身を護った事の美しさと、さゆがかわいい顔を歪ませてかわいいという事から一瞬、隠れる事で生存し、だからこそ、20の記念のDVDで、幼少期のさゆがかくしてしまったそのかわいさが20のさゆにある瞬間に、さゆも知らぬ間にさゆのお顔に咲くのだろうとか、さゆはかわいさを少女を護ったのだとか、どうしても、そうした、嫌な、とても嫌な文章しか書けそうになかった、夏にかならず、少女が行方不明になる、たとえば、不思議の国のアリスは周到なお菓子でできた犯行招待だ、しかし、その声明文をこの世界でもっとも愛するのが狙われているアリスである事の絶望からは誰も逃れられない、驚くことに、少女たちの欲求のなかには、紛れもなく、不思議な、少女たち以外の人間からはただの汚物にしか見えないような物事も人物も、彼女たちは見つめ、愛するまではいかなくとも、心のなかに受け入れてしまいたくなる、それ、がたしかに存在している、さゆという女の子の歴史はそのまま、この俺の少女傾倒の歴史のようなものだった、さゆの誕生日の日に、何年かに一度会えるかどうかってぐらいの美少女に会ってしまう恐ろしさをやっぱり自分は因縁めいた物語として創り上げてしまいそうになる、どうやってただの出来事だって片付ければいいのだろう、自分はもうとっくに娘。によって少女傾倒からは救われていると思いこんではいたが、さゆの20のお誕生日付近から、こうした自らが行ってきた行為を今一度知らしめさせられている、あの時、さゆが身を守ったのは紛れもなくこの俺のような男からに違いないのだ、媒体に露出してゆく少女の名に疎くなっていたからと言っておれが、少女から逃げ切れたとは言えなくなってる、ハロコンというのは、女の子たちが一斉にこちらを向いて、その肉体で瞳で正面衝突してくる恐ろしい瞬間だ、夏の、それも、規模がそれほど大きくはないホールでそれを体験するとき、自分は、女の子によってあらゆる最終判決をされているように思う、まいまいの冷たい瞳をやばいとか美しいとかおれは呟く、それに、愛ちゃんの黒髪はまるで愛ちゃんの裸のようだ、とも、愛ちゃんの瞳があんなにも美しい色をしていたのか、愛ちゃんの唇の生命の色があんなにも鮮やかに、絵里ちゃんが近づくカメラに腋を狙われて、だめ〜、と照れながら叱るような仕草をしてくれた時、絶命しそうだと騒ぎ立てながらありったけ生きちまう、腹が減ったら飯を食らうように、勃起したら抜くように、書くという行為がなにか、自らを鎮めるためにしか存在していないかのように、書く行為を遂行している時に露わになる人格とでも言うのか、書くという行為を特権化し神格化している自分の文章はやはり、娘。のそばにいてはいけないものだろうと思う。
この世界や自分がいかに歪んでいるかという事実を心臓に塗りたくって嗚咽していても、だが、その世界にしか娘。は存在しないし女の子たちは存在できないのだ、街を歩けば、俺が綺麗なOLさんとすれ違ってしまうように、彼女もまたおれとすれ違ってしまうのだ、この関係性をだ、どこまでも暴露に、墓を暴くかのように語り出せば、握手会に参戦した人間のなかに幼女殺害者がいないとは限らない、さっきすれ違ったOLのお姉さんだって、切り取った男性器を持ち歩いているのかも知れないのだ、だからこそ、娘。たちが暮らさなければいけないこの世界のおぞましさを
真野ちゃんという子との距離は凄く新鮮だ、なぜか、真野ちゃんのコンサートに行こうとは思うけども駆けつけないことこそが真野ちゃんと自分の距離のように

2009年7月24日金曜日

吐く寸前で、言葉を喉の奥にねじ込む、黒髪はどこまでも、彼女の瞳と唇に光をあててしまう、気づかずにいられればきっともっと、容易く、こんなに無様な感情を抱かずに見つめられていたはずなのに、彼女は毎日、新しい愛しい言葉をしゃべって、かわいらしい姿でそこにいる、彼女は、なにかを溢れさせてゆく、

2009年7月21日火曜日

21日

コラテラルをDVDで観た。うさストリームスが更新されていた、彼女が歌ってはいないその時も彼は歌声に耳を。
普段、空さえ見上げない連中が日食を暴き見るなら全員失明してしまえばいいと思った。
Gテレを買いに行った。店員の無愛想な女子の胸には研修中って書いてあった。こうしたどこまでも暴力に無自覚な女の暴力で毎日、毎日、消えてしまいたくなる、ただ、おれはただ、本が欲しいだけなんだ、そうだ、おれは水が欲しいだけだった、貴様らに愛想良くやさしい眼差しで見てくれだなんて俺がいつお願いした、ただ、ただ、この世の終わりみたいな腐った目でレジに立ちはだかるな、

2009年7月13日月曜日

数ヶ月まえから家の近くにカラスが徘徊するようになった、もう2ヶ月以上も咳が止まらず、臆病なおれは医者に駆け込んで、馬鹿みたいに結核やら肺ガンやらの症状を検索していた、娘。、あの子たちはロスに行った、本心は飛行場を爆破してでも彼女たちを手放したくはなかった、そばにいてくれ、そばにいてくれ、映画を観ているとわからなくなる、酒は酔うと言うよりかは生命を覚まさせる、すべてがクリアになる、証拠に母親の顔を思い浮かべるとただ訳もなく涙が溢れる、きょうはさゆの誕生日だ、さゆは20になった、だから、おれももうすぐ28になる、Hさんも小春も同じ月に生まれた、それら愛する人間にかろうじて残る愛情を、そう思って酒を飲む、さゆを想うとき、つまり、さゆにただ萌えてかわいいと呟きしゃゆと絶叫したあとのあの暗い余韻のなかで、今一度、さゆに心を澄ましてゆくとき、さゆのあの言葉を思い出す、さゆは幼少期にかわいいお顔を歪ませて、どこに居るかわからない悪魔の者から身を護っていたって、ああ、泣きそうだ、泣く、なんてことだ、おれは幼女を見つめる、おれが住むこの町にも幼女がいる、暑く咽せるコンクリートのうえを幼女は滑るように歩く、学校の周りを歩くだけでおれはこの世界の偉大さを痛感する、驚く事に、きょうTSUTAYAに行く途中に父親のあとを追うように早足で歩く小学1年生くらいの何年かに一度会えるか会えないかって領域のかわいすぎる女の子とすれ違った、語りかけることもできずに、いつでもこうやって少女はおれの脇を通り過ぎていった、そして、もう二度と会えないのだ、二度と、強烈にかわいい少女たちはその一瞬のなかに逃げていってしまう、ああ、さゆ、さゆ、さゆ、そんな少女たちのなかでさゆだけは消えてしまわなかった、こんな時におれはいつもさゆに助けを求める、さゆ、さゆ、さゆとの出会い、おれは6期くそくらえと新メンなんか娘。にはいらねぇんだってあの頃盛んに吠えた、けれど、おれはオーディションの動画を見て、どうせならば、せめてこの子にと、さゆに投票した、さゆはたしか、自分で考えたような振り付けで踊っていた、さゆの後ろには、たしか、たしか、へんてこなさかなの絵が飾ってあった、さゆの目元には光源がないから、目元が暗く影を造っていた、さゆが20になった、さゆが、さゆ、さゆ、さゆは一種の生身の少女たちの○○だった、ロリコンだったおれのまえにほとんど、これ以上の完全な少女が現れるはずはないってくらいに、さゆは誰よりも完全な少女だった、そう、神話のなかではなく実在の、誰もが泡を吹きながら夢いていた、あの、そう、おれの親父もおれのじいちゃんもおれの遺伝子のなかに残るすべてのおれ以前のおれが、いつかのその時代に、どこかで、絶対に出会っていたに違いないそれもある日の一瞬におれたちの脇を通り過ぎていったあの巨大な少女たちの歴史そのものだった、さゆはさゆは少女の魂そのものだった、さゆはさゆはこの國にもう何千年と男たちのまえを通り過ぎていったはずだった、なんてことだ、さゆはさゆは、すべての都市で存在し、まるで、この世界をかわいさで征服してゆくみたいだった、さゆに似ていると言われるあの巨乳の女の子も、さゆ似のアロマ女優も、さゆに似てなどいない!、第一回ミスピュアピュアの女の子もだ!、似ていないのだ!、さゆに似ている女の子はもっと自然に奇跡的に町のなかでまるでさゆから分裂したみたいにゆらゆらとまるで花の幽霊のようにただ、俺たちの脇を通り過ぎていったんだ!、ああ、さゆ、さゆ、そしてさゆはとうとう、それらの姉妹を討ち取ったのだ、さゆはさゆだけになる、さゆはさゆでしかない、さゆはこの世界に一人しかいない、さゆがさゆになるためにかわいさで呼吸をしたほとんどもっとも大事なその季節を我々はすべてではないにしろそのなにものにもかえがたい時間を目撃してきたのだ、さゆがさゆになる時間を、さゆというかわいい少女はこの世界でただ一人になった、そうだ、さゆは鏡のまえで自ら分裂してみせた、あの時、さゆが鏡に背を向け、扉をしめて、家に帰っていったあの時に、さゆりんはさゆの背中を見つめていただろう、さゆの分裂をさゆは葬った、さゆはさゆたちのお姫様になった、そうだ、あの幼女と呼ぶしかなかった町のなかに漂うあああのなんてかわいい女の子たちに名を宿したのはさゆだった、しかし、どうだ、彼女たちは誰一人として、そのかわいい顔を変顔で歪ませて自らを護ってはいない、ああ、さゆ、さゆ、さゆは自らのかわいさを自覚してしまったその時から、誰よりもかわいさと聖戦をしてきた、さゆはかわいいという恐怖も喜びとも虚しさとも戦ってきた、おれたちの言語が原始に戻る時、おれは定めよう、「かわいい」という言葉の意味を「さゆ」と、ああ、さゆ、さゆ、柳田國男はさゆの事を書いて死んでいっただろうか、さゆ、さゆ、さゆりんは変顔をしない、町中のさゆりんは変顔などしない、おれはさゆにとうとう出会えたのだ、ただ一人のさゆに、さゆが、幼いさゆが変顔をして下校していたあの時に、さゆはすべてのさゆりんにくちづけた、ほとんど孤高であるそのかわいさは、かわいいというさゆの孤独は、鏡に映るさゆりんの出現の他にさゆに心底安らぎを与える事はなかった、血を分けた姉妹も、血を分けずとも一緒になれた姉妹とも、さゆはさゆ以上のかわいさを発見などできないだろう、

2009年7月12日日曜日

なるほど、俺の気が狂ってるって?、俺が

2009年7月10日金曜日

太陽の日差しと月明かりの断絶されていた切れ目も判らなくなってる、

2009年6月28日日曜日

おじぎでシェイプアップ。(ネタバレ注意)

おじぎのなかのれいなちゃんというのは、たぶん、世界に放り投げ出されていたんだと思う、世界っていうのは、あの劇場の地面で、階段で、大人たちで、机で、機具で、照らす光で、つまり世界を形成するれいなちゃん以外のすべてだった、世界にれいなちゃんが存在していることがあんなにも素晴らしい事だって事を、それられいなちゃん以外の、そう、いつも傍らにいる娘。以外のすべてにれいなちゃんは身体中で触れあっていた、スキップして通り過ぎるれいなちゃんの小さく細い腕をさゆがつかまえて引き寄せたとき、れいなちゃんの身体はさゆに触れられたことによって少しだけ浮いてバランスを崩す、れいなの身体が不安定になった、さゆに呼び寄せられて、れいなちゃんは踏ん張った、れいなちゃんはこの世界のなかで踏ん張る、れいなちゃんの決めポーズのように「よし!」って力を込めるみたいに、れいなちゃんがジムのウォーキングマシーンに乗ってよいしょよいしょって歩き出したとき、それは、れいなちゃんの小ささをどこまでも浮き彫りにした、まるで、れいなちゃんが大きなアーマードコアに乗ったみたいだった、この世界のすべてがれいなちゃんには大き過ぎるのかと思ったら急に涙が出そうになった、おじぎでのれいなちゃんは踏ん張っていた、なにかに触れて動き出すごとに、れいなちゃんは「うんしょ」と言う感じに踏ん張っていた、あのれいなちゃんのおしりはもしかしたられいなちゃんがこの世界で踏ん張ってきたもっとも美しい結晶なのかもしれないと思った、まるで、れいなちゃんのおしりはれいなちゃんの浮き輪のように、れいなちゃんに力を与えている、この空気と地面の海のなかで溺れないように、れいなちゃんがなにかに触れるだけでも大変な力がいるんじゃないか、れいなちゃんが両足を上げてベンチを越える時に「ほい」という、あの時、なぜ、おかしさととも涙が心の底であふれたのか、あの壊れそうな程に美しい脚をれいなちゃんがおしりで力いっぱいに持ち上げたときに、れいなちゃんのあの脚はこの世界においてはれいなちゃんでしか在り得ない脚だ、この世界の美しい脚のなかに系統できる生易しい美しさではないはずだ、れいなちゃんはあの脚でれいなちゃんを支えている、あの「ほい」とれいなちゃんが両足を上げるとき、それまでハーフパンツに隠れていた脚もれいなちゃんの肌を滑り落ちて姿を見せるとき、それでもれいなちゃんにとってはあのか細く奇麗な脚は重いのだ、あんな羽のようなかわいい脚が、れいなちゃんにとってはやはり重いのだ、れいなちゃんとプロレスごっこをする妄想をする時おれは、物凄く気をつける、それは加減を忘れてもしも、れいなちゃんの脚におもいっき抱きついたりしたられいなちゃんの脚が壊れてしまいそうだからだ、けれども、れいなちゃんの脚は強靭なのかもしれない、娘。で踊り歌ってる時、れいなちゃんの脚の弱さは影を潜める、いや、おれが忘れているだけなのか、あんなにもか細くかわいい美しい脚がとても強く見える、れいなちゃんはあの脚でれいなちゃんを支えている、おじぎは肉体の力加減だった、「おじぎ」という舞台のなかで、あの時巻き起こっているのは「おじぎ」の角度じゃない、娘。の肉体のあらゆる動きだ、その肉体の呼吸だ、動きが平熱だった、娘。たちのライブでの神懸り的な肉体の鼓動も美しいが、ずっと澄んで静かに躍動するおじぎでの娘。たちの肉体の静けさの美しさは素晴らしかった、愛ちゃんが泣き崩れた時、愛ちゃんの膝は膝の皮膚が完全に広がり白くなる、愛ちゃんの胸は太ももに寄り添い触れて隠れて、顔を覆う両手は顔いっぱいに指を広げた、愛ちゃんのおしりはアキレツ腱に座っていたのか、それは、まだ見ぬ愛ちゃんのボディのヒートだった、愛ちゃんのボディヒートだった、感情が愛ちゃんの全身に稲妻のように光っていた、ああ、言い争いをする主婦の大人の体に挟まれるれいなちゃんのあの小さな体のそれでも強い反発力、それでもれいなちゃんは潰れなかった、れいなちゃんの身体が主婦に触れていた、マットレスを片付けるさゆのフラフラとした体の微動、ゆらゆら帝国のお姫様はさゆなのか、さゆの身体がマットレスに触れていた、ワンピースにヒールという乙女の格好をしていた絵里ちゃんは乙女の姿勢のよさで立っていた、ヒールのあの堅い柱がそのまま絵里ちゃんの背骨に花の柱を貫いたように、絵里ちゃんは美しく立っていた、絵里ちゃんのあのクネクネの動きに芯が通ってしまったように絵里ちゃんの動きは乙女に不自由になった、ああ、でも、でも!,数十秒後には!、その先にベンチにあの大きな腰を休めた瞬間に!いっきに雪崩のように!絵里ちゃんの身体がまた「なまけもの」ように咲き乱れた!、絵里ちゃんの背骨がほにゃ~んと!、絵里ちゃんはヒールが地面に刺さり左右に揺れる事しかできなくなったその不自由なヒールの運動で遊びはじめていた!、ヒールは絵里ちゃんに敗北したのだ、ああ、ヒールで歩いて去ってゆく絵里ちゃん、その、あの、そうだ、ヒールで踊る事よりも、ヒールでただ、女性として立つ事の方が難しいのかもしれない、彼女たちにとっては、娘。たちにとっては、絵里香ちゃんのパンツのポケットの膨らみだった、携帯が入れられたそのポッケはなにやらモコモコしている、携帯を取り出して見せたときに携帯の筐体音の他になにやらガサガサ音がした、もしかしたらあめ玉のフィルムが入っていたのかもしれないし、星のかけらが入っていたのかもしれない、まるで、あの携帯が入っているポッケは絵里香ちゃんの乙女のポッケのようにおれたちには目に見えない大切なものがいっぱいつまっているようにただかわいくモコモコしていた、おじぎで、娘。たちはマイク以外のものに触れていた、歌ダンス以外のもののなかで肉体を踊らしていた、ただそれだけの事が、あの時、この世界のもっとも美しい女の子の祭典だった、彼女たちの髪があんなにも静かに揺れ動くだなんて、おじぎについてはもっと多くを語るべきだ、でも、言葉が詰まる、おじぎ舞台と同じくらいに素晴らしかったあのブログの存在、娘。たちがあの楽屋であんな風に椅子に座っているだなんて、僕らは、絵里ちゃんと愛ちゃんが椅子に、というか、この世界の女の子が、あんなふうに、最早椅子に座っているとも言えない姿勢で休んでいる事を知ってしまった、驚くことに、彼女たちがひとたびなにかを更新するという事は女の子の歴史の新たな領域を認めなければいけなくなってしまう、普通じゃないのだ、彼女たちが生きているというその呼吸の美しさの壮大さ、彼女たちの一呼吸がそのまま男である俺の心臓を鷲掴みにして捕らえる、おじぎを観劇し終えて外に出たら、世界が少しだけ暑くなっていた、また夏が娘。たちによってはじまってゆくのがわかった、そんな風にあの日を思い返した、7/9、おじぎについての文章をどうしても上げたかった、不完全過ぎるが、あとで直しを入れることを前提にアップする。

2009年6月26日金曜日

生活

黒すぎるその黒髪が蒸し暑い外気に櫛通される時に、僕は、あ、幽霊みたいって思った、黒髪の女子高生が浮世絵の幽霊だった、なに色にも染める事のできない年頃の女の子の風貌というのはあまりの強い生気によって、現実的な美しさからかけはなれてもう美しさとも呼べないなにかになってしまっているようだった、黒髪の女子高生の女の子が自転車で通り過ぎるたびに、幽霊が奔るみたいに見えた。
ブロンズ粘土を削っては盛ってさゆの身体を模写している時、自分がさゆのなにも知らなかった事を知った、さゆが「痩せていた」瞬間など今まで一度たりともありはしなかったのだ、嘘だと思うなら、さゆの肉体を模写してみればいい、この肉体のどこが痩せているというのか、こんなにも美しい乙女のあらゆるふくらみの百花が、制作途中、越えられない壁に陥り、ロダンを見てきたが展示されている作品がほとんどおっさんで露骨に強靱な四肢の父性と少年のえぐみがカオスったような膨張に度肝を抜かれただけでまったく俺がさゆを模写している事に直結している像たちだとは思えなかった、そんな者たちよりも、その日、遠足かなにかでそこに訪れていた小学生低学年の女子たちが、ロダンの男性像の群れのなかで暴れるようにはしゃぎまわるその肉体の方がさゆだった、幼少期のさゆの丸みを忘れるなとでも言われたかのようなその衝撃だった、くそでかい地獄の門を見上げる少女たちの群れのなかに俺は佇んで一緒にそれを見た、数十人の女子たちのなかに2人、萌え萌えな女児がいた、決まって、その子たちはどこまでも澄んで静かだった。。。その時はじめて知ったカミーユ・クローデルの方が心底萌え萌えだった、ロダンの部屋に彼女の作品がひとつも展示されていない事の方がよっぽど地獄だと思った、女性の像を造るには、道具をもつ事も、直接、ブロンズを指先で削るにしても、男の指先は堅すぎ乱暴過ぎるのかも知れなかった、女性の指先は肉球や小さな胸のように柔らかさを抱いているのではないかと思えた、その胸がナイフのように鋭く抉る瞬間が残す傷跡のような抱きしめたいくらいの削り痕の美しさは、真っ白に見える女の肌の奥にきらめくあの模様に似て、どこまでも美しかった、まあ、ブロンズ像を制作にするにあたって、直接指でなんか触れないのかもしれないが。。。。制作途中のさゆのブロンズ像は水をかけないとすぐに固まってしまう、数日間放置したら、ヒビが入ってしまった、キッチンペーパーを水で浸して、その衣をさゆ像に着せる、数十分後にはまた、堅かった表面が柔らかくなる、爪楊枝と指で、さゆのブロンズ像を造っている、たぶん、永遠に完成できないと思う、でも俺は、造りたい。

2009年6月3日水曜日

缶ビールを飲んだ、でも、酔ってはいない。
僕は、彼女たちの姿が見えない時間も、彼女たちの声が聞こえない時間も好きだ。
彼女たちがすべてから失踪する、誰もが彼女たちを見つける。
蒸発しないでくれ、原型をとどめておくれ、君の胸を摘みたい、
愛ちゃんはなにをしてるだろう、さゆは起きているだろうか、

2009年6月2日火曜日

Panopticonの脊髄移植

この機械と手を組むことの恐ろしさだけは失ってはいけない、この恐怖に麻痺してしまう事だけは食い止めなければいけない、この事態はほとんどPanopticonの脊髄移植だ、あの卵子のなかを精子が見渡すかのような脊髄を今はもうこの機械に手を触れる誰もが無意識の内に新たな器官のように有してしまう、問題は、光の回線のなかで蠢くすべての粒子が自由であるかのように乱舞しているがそのすべてが何者かによって見つめられている、見つめられることを少しでも願うその粒子たちの蠢きの増殖、監視する事と監視される事、殺すことと殺される事が同時に波打ってる、

2009年5月29日金曜日

辻ちゃんがロバと呼ばれていた、辻加護が愛おしくてもなにもしてやれねぇ、

2009年5月21日木曜日

辻加護が愛しすぎてもなにもしてやれねぇ

辻加護が愛しすぎてもなにもしてやれねぇ、辻ちゃんの悪口を言う奴は滅びればいい、加護ちゃんの悪口を言う奴は滅びればいい、家族のまえでリボンをしている女の子が出演しているミスドのCMがながれ時、僕は動揺しながら、誰だ、このかわいい女の子は!って戯けてみせてその場を誤魔化した、はじめて出会った時みたいに名前も知らない女の子に見惚れるみたいに。きっと永遠につきまとってくる、僕があの子を愛していたという事実はほとんど僕を知っている人たちにはいちばん大きな僕の印象なのかも知れないし、僕がこうしていられるのもほとんどあの子のおかげだと言っていい、それはこの先なにが起きても変わることがない、家族には何度彼女の名前を出して彼女に会いに行くからと言って家に居なければいけないときに彼女の元へ行ったかわからかった、彼女はブログを書いていて、自分が書くことについて世界がどのように思っているのか動揺して訪ねたりしていた、自分が書いてきたものを時折読み返してしまう事がある、それだけじゃ飽きたらず検索までして、他人の反応を伺う、自分のサイト名を英語で入力すると2ちゃんのスレで自分の事が話題に出ていた。そのスレは久々に娘。のテキストサイトの話をしようと言うものだった。自分がずっと書いてきたことが何のために書かれたものなのか、距離を置いてはじめて読んだ時、ただそこには自分の感情しか残ってはいなかった、いかに自分が強くその子を愛しているのか、それがどれだけ苦しいのか、ほとんど、ただそれだけになっていた、読んでくれた人たちは僕の感情が伝わって胸が痛いと言ってくれたりしている、そうかも知れないと思った、僕はずっと、ただそれだけしか書くことができなかった、僕はあの子がどんなにかわいい女の子だという事を置き去りにして、自分の感情を最優先してしまった、褒めてくれる人たちも居るけど、僕はあのサイトが男の子が創り出す女の子賛美の産物としては許されるものではないと思ってる、あの子の発育を嘆く事が純粋さだ言う事しか言えていない、そうじゃない、絶対にそうじゃない、女の子は、なにかをすげー簡単に捨てちまうのに、なんでもなかったように呼吸をしてみせる、手には赤ちゃんを抱いているのに自分も赤ちゃんみたいな瞳でそこに居る、その恐ろしさを美しいと思えた事を僕は書かなければいけなかった、あの子への愛し方は乱暴だった、狂気だった、あの子のブログのファンスレに時折自分のサイトのURLが投下されている事に、どうやって責任を取ればいいのだろうか、もしも、あの自分のサイトが彼女を貶す道具に使われはじめているのならあのサイトを閉じなければいけないはずなのに、自分にはあのサイトをWebの世界から消し去ってしまうことができない、それをやってしまったら本当になにかが終わってしまう、けれども、あの子を愛する事を止めた事が自分にできたあの子へのはじめての真っ当な愛情だと思えるのなら、あのサイトを抹消する事はあの子への最後のキスなのかもしれない、

2009年5月19日火曜日

モーニング娘。 - Morning Musume。

きょうはさゆに強く心惹かれる日だった。さゆの強く自覚しようとする意識が人間的な温度で捲し立てるなかにあってもさゆのかわいさの表層はやはり神秘めいてる、いつも同じ角度のさゆの自分撮りのかわいさの証明の不安定な瞳そのものの輝きの

2009年5月18日月曜日

彼女が好きだという舞台の物語に目を通すたびに抱きしめたくなる、彼女の若さ、彼女の美しさの絶頂、彼女の命は天井知らずに高まってゆく、彼女とははじめから釣り合わないその絶望がなぜか心地いい、100年過ぎたら浮かび上がるだろう、100ミリだけのからっぽを放さないでおくれ、その意味がずっとわからないままだ、

娘。たちの太股

「垢が舞う、香りが飛び散る、これは、輪郭と頂点と傾斜と隙間と透明にしか目がない美しさに留め金をしたがる輩の造形意識のひんしょくをかうだろうが、由来がある美は唐突に迷子になる!、そいつらの美が遂行できるのは母親殺し父親殺しだ!、彼女たち以外の美は迷子になる。」

白い9つの塊が美しく騒ぎ立て蠢いてる、言葉を話しもしないし、説明すらしない、音楽が流れ出す、9つの白い塊が踊り出した、音と肉体、合成皮に擦れる脚、生練り色のコットン、打ちっ放しのコンクリートに刺さる影の証印、まかれた髪の毛先の無邪気な散らかり、指先からすべての末端の神経まで発熱してるように赤く火照ってる、黄色でもなんでもなくなってる肌の色、人種さえも跨いで、自らが発する配置してゆくその声が再び彼女たちの身体に降り注ぐ事の全領域にもたらす還りと発育と退行、逆流する血液、化粧の油が皮膚の脂の美しさをばらす、



愛情も譜面にしてください、そんなかわいくもおこがましい事を口走った肉体のなんて譜面破りの肉体論破だ、表現という意識の臨海を無意識のうちに突破してしまっているのが悲劇であるのなら神経伝達とのあうんを仕草のように編み出した生存だ、中心に収縮してゆく肉体、リズムに同期する腰、本来彼女たちの肉体の中心が腰のゆるやかなカーブによって認識できていた自分にあって、新曲では彼女たちの肉体の中心を拡大させられているように思える、脚がブーツによって格段に伸ばされているのだ、その事によっていつも見ているはずの彼女たちの肉体の高さという認識からまず混乱を起こした、美の絶対条件であるかのように祭り上げられる娘。たちの腰に変わって中心に君臨しているのは娘。たちの太股だった、縦の造形を作り出す肉体の箇所で唯一完全な露出を輝かせているこの太股がまるで肉体の聖地のように静かにどこまでも強く裸の肌でいるのだ、こんなにも同時に、娘。たちの太股だけを凝視しているという状況に自分ははじめて立たされてしまったかのように動揺している、それでもどこかで、こんな事は以前からやっていたのだの、娘。の太股の美しさはとうに知って居るだのと言う既視の照合を企てるのならもう自分は完全に信用できない類の男だろう、この太股の状況というのは今まさにこの新曲のダンスショットで起きている事なのだ、こんなにも両太股の隙間が静かに顔を見せている状況に出会した時、自分は見たことがあると言うなら一生口走ってればいい、
出っ張った尻を脚に落とし込み空間に叩きつけることでドン、ドン、ドンとそれを可視させちまってリズムを獲得しながらリズムを身体で見せる、まずは彼女たちのリズムに同期する事を試みるよりか先におまえは小人になれ、そして、彼女たちの肉体につかまってみろ、滑り落ちるだろう、すべての箇所が絶対的な傾斜のなかに存在し、停留を許さない、それらは波打つかのように微動し膨張したり収縮したり咲いたり枯れたりを繰り返す、眼球に力を込めろ目の神経が痛くなるくらいにモニターのまえで血走って視線だけになれ見ているという力以外の機動を停止しろ、無駄だ、それでも彼女たちのどこにもつかまることはできない、素晴らしいのは、なにひとつ彼女たちを捕まえられないという事だ、風も光も埃も彼女たちの太股につかまることはできない、リズムを模写して見せる彼女たちの肉体が凹凸させている造形の音波は歌声を抽出したり波形で言い聞かせたりできない自由で野蛮な原始に満ちあふれてる、彼女たちが踊っているという状況は肉体の出発そのものだ、湧き起こるなにかが永延と起こり続けている、これは認識可能な領域ではないし、説明不可能な彼女たち女である肉体とそれも娘。で或るという肉体だけが到達できる結びつきだ、だからこそ、ヲタが完全なフリコピをして見せてもそれはまったく別物であるし、同性であるおんなどもが調子に乗って同じ格好をして劣化するクローンの醜態で踊って見せてもそんなものは1ミリも彼女たちを踊ってはいないしどこにも到達できてはいない、そう、そんなものはなんでもない、彼女たちの太股の美しい産毛はなぜあんなにもやるべきことを放棄してまで輝くのか、リズムを肉体で取る、それが基盤ならなんて古くさくも道理に敵った古典的なダンス先生諸君の配慮だ、肉体を収縮させる、叩音に合わせ肉体をたたむ、筋肉が完全にたたみきるまえに外すのは、その野蛮で根元的な動作を女の不安定な肉体で支える真ん中の腰と尻だ、腰と尻の強度が絶対に不自由さを手放さずにだからこそその無重力のような中心線からの放射を助けている、それがいつでも彼女たちを救出する、人間がトントントンという単音の無限の連なりに安堵を覚えるのはそれが心臓の音に似ているからだとかそういった証拠でそびえたつ事を放棄しろ、ほとんど、そのリズムの引力に彼女たちがひっぱられ肉体をたたみ込もうとする瞬間に彼女たちの表面にばぁあああと広がる拒絶の反復でまったく別の方向に向かう、リズムが止み、メロディ主体に音が流れ込んでゆく頃、娘。たちは四肢をぱあああっと広げ肉体を収縮から放す、けれども、ここで美しいのは、リズムを取るために開かれた両足の隙間が閉じられるということだ、ふたつ美しい太股が内側で連なり巨大な胸の山のように小人のおれにそびえたつ、その山がわずかに角度を変えて急速に傾斜を強めてゆく、肌のうえで透明な雪崩を起こしては光をも奈落に落としてしまうだろうその太股の斜面、内股にはじめて力を入れ四肢を四方に咲かす、ああ、けれども、再び、リズムが打ち込まれはじめると、肩を前方に移し、顎を引いて、おへそのあたりに魂が結集するみたいに身体を中心に持ってゆく、また収縮か、いや、第一のドン、そのンの時にはもうその収縮がとてつもない勢いで外側に広がってゆく!、ドン、ドン、ドン、このわずか3音のドラムの音が鳴る合間に娘。たちの9つの肉体が無限の力で動き出してる、その瞬間におれが目で追えるものも追えないもの、ありとあらゆる流域で箇所で何かが巻き起こってる、巻き起こっては終焉し再び巻き起こる、平熱や心拍の数字になんの意味があるって言うんだ、ああ、どうだ、リズムもメロディラインも裏切りつづけただ一度も意識下の外で踊らずに踊っているのは!そうだそれは彼女の髪たちだ!、おまえたちの髪は風でも光でもなくおまえたちのダンスによってその時動き出す、装飾品の意味と意図が飾り立てる睫毛にわずかに競争心と同輩めいた輝きを光らせても、それをなぞるおまえの指先のなんて美しい占領だ、結局、踊り過ぎる髪を手櫛で叱る君のダンスの断層と分布の広大な創造に僕は絶叫してるんだ、おまえの抜け落ちる髪の毛、ワックスがけされた床に映る落下する、汗の蒸発、絵里の口角の丸み、れいなの小さく広がる四肢、さゆの瞼と鼻の筋、同調し同期してゆくはずの肉体がちらかってゆく無限に分裂しては増殖してゆく、18のまあるい隠れる胸と露わな18の脇の揺らぐ肌、9の股がななめにずっと浮いている、9の体重、無限変容だけを躍動させる肉体の造形、彼女たちの肉体には平らな場所などひとつも存在しない、そのどれもが丸みを帯びてる、鋭利な円であれ、やさしい円であれ、
娘。たちのダンスというのは肉体の動きで曲のリズムもメロディも表現しなきゃいけないのであるけども、ドラムの音が内側に萎縮するような音であるのなら、肉体を内側に収縮させるように動き、同じようなドラムの音でも外側に広がるように跳ねるものであるのなら肉体を放す、行うべき華麗を筋肉のなかに譜面を植え込むように行うのではなく、素晴らしいのは肉体という唯一の絶対的に支配できる一方で自身のものにはならないものでもあるその肉体だからだ、髪の毛先まで踊っているというその事実はしかし、髪の毛先まで神経を持っていっているという事の証明にはなりはしない、ただ、それでも、愛ちゃんはたしかに髪を振るというそのダンスの流れさえ無意識であってもここでは踊ることができてる、今の娘。たちのダンスの素晴らしさはダンスの全体的な完成を放棄せずに同時に個人そのものが際立ちながら舞っているという事だ、ダンスショットは低位置から移しているのだけれど、小春の鼻の穴のなんて美しくかわいらしい事だろう、柔らかな肌をしなやかに磨き上げる筋肉の凝固で傾斜を作り上げ、光は反射しながら滑り落ちてしまう、真新しいはずの衣類のくたくた具合はどうだろうか、熱だ、彼女たちの熱にやられたんだ、開かれる左右の脚の隙間をぱかぱかするとき、そのとてつもない9つの穴から噴射される香りや空圧に心臓が鷲づかみにされる、まるで、口ではなくそこで呼吸をしているかのように、ヒールの鋭利な尖端は地上を抉るのか、ぐらつくれいな、ぐらつくれいな!、開かれた手のひらの指先の隙間からなにを覗くんだ、腰の始発、脇の石膏、

2009年5月12日火曜日

存在しない

自分自身にはっきりさせておこう、娘。に萌えているというこの事態がおれにとって、なにかしらの代わりではないという事を。
女がいない、他にやる事がない、そうしたゼロ地点から簡単に仰ぎ見る事のできる女の子たちでは娘。はけしてない、そんな生やさしい領域にはもう娘。たちはいない、もうおれはなにかを失って娘。に萌えているんじゃない娘。たちに萌えることでしかなにも失う事さえできない魂だという事だ、なにかを諦めたから娘。の側にいるんじゃない、娘。のそばに居たいためになにかを諦めて行かなければいけないんだ、その姿を拝むために命がけで彼女たちが存在している地点に行かなければいけない、絵里ちゃんのひらひら舞うスカートからながれでている空圧にそよいでいるのはどんな言葉よりも物語よりも残酷なリアルだ、絵里ちゃんは白状しない、リアルを、がこの娘。たちに萌えるという事がおれの生きるという事だ、ほとんど生死を伴う行為だと言う事を忘れてはいけない、おれよ、絵里ちゃんをつかまえようなんて思うことなかれ、忘れちまうなよ、絵里ちゃんはかわいい暴力そのものだったはずだ、あのやさしい眠気のなかの強い光を、絵里ちゃんの欠伸のなかに響く命の風を、クラスの馬鹿な男子どもみてぇに娘。のまえで馬鹿にしかなれねぇならとっとと消えちまえ、あの子はやばいって言ってるくせになにもそのやばさに気づいてねぇみてぇな甘っちょろいなにも苦しみも抱かないそんな領域でずっと戯れていられるならおまえらは死ぬまでそれをやってればいいんだよ、絵里ちゃんを見間違え言い違えていればいいんだよ、おれたちはゆく、何人かの娘。萌えたちは真にもだえてる、そうだ、娘。にもだえているのだ、萌えているんじゃない全身で魂でもだえているんだ、あんたらが絵里ちゃんに爆レスもらったって言うならなんでそんなにニヤニヤしてられるんだ?、おれだったらなにもいえねぇ、誰にもいわねぇ、おれたちは3階に居た、Dさんは手にオレンジ色の光を灯していたおれはその傍らにいた、絵里ちゃんは対岸の乙女だった、美しい海を泳ぐ人魚だったんだ、でも絵里ちゃんは娘。だ、絵里ちゃんはそこに居てくれた、おれらの暗闇に浮かぶオレンジ色の光だけを頼りに、絵里ちゃんは手を振ってくれたみたいだった、そんなもの幻想って鼻で笑えばいい、でもあれこそ愛情レスだ、爆レスなんてくそくらえだ、それだけでおれたちはもだえられる、明日を信じられる、すべてを愛せる、嫌なんだよ、軽さが、今の娘。に萌えてると豪語する奴らのその肉体の軽さが魂の軽さが、娘。たちのかわいさに沈まないその軽さが、今の娘。たちの輝きに真にやられてる男なんてわずかなのかもしれない、でも、行こう、行きましょうよ!、おれたちだけは死んじゃだめなんだ!、娘。のかわいさのまえにまだ生きていると思いこんでいるおまえの目はもう死んじまってる、今の娘。たちが世間の博識ぶった馬鹿どもから無視されるような現状のなかで、それでも巻き起こしてるこの事態の凄さを知っていると豪語する人間だって信用ならねぇ、外人ヲタが数人づつ増えてゆく、女の子たちも増えてゆく、おまえらも偽物か?、おれたちは死なない、新曲を歌い踊る娘。たちのふともものあの坂道はどうだ、見つめたとたんにこの瞳が魂が滑り落ちてしまいそうな、もうこの娘。たちの輝きの季節は冗談なんかじゃない、たしかに、たしかに絵里ちゃんのかわいさのまえにシリアスになっちゃいけねぇんだよ、絵里ちゃんはそれをきっと望んではないない、ニコニコしてよう、絵里ちゃんのまえでは馬鹿みたいに、でも、本当はそのかわいさにいつも震えてる心底シリアスになってる、あんまり動く事が好きじゃないって言う絵里ちゃんの身体があんなに動きまわるとき、絵里ちゃんがエリちゃんに突入してるとき、ほんとはおれ、絵里ちゃんにシリアスになっちまう、でも、それは絵里ちゃんの輝き似合わねぇからよ、おれはニコニコすんだ、もうこの季節は生やさしくなんてない、ここからは命がけの季節だ、娘。たちのこの凶暴なまでの魅力に正面衝突しなきゃいけないんだ、娘。たちと時を共にするために必要なのものは心の底から溢れる想いだけだ、それだけが証だ、娘。に血を見せちゃいけねぇ、この傷口で迫っちゃいけねぇ、ニコニコすんだ、おれは馬鹿みたいにニコニコする、でも、絵里ちゃんのかわいさに甘えて本当の馬鹿になっちまったらいけねぇ、抱きしめる事もできねぇ、側にもいれねぇ、ヲタと呼ばれる存在でしかいられねぇならそれを全うするぜ、ガキさんが語ってくれるようなその男になるぜ、

2009年4月29日水曜日

高橋愛 - Ai Takahashi



さくらの枝を持つ愛ちゃんのワンピースの花のうねりが素敵だった。

加護亜依 - ai kago



あれはハロコンだったのかパーティの方だったかは思い出せないけど、名古屋か大阪の新幹線のホームで娘。たちを待つことを僕がまだやめてなかった頃で、コンサートが終わってもまだ娘。に会いたくて、東京行きの最終まで待つなんて事を散々やって、そんなある日に新幹線のホームで、加護ちゃんは僕の数メートル先に居て、キティーちゃんの顔のぬいぐるみだろうかクッションだろうか、加護ちゃんの手には大きすぎるくらいの大きさのキティーちゃんを大事そうに持っていた、その姿がずっと忘れられない、加護ちゃんが持ち歩くキティーちゃんの顔のサプリケース、加護ちゃんのちいさなかわいい手のひらにおさまるくらいの大きさのキティーちゃん、この小さなキティーちゃんが加護ちゃんを護ってくれることを心から願う、当時、本当に加護ちゃんはキティちゃん好きなんだなぁって事が伝わってくるような顔を加護ちゃんはしていたなぁ、言葉とかじゃなく、それこそ、加護ちゃんがキティーちゃんに憧れているなんて事を世界一うれしい出来事のように書き立てたりもしてしまった、キティーちゃんのつぶらな瞳、加護ちゃんのつぶらな瞳、あの時、新幹線のホームで大きなキティーちゃんを大事に抱えていた加護ちゃんがきょう手のひらに小さなキティーちゃんを抱いてる事をブログで教えてくれた、おもひで…ただそれだけ。と加護ちゃんは言う、そんな加護ちゃんのキティーちゃんを持つ指のまん丸はまるであの頃髪に飾っていた赤いボンボンみたいにまあるくてかわいい。

2009年4月26日日曜日

ジャニーズの男の子たち

僕はジャニーズが大好きだ。幼少期からずっと大好きだ。恥ずかしい告白だけど、ジャニーズに本気で入りたいと思った事だってあった。強烈なやさしさと憧れを抱いた。それはサッカーに出会った時と同じくらいの衝撃だった。中学でクラスの女子がジャニーズの話をしていた時、僕はそれに混ざってタッキーを讃えた、たぶん、鈴木あみの事なんかよりもタッキーの話をしてる方が多かった気がする、同性とか異性とかそういうの、僕にはわからなかった、僕は初潮を知ってる、中学一年になったばかりの時、まだ自慰行為もなにも知らない時、おしっこをしったら血が出てきたのだ、僕は怯えて、担任の先生に「ちんちんから血が出たー!」と言ってやさしく対処してもらった、その日の夕方に病院に行った、あの時、看護婦さんに触れられた時、僕は男になった気がする。歌番組で娘。が同世代のかわいい男の子たちジャニーズと共演する機会を真の当たりにした時、はじめてジャニーズが嫌いになった。けれど、僕は、SMAPもV6も嵐もKAT-TUNもNEWSもYa-Ya-yahも今だって好きだ。NEWSの手越くんは衝撃だった、嵐の二宮くんには敵わないと思った、岡田くんは永遠の憧れだ、赤西は新世代と言うか僕には理解できないと思っていたが、彼は、時折とても悲しい瞳をしてる、その瞳が美しいと思った、今は好きだ。Hey! Say! JUMPを少年クラブだろうか、なにかで知ったとき、その名の素晴らしさと少年たちの無垢な輝きに度肝を抜かれた、山田くんすげーなぁと思った、あの年頃の少年というのはあの年頃の少女よりもずっと純粋で無垢な魂だ、同い年の女子にかわいいと言われる恐怖はとても恐ろしい、親戚に会えば顔の事を言われる、自分が鏡のなかに自らを見つけ出すずっとまえに、少年たちは女たちに発見されてしまう、年上の女のやらしい目つきをまだ性が確定していない時から浴びてしまう、女子に姉に勝手に履歴書を送られる危険性もある、君は美しいと言われてなおも、その恐怖を超えて、その美しさのなかで戦う勇気を持っている少年がジャニーズになれる。

草彅くんが泥酔して警察に保護された事を知った時、自分はとてもショックを覚えた、少し笑ったあとでただ悲しくなった。
草彅くんは夜の公園の芝生のうえで裸でなにかを叫んでいたようだった、僕はその光景を思い浮かべた時、裸になって叫ぶ草彅くんが裸の少年に見えた。ジャニーズは時折、泥酔しては叫んでしまう子が現れるが、僕にはその叫びが彼ひとりだけのものだとは思えない、なにか、少年たちの叫びに聞こえるのだ、シンゴと叫び呼んでいたあのとき草彅くんはきっと何歳でもなかった、罰を受ける事はあたりまえの事だ、大人として恥ずかしい事をしたという事に間違いはない、けれど、この世界が裸になる事への罰や泥酔する事への罰則を遂行するためだけに存在しているのだとしたなんてくそつまらない世界だろうと思う、SMAPって存在は偉大だ、僕が生きることに意識を持ち始めたときからきょうまでずっと存在している、SMAPの曲を僕は未だに聴いている、辻ちゃんに恋をしていた時にいちばん聴いていたのは「はじめての夏」かも知れない、SMAPは娘。と番組に出ることも多かったし、辻ちゃんが「SHAKE」が好きだと知った時はとてもうれしかった。SMAPはある数曲では女の子の欲望の汚さを歌ってみせた事だってある、あの時の、男の純粋さの迸りが僕は大好きだった。キムタクに坊主、女には気をつけろよ、と言われてる気がした。

「夜空ノムコウ」が発表された時は、僕はまだぜんぜん子供で、「あれから」なんてものの存在にすら気づいてはいなかった。
だから、なんか、大人になってしまった男の子たちの悲しさだけが漂っているように思えて、嫌な気分になって、嫌いだと思った。
いつしか、夜空ノムコウを良く聴くようになっていた、僕は冒頭の、少年が少女と誰もいない夜の公園に忍び込む描写が大好きだ、
僕は夜空ノムコウを聴きながら何度も女の子の手を握った、草彅くんの事件のあとに聴いた「夜空ノムコウ」にはそれまでのものとは違っていた、冒頭に歌われる描写が、あの夜の草彅くんに重なって響いた、どこに帰ればいいのかさえわからない少年は夜の公園に忍び込む、
ガスヴァンサンとの映画のなかの少年はただひたすらに学校を道を街を彷徨い歩く、どこかに身を置いたとしても少年たちはずっと彷徨い続けてる、スケードボードで壁を上る時この世界を彷徨う事から抜け出せそうなどこかへ行けるような気がした、おれは部屋で泥酔して娘。の名を叫ぶ、唸るように叫ぶ、AVで自慰をして、少年ではなくなった肉体に縛られ、純粋ではなくなった魂に首根っこを絞められて、僕は裸になって草むらで叫びたかった、草彅くんはあの頃の少年たちのかわりに叫んでくれたんだ、僕らは大人になるしかなかった、
少年は大人になるしかなかった、僕は草彅くんをより強く信じるだろう、シンゴと叫んだ草彅くんが居るSMAPを信じるだろう、僕はジャニーズが大好きだ、少年たちが、少年だった大人たちが、彼らが大好きだ。

2009年4月22日水曜日

娘。

名古屋コンの夜の最後の最後に顔を寄せ合った愛ちゃんとれいなちゃんの髪と髪が髪留めでつながってしまったんだ。


1.夢から醒めて

僕はデュラスの緑の眼を読んでいた。
以下の一文を見つけたのだ。

「それを見たあとの時間のなかに消え去ってしまう映画もあれば、ずっと残っている映画もある。
そうやってはじめて、自分が映画館に行ったのかどうかが分かるの。
つまり、翌朝、前夜に見た映画が、わたしにとってどういうものになっているか、一晩置いたあとの状態、
それが私が見たことになる映画。

デュラス

ならば、その思いを、言葉にできなくて本当に申し訳ないと、謝ることから文章をはじめる事でどうにか少しでも書き進める事ができないだろうか、部屋のテレビも音楽も消して、PCのまえで唸って、これが使命だと思いこむ事自体も避けていたはずなのに、それでもどうしても言葉にしたい事は、今の娘。の素晴らしさについてだけだった、読むまいと避けていた多くの本の言葉を読むことを試みているのも、自発的な言語の錯乱を垂れ流すだけではもう、娘。への言葉ではないと思えるからだった、君は美しい、こんなにも愛している、ただそれだけを書き殴れば救われる時の中には、僕も居られるわけなく、なによりもそうした混乱散文が彼女たちを讃える事ができないように思えて、言葉にする事さえ彼女たちに対しておこがましいのではないかと思う事で、今まで、ただひたすら、彼女たちの美しさに触れる事だけを痛みなく願ってしまっていたのかも知れないと気づいた時にはもう、娘。たちの愛しさを、言葉にする事の困難さだけが積もって心のなかに残ってしまっていた、ああ、もうおれなんかの言葉では無理だと諦め、ただ輝きのなかに抱かれるために娘。たちを目のまえにした時、ただその身体の歌声の瞳の彼女たちのとびかかってくる生に萌え錯乱したように身体を声援で暴れる行為そのものを、さゆに「かわいい」と言われてしまった時、自分は強烈な使命の喪失と恥ずかしさを覚えた、絵里ちゃんは風邪を引くといけないからちゃんと汗を拭いて下さいねと言ってくれる、その時、自分は汗を拭うだけでいいのかといつも思うのだ、その後に残された使命と感じるなにかを絵里ちゃんのやさしさの幸福のなかに忘れ去ってしまっていいのだろうか、こんなにも絵里ちゃんを見つめてこんなにもおれのなかに迸った感情と言語と思考の噴火を、無かったことのように?時に捨てていいのか?それこそが絵里ちゃんにとっての最大の賛美なのか?おれが黙る事が、赤子のように娘。たちは太刀打ちできないことはわかってる、目のまえの娘。たちに敗北する事を恥じているのではなく、知恵遅れの純粋さにまみれるかのように自らを無垢に投じて無思考状態で居る事が唯一の幸福だと考えるその安住が嫌になったのだ、彼女たちの美しさに昏睡するかのように意識的無知になることがもうできなくなってきているのだ、それは今の娘。たちが私をどこまでも昏睡させながらも、すべての意識の蘇りをうながしている事に他ならない、ただ、微笑みと涙のなかで敗北し続けていることで娘。たちの側に置いてもらっているのが辛くなってきてしまったのだ、おれもなにかしたい、おれも君たちのやくにたちたい、少しでも、少しでも、彼女たちが素晴らしいという事を、酒のなかに鎮めてしまっていいのか、沈黙こそ愛だと呟くだけでいいのか、しかし、そうした意識がつのることだけは一人前でも、彼女たちの美しさをまえにした時、ほとんど自分は衝撃を受けているという感覚の驚愕と娘。たちに興奮した身体的神経的疲労とだけを持ち帰ることしかできてはいない、そんな時、そっとこう呟いてやり過ごしてきた、言い訳ではなく、実際、今の娘。たちの美しさというものは、もしかしたらこれまでのどの娘。たちの季節よりも言葉にする事が難しい輝きなのかもしれなかった、それこそ、説明可能な領域には娘。はもういないんじゃないだろうか、それは語るべきものが無いのではなく、今の娘。たちがもっとも幼稚で、もっとも美しく、もっともおもしろおかしく、もっとも華やかで、もっとも香りの香る娘。たちであるからだと、

2.Girl from Mars

宇宙人を幽霊を見たとかつての娘。たちが言ったあの時でさえこちらが太刀打ちできなかったのに、いよいよ絵里ちゃんは自らを宇宙人だと言ってみせたそうだ、たしかにぴゅ〜ん星人になる辻加護を僕らは目撃してはいた、あのとき辻加護は胸にぴと架かれた衣装を纏い頭にはケーキの触手のようなものをつけて語尾にぴょんをつけてお喋りをしていたりした、たしかに絵里ちゃんの頭部はある時から宇宙感を私に知らせてはいた、しかし、絵里ちゃんの言う宇宙人というのは目に見えるものではないし、絵里ちゃんは着ぐるみも着てはいないし、語尾におかしな言葉をつけてもいない、それに、絵里ちゃんはスタジオの寸劇のなかでそれを身におぼえたのではない、いつかのどこか、私たちが知らない間にそれは起きていたのだ、スタジオのなかの寸劇でもなんでもなく、現実にだ、おれたちはこの状況をまえにしてどうすればいいのだろうか、辻加護がいない、梨華っちがいない、なっちもいない、あの娘。があの娘。がいないにも関わらず、それなのに、驚くべき事に、多くの決定的な不在を抱きながらも、今の娘。は喪失無く輝いているのだ、中学生の娘。がいないと誰かが戯言を言えば僕はこう言うだろう、今は瞬間毎に、娘。たち全員が中学生の娘。なのだと、その横でまた誰かが末妹の不在だと嘆くのならそいつの耳元にこう喚き差し込むだろう、ある瞬間に、今の娘。たちは全員が妹なのだと、それらの断層が常にいろんな引力で湧き起こっているのが娘。なのだと、というか、今の娘。たちというのはもう完全に全員がただただある種の落ち着きを持たない異常な動きなのだ、ここで言う異常というのは彼女たちを貶す意味ではない、異常という事は今までだって娘。である事の意味そのものだったはずだ、ただ、かつてのその異常さというのはまだ、なんとか我々の手で説明可能である物語りを秘めている事があったと言うだけの話であり、娘。が導いてくれたのだ、今の娘。の女の子の集団の密度やそのなかに溢れる痛みと幸福とを、男である自分が、その中心をじっと見つめる時に、今の娘。呼吸のそのほとんどが理解不能な言語や意識や仕草の大気に覆われており、その繭のなかで飛び交っている娘。という女の子たちは物語りからさえ異常な輝きで自由になっている、その生き様こそが、私をどこまでもただただ惹きつける、絵里ちゃんは私たちを導いてくれるだろうか、絵里ちゃんはきっとそういう意味においては残酷なのだ、かつての娘。が異常ではなかったと言いたいのではない、ただ、今の娘。たちのかわいさの種類のその異常性はいよいよ、もうなにがなんだかわからない領域にまで差し掛かっているのではないかと思えてならないという話なのだ、今の娘。を語るべき余地を許されなくなった多くの人間たちは、娘。を語れないというその事態をそのまま今の娘。がつまらないという事に軽く結びつけ片付けはじめてしまう、理科不能なものはつまらないとそっぽを向きはじめる、しかし、I WISHに涙してきた我々はいよいよグルグルJUMPで号泣する意味と真摯に対峙しなければいけなはずなのだ、I WISHという曲とグルグルJUMPという曲とを繋ぐものこそが今の娘。の凄さなのだ、今、I WISHの素晴らしさを語れる多くの人間がグルグルJUMPの素晴らしさを同様の意識の強度を持って語ることができないという状況(グルグルJUMPは小春が魂込めてる乙女JUMPINGアンセムなんだ、グルグルJUMPとの接し方でその男の娘。への想いが計れるとさえ思ってる。小春はジャンプする、とても楽しそうに、手を叩いてジャンプして、グルグルカエルのような、僕らがハロモニ。などで何度も目撃してきたあのコミカルな小春の仕草がそのままダンスになってしまったかのような踊りをしながら、そしてまた着陸して、小春は「初恋のようだわ」って歌う、小春はにっこりしてる、小春はとても楽しそうだ、でも、小春たちとJUMPINGするおれも小春のようににっこりしているそれだけじゃだめなはずだ、あんなにも無邪気にただ騒ぐ彼らにとってグルグルJUMPが小春たちとただJUMPをして騒げる曲としてでしか機能していないんだったらそれはもしかしたらもっとも幸福で純粋な事なのかもしれない、けれども、小春のあの姿をあの歌声を見て、涙を堪えながらカエルジャンプをしない人間はやっぱりおかしいと思う、グルグルJUMPって曲はまるで小春のようにおもしろさのなかに大切ななにかを秘めているんじゃないだろうか。)果たして今、小春という女の子のこと事をいったい誰が語ることができるというのだろうか、小春はとうとうあのおもしろおかしな小春の仕草そのもののようなグルグルJUMPで私を涙させた、その体験というののの驚愕、だって、小春はあの時少女の特権をなにひとつ行使してはいないのだから、物語の行使も感情の行使もだ、無意識に少女たちが少女である事を行使してしまうそうした力を小春は絶対に横暴に行使しない、私から見れば娘。たち以外の、少女である多くの少女とそれを謳う集団が成し遂げていることができている事と言えば、その少女の特権を遂行している事だけなのだ、そうした集団に萌えている人間もただそこに萌えているだけにしか見えやしない、つんくという人間の偉大さは、その少女の特権を少女が本能の発作的に行使する事への恐怖とそれを欲しがり引き出そうとする事への距離感だろう、そうした既視的な少女との距離をいつまでも抜けきれん男ばかりなのだ、魔法は使っちゃいけませんと辻加護は歌ったが、小春はまさに魔法を使わずに魔法以上の領域に到達できるかつてない人なのだ、小春のおもしろさはそれこそコメディという根源を胸に抱きながら笑わせる事に向かっていくすべての先陣よりもくそおもしろいではないか、辻加護が巻き起こす爆笑、ジェリールイスに爆笑する事などで到達できない爆笑を小春は私に食らわせる、あなたは、アロハロ3で小春が外人インストラクターに自己紹介をする姿を見たことがあるだろうか、小春はあの時「マイネームイズ小春!」と自己紹介をしているだけなのだが、これがとんでもなく大爆笑アンド超かわいいのだ、そもそもがこんなにもかわいい女の子にこうして大爆笑させられている事自体が緊急事態なはずだ、女の子を笑うという事態のなかには、少しはかわいさや魅力を犠牲にしなければいけないんじゃないだろうか、それこそ、辻ちゃんがおしりをカメラに向けてプリンプリンと迫ってくる時、たしかに大爆笑アンド超かわいかったが、犠牲はあった、辻ちゃんの凄い所をそれを犠牲だと思ってはいなかった事だ、それこそがやばかった、娘。たち以外の音などもが笑いを起こそうとすれば「痛さ」やなんかの力にしがみつくしかないのだ、小春は小春以外の力を使おうとはしない、小春のスーパー偉大な所は他人の力を巻き込むことさえしようとしない絶対的な個人だけから自然に巻き起こっているおかしさだろう、あの辻加護だって、ぶりんこうんこの「27」という大名曲でさえ姉さんの事を歌う事で辻ちゃん加護ちゃんが自分たちを娘。たちを歌う事ができていたのだ、辻ちゃんたちはこの世界の他のものを辻ちゃんのあのかわいいお口と加護ちゃんのつぶらな瞳でたいらげ噛み砕き見つめる事で笑いのなかに愛しさを愛をもふくませ世界に吐き出していたんじゃないか、きょうの小春の凶暴さというのはこうした説明もほとんどできない状態でただこちらに爆笑させてしまっているという事だ、辻ちゃんという女の子はハロモニ。などで一緒になる小春に対して誰よりも、小春の超大型爆笑新人的な魅力を理解した人間のひとりだろうと思う、残念な事は、辻ちゃんと小春とが手を組んで私たちを爆笑させる機会が奪われてしまったと言う事だ、これはめちゃくちゃ残念だ、小春はスイッチ無くして純粋コメディを巻き起こす事ができる、辻加護が「いっせーのっせ!」と互いの瞳を見つめ合い相づちを打つ合間にだ、小春という子はもうなにかをしでかしてる、今娘。のなかに巻き起こる爆笑の多くは小春が笑われるという事態のなかにある、そんな時、小春はあの大きな瞳で笑っている娘。たちを見渡し、小春なにかした?とでも逆に不思議に思うのである、娘。の爆笑の発端の凄まじさだってもう意味不明な領域にあるのだ、それこそ絵里ちゃんの言う宇宙人としか言いようがない、絵里ちゃんが自分はもしかしたら宇宙人かも知れないと思う事を、ただのおとぎ話であるはずがない、戯れのような娘。たちの言葉を聞くこと、それを笑い飛ばしながらも見つめること、たとえ、絵里ちゃんの愛しいジョークだとしてもだ、私には彼女たちのこうした発言がただの冗談には聞こえないのだ、娘。という女の子たちはやはり私が女の子と認識しているその存在の限界を法則を突破してゆくんじゃないかと思っている、それはもしかしたら性別を超えて人間という存在をも巻き込んでゆくのかもしれない、私は大げさだろうか、しかし、精神的崩壊や正常さをもって到達すべき聖なる領域に、彼女たちはかつて誰もたどり着けなかった方法で到達するのではないかと私には思えてならないのだ、この狂気とも言える彼女たちの輝きに、どうやってついてゆくのか、激きゃわきゃわな娘。たちはどうやら私たちが狂う事を許してはくれないらしい、どうも、娘。たちはそのかわいさで私たちに発狂しろと言っているのではなく、むしろ、正常でいろとうながしているように思えるのだ、娘。たちのあの異常なかわいさに発狂する事ができない私たちは、なにをすればよいのだろうか。

3. 娘。という透明な世代 NYと幼児

今の娘。たちは絶対透明な世代の領域にいる、というのはキッズという精神的純粋さと臓器的真新しいさきらめく瞳と肌とを持った女の子たちがやってくるずっとまえから、キッズ以上に異常な幼児だったはずだ、あなたは私が「Take off is Now!」で愛ちゃん製のNY感を散りばめて行ったその愛ちゃんが、リゾナントライブの最後には、まるで幼女のようだったと言ってみせたのなら、おまえは狂っている!と思われるだろうか、しかし、それは現実に起きている事なのだ、私が狂ったのではなくこの異常性こそ娘。のなかで巻き起こっている信じがたい美しい領域なのだ、こうして語る人間が狂気に囚われた壊れた人間だとしか思えない賛美を、娘。が発言させてしまう事こそ、娘。の凄さとしか言えないのだ、狂人の戯言に真実が宿っていると言いたいのではない、もはや、我々が今まで培ってきた女の子の常識や美の基準の手の届かないあらゆる生の輝きを今の娘。たちはそれぞれ際限なく迸らせているのだ、我々が語ることができないように娘。たちも娘。たちの今を語る事などできないのだ、わかるか?、これこそがもっとも大切な事だ、今日という日、あの辻ちゃんが自らを物語のなかに着床させてみせてはあんなにも上手に語ってみせる時、愛ちゃんは自分がまだわからないと言う、私はこの愛ちゃんの言葉の美しさにすべてをかけたいのだ、誰も語ることの出来ない女の子たちの事を語りたいのだ、DVDマガジン Vol.23というDVDはソファのまえに無人の定点カメラを撮影所の隅に置き、娘。たちに自由に言葉を語らせる、娘。たちが語り合うその姿はやはりどこまでも意味不明なのだ、この意味不明のままに輝きだけを放っている事に震えるのだ、こちらに語りかけるれいなちゃんを10秒間見つめてみればいい、きっと世界はまたれいなちゃんの事がわからなくなるだろう、そうなのだ、この子が今いったい何歳であり、どんな女の子なのか、私たちは知っているはずなのにわらかなくなってしまうのだ、娘。たちは透明な世代の唯一の女の子なのだ、

4.リボン

愛しているの引き替えに

自らの物語を語った女の子のその証言がかならずもその女の子の唯一の真実であるとは言えない。
女の子が、ある瞬間に堰を切ったように自らを語り出した瞬間に生まれるあの言い得ぬ歪みこそがなによりも私を抉る。
「君は君をなにもわかっていない」。
女の子が自らの乳房を語ろうとしているのと同様に、彼女自身がかつての彼女を語ることなど不可能に近いのだ。
この私自身がこの世で、私自身を誰よりも知り得ているなどとどうして言えるだろうか。
「あなたはわたしの事なんてなにもわかっていないわ、わたしはこんな女よ」と自らを語ってみせる女に、
「いや!、違う!、君はそんな女じゃない!」そう語る事ができるのはいつの世も男だけだ。
女の子たちの美しさは混乱にある、それは凝固することのない花だ、どこにも到達する事のできない永続する頂点だ、
結晶することのできないながれる川だ、彼女は美しく混乱していた、あの瞬間の悲しみや痛みや美しさを語る事など今、誰にもできないだろう、もしも、あの瞬間の彼女をかすかに語っている事ができている言葉などがこの世に存在しているとすれば、それは、彼女を愛していた男たちと、彼女を愛していた姉妹たちと、媒体に、記憶に、残るあの時の彼女の瞳だけだろう、今の彼女が彼女自身を強く客観しているように、「ののたん」という巨大な鋳型でしか彼女を見てこなかった人間は、彼女は変わっていないと言うだろうか、そんな馬鹿な、彼女は毎秒変わっていた、彼女が愛しいのは強く変わりながらそれでも喪失しなかったことだ、
今、子供が騒ぐように幸福を騒ぎ立てるやかましいくらいの彼女の幸福の騒音、赤ん坊をおんぶった時の彼女の仕草のあの変わらぬフォルムと仕草のおかしさの中心に強く母性がきらめくからでもない、彼女を見ていたら爆笑しながらキュンとならないはずはない、子供が子供を育てているだなんて言われないようにと彼女は言ったが、素晴らしいのは、紛れもない子供が子供を育てているその姿なのだ、それも子供でありながらママである表情で、辻ちゃんは変わったのだろうか、私はそうは思わない、変わったなんていう言葉のなんていやらしい響きだ、彼女は取り戻したのだ、我々が彼女の姿をはじめて見た時、彼女が語る姿を見た時、彼女はしっかりと意志を語っていたのだし、あの年頃の子供としてはむしろしっかりとしていたのだ、隣の加護ちゃんが本当の子供に見えてしまうほどに、彼女はずっと子供でありつづけたわけではなかった、彼女は私たちがかつてそうであったのと同様の成長速度で一度大人になろうとしているのだ、彼女が娘。になるまえに、彼女が娘。になることでふくよかにふくらんでいきながら急速に子供になるしかなかった、だとしたら、子供でいる力だけが彼女のなかで大きくふくらんでいったのなら、細すぎると言える程に痩せている彼女に残るあらゆる身体の末端のあの丸みが、彼女の愛娘の丸みを抱いている時、その光景のなかには、変わったなどという殺伐としたものである変化などはけしてなく、取り戻しながら失っていないなにかが一緒にきらめいているだけなのだ、東京タワーのほとりの公園でベビーカーをひく彼女が誰よりも子供に見えてしまうその事実こそが、彼女の美しさなのだ、彼女が大人になったから素晴らしいのではない、彼女はそのまま愛を育みママになったのだ、辻ちゃんがただ皆とと同じような大人になったなどと言う人間はつまり、なにも彼女を知らなかった人間だろう、ミニモニ。解散ライブで耳たぶに開けたばかりのピアスの穴といういじらしい乙女の宝石を飾って、我々に突如、言葉を語りかけたあの時から、彼女は彼女なりの大人になっていたはずだ、それをリボンであやし隠そうが、たしかに彼女はもう強い意志を持っていた、その意志に不安を覚えた人間だったら今の彼女が突如現れたなどとは思わないはずだ、たしかに彼女は物語を語る事が上手になった、それは、口がうまくなった訳でもなんでもない、辻ちゃんが読める物語がやっと辻ちゃんのなかに溢れ出したのだ、それも辻ちゃん自身の力によってだ、辻ちゃんが夢中になれる物語が辻ちゃんのなかに生まれたのだ、その物語の登場人物には私は存在しないだろう、だから、せめて私が願う事は、辻ちゃんのかわいい生の息の物語りが、彼女が今、愛されたいと願う人間たちに浸透する事だ、それがたとえ、私がこの目で心で見つめたあの過ぎ去った季節の多くを裏切る言葉でも、物語であってもだ、彼女が愛して欲しいと願う人間のなかにもう自分が存在できない事はわかっている、今彼女は、かつて、彼女をただの「辻ちゃん」として、子供としか見てこなかった人間たちに、今彼女は愛されたいのだ、そうした人間たちと共に歩みたいのだ、
あんな短時間にあの季節の彼女の生が、物語り圧縮されたものを彼女公認で彼女の脈の真実として放送されている事は虚しく悲しい事だった、けれども、それが彼女にとっての真実であるのなら、私は何も言えない、ただひとつだけ僕は辻ちゃんに言いたい、辻ちゃん、君はそんな女の子じゃない、もっともっとかわいい女の子だ。


5.ディピオ Rikacci MOE (the man who loves Rikacci)

おれがはじめて娘。萌えの洞窟のなかで顔を合わせたディピオ以外の男はそれぞれの「あの出来事」によって、身体もろともなにかを喪失したようなものだった。自らを生かす絶対的な愛情もろとも、そこではないどこかへ「はじかれ」る事を承諾し決意し、それが覚悟であろうが諦めであろうが、男たちは自らの心臓に水平線をひいてしまったのだ、血管からは血が蒸発し、器官からさえも見放され、ここがどこであり、自分は誰であるのか、いよいよ彼女はいったい誰なのかと、すべてがわからなくなっていったのだ、誰よりもおれが。ディピオ日誌という空間は絶対に分断できない「娘。」たちの時とディピオという彼女を愛している男の時とが一緒に流れている、それは、一人の男のなかに女たちがそのままながれこんできたものすべてを抱き抱えるようなものだ、ディピオ日誌にながれてる時間は何者もねじまげる事のできないこの世界に存在している娘。たちとディピオとおれたちの時がながれてる場所なのだ、おれやおまえは、ディピオ日誌のなかで顔を合わせ、そして、娘。たちとも出会っているのだ、


6.おれたちのNY

Take off is now!という曲がある、たしかにあの曲が愛ちゃんガキさんれいなちゃんによって歌われる事なくどこぞの誰かが歌っていたのなら、誰かが嘆いていたように、気にも留めずに通り過ぎるべきものだったのかもしれない、けれども、TOINという曲をこの世に創造させた女の子が愛ちゃんであったという憶測を出発点に、それを歌い踊る愛ちゃんガキさんれいなちゃんの姿を現実として目の当たりにした時、そこに起こっているあまりにも偉大な女の子の輝きの状態は、嘆きや苦笑で切って捨てるべきものではけしてないと思えてならないのだ、散ってみせるあなたにというような言葉をはっぴに飾る生粋の愛ちゃん萌えの方と話した訳ではないが、自分には、あの愛ちゃんが愛ちゃんたちが、信じていた純粋さを欠落させるような瞬間には見えないのだ、グルグルJUMPをこの世で歌える女の子というのは絶対に娘。しか存在しないだろう、その事を理解できている人間のなかにも、TOINのような曲は、娘。が歌わずともどこかに存在し、娘。たちが歌うべきものではないと思えてならない者もいるだろう、ガキさんがDVDマガジンで語ったように本来ならば娘。的な空気を感じさせないものであり新しいものへの挑戦だったのかもしれない、娘。のなかに欠落した夜の現実性のシルエットのような幻影なのかもしれない、けれども、TOINという存在があらわにするものは娘。から遠く離れた夜の世界の力を借りて突然に現れた訳ではなく、ずっと密かに娘。のなかに存在していたように思えるのだ、TOINという曲が3人に歌われた事で至った真実は、グルグルJUMPと同様、娘。たちにしか歌えないものなのだ、愛ちゃんたちにしかこの世に映し出す事ができないものなのだ、それは、現実世界の不埒な空間の空気に3人が足を踏み入れている幼さの痙攣の美しさでもなく、なにかを上手に模造している完成度でもなんでもない、れいなちゃんが「ファンの人に嫌われたらどうしようと思った」と語るようにTOINそのもの世界観は恐ろるべきものがある、しかし、TOINというあの一見卑猥な世界観のなかで踊る愛ちゃんを見つめた私が到達したのは、どんな映画で語られる踊り子の姿に乙女の真実を人間の美しさを見つけた男たちの衝撃や歓喜にも負けないくらいの私の見つけることのできた愛しい美しさだ、愛ちゃんが卑猥さを愛ちゃんのぎこちなさや純粋さで消し去っているだなんていいたいんじゃない、それこそ、卑猥さの渦のなかを愛ちゃんが踊るダンスの領域で蹴散らしてゆくのだとか、愛ちゃんの想像しているTOINの世界観の憧れをまったく別の力によって遙かに超えてしまうのだとか、そんな事を言いたいんじゃない、それら素晴らしい瞬間の混在とともに静かにそっと歌われる この言葉が示すように、TOINで起こっていることは女の子の呼吸そのもののように乱暴でどこまでも愛しいだけなのだ、こうした曲を、こんな風に歌い踊る事は娘。たちにしかできないのだ、TOINの愛ちゃんガキさんれいなという3人の領域というのはまさにこの世界において娘。が娘。として生きているその姿のように奇跡的な状態のように思えてならない、TOINを踊る愛ちゃんたちの姿を見た同世代の女の子が愛ちゃんの踊りを見て、ただのプロ並みのポールダンスのようだと思えたのならそれはそれでしょうがないだろうが、しかし、TOINが到達してしまっている領域は、そうした本来の原型であるはずのモデルとはまったく別の力でいつしか輝き出してしまう娘。たちの略奪に他ならない、歌い踊る愛ちゃんに見惚れながら、男はこう思うかも知れない、ああ、愛ちゃんがまるで子供のようだと、それは、覆された美しさだ、愛ちゃんという女の子の美しい透明さは自己のなかで描かれている絶対的な憧れに向かって一心に躍動するその瞬間に、まるで真っ白になるように顔を出してしまう愛ちゃんそのものの純真さだ、その美しさはいつでも愛ちゃんが憧れる者や場所を超えていた、僕が愛ちゃんがNYや外人、外国の事を口にするたびに戦きながらも歓喜するのは、愛ちゃんという女の子のかわいらしさはその瞬間に娘。である事を強く愛ちゃんが意識し脈打つからだ、愛ちゃんの愛おしさというのは、憧れを見つめるその幼い瞳にある、その瞳は娘。であるという事を真に見つめている眼だ、自分ではない誰かに、ここではないどこかに、憧れる時、今娘。で居るという事を強く想いながら愛ちゃんはそれに向かう、そして、愛ちゃんは最早憧れを超えてしまっているという事を悟らない、愛ちゃんは自分がわからないと言う、


TOINのPVをNYを舞台に頭のなかで撮っていた、僕は黒人の親友の頭のうえに乗って、愛ちゃん賛美の口笛を必死で吹いていた、福井のビジネスホテルで森のなかで愛ちゃんにサックスを吹く夢を見た。
愛ちゃんの夢のなかでしか鳴らないメロディがあるのか、愛ちゃんの夢のなかでしか幕が上がらないミュージカル、


7. river

天王洲のスタジオのロビーから娘。たちが見ていた川のように、かつてただひとつのきれいな大きなながれであった「娘。」という川が今、そのながれを分岐してしまっているだなんてもしも誰かが感じてしまうのだとしたらそれは、かつて娘。だった(もちろん今でも娘。だと思っていますという断りを書かなければいけない不幸もひっくるめて)娘。たちの口のなかからここ最近ながれだした強い力によるものかもしれない、バラエティ番組に出ている真里ちゃんや辻ちゃんたちの大きな生命の力(この出演時に元モーニング娘。という私たちからすればまったく信用のならない呼び方で彼女たちは呼ばれる、元も現もありはしないと言う事から話しはじめなければいけないのか)元娘。として彼女たちが娘。であった時を証言しなければいけない時、それは彼女たちがながれていったあの川を逆流しなければいけない、彼女たちが娘。を語って見せる時、娘。という川のながれを掻き分け逆流しなければいけない、彼女たちの波紋は次第に、娘。を知らないで生きてきた人間にとってあたかも、それこそが「娘。」という川のながれの真実であると思わせるのかも知れない、かつて娘。だった娘。たちが娘。であったその季節の事を、一斉に語る事を要求されてしまうという恐ろしい時のなかにきょうはあり、娘。のながれを逆流する彼女たちの言葉は物語りめいたものに捕まり世界に放されるのだ、ながれの源泉である娘。の川のながれから掬われるのだ、今の娘。たちがその身をもってながれを絶やさずにひらきつづけている川のながれこそが娘。の川のながれであるというのに、世界の要求する事は、そうした川のながれを見つめる事ではなく、かつて娘。だった娘。にその川を逆流させ、溢れそうにながれるその水面に無限にさんざめく娘。たちのあの時を掬わせるのだ、真実のながれの水位が空にまで届きそうな今にもかかわらず、そのながれに自らも身を投じるのではなく、世界が要求する事と言えば、娘。たちに掬わせる事ただそれだけなのだ、掬い取って物語の水槽に入れてはそれを変色させているだけなのだ、娘。であった頃の事を語る娘。たちに罪があるのではない、その言葉から真実を見つけられない世界に罪があるのだ、こうした世界の間違いはほとんど過去に遡ってみてもまったく直る所か罪を肥大させている、この世界は娘。の所在を知らないのだ、探しもしない、彼らは娘。を認識はしているが娘。を知りはしないのだ、この世界にあって娘。たち乙女の集団が伝説や詩のなかで謳われている乙女たちの集団であるのかも知れないという出発から、いや、未だかつて、乙女たちの集団がありえないかたちで共存しているのだと言う事に気づくまでに、彼らは一度の人生では追いつかないらしい、今の娘。がひたすらに川のながれをひらいてゆくこの現在の水面に映る事実に目もくれずに、今の娘。のながれの音がそうした世界の騒音にかき消されそうな状況にあって、この世界の娘。を知らないような人間にとっては、娘。という存在がかつて娘。だった者たちによって言い伝えられる言葉から言いように抽出した事だけで完成されてゆき、その認識はいつしか世界の眼に映る娘。たちのかたちを変えさせる危険性がある、語ることを要求される娘。たちの現在すら軽視しやがる、かつて娘。たちであった娘。たちは川からあがってしまい対岸を歩き出したのではない、彼女たちは未だに川のながれのなかにいるのだ、それは梨華っちという女の子がもしかしたら川のながれの先頭で命をかけてひらいているのかも知れないと言う事実だ、すべての娘。たちがその川をながれているという事を忘れてはいけない、その流れの現在を知らせる事はこの世界においては不可能に近いのか、それは彼女たちが世界とつながる方法がいつまでも娘。であった事を背負っていかなければいけない事でもあるからなのか、なぜ、娘。たちがこの世界の全体から愛されないのかそれだけが理解できない、娘。でなくなった事によってはじめて娘。たちは愛されはじめるのか、かつて娘。だった娘。の口から言葉を誘い出し娘。の幸福を削ぎ取り悲劇の物語りに化けさせ氾濫させる事しかしようとしないのか、まるで娘。であった事が罪であったかのように、真人間にでも戻ったかのように、この世界がやらかすこの罪と、娘。という存在がかつて輝いていたもののように語り出す酒の席の無意識の策略の渦の喚きとが、手を組み、今の娘。に飛びかかるのなら、この世界は消失しちまえばいい、おれは命をかけてそいつらと戦う、この不当な世界において、それでも、今、娘。たちはただ踊り歌っている、娘。たちの輝きに対するこの世界の賛美のなんてだらしなさだ、娘。たちそれぞれの乙女の輝きはもうほとんど収拾のつかない程のかわいさの領域に達しているというのに、それらが一斉に輝き出すその事のとんでもない爆発をこの世界はまるで何事も起きていないかのように見過ごす、誰にも観測されない乙女ビッグバンのようにただ娘。たちは爆発している、誰にも観測されない時のなかに輝くしかないのか、それこそ存在するかどうかも分からない宇宙人のように、それこそUnidentified otomeのように発見されないのか、その爆発をこの世界は観測できないのか、



8.新曲の眼

幾度も新曲が、今まさに関係性が終わろうとしている危機の女の心境を象る曲でしかないと誰かがわかったように呟くとき、果たして、それを歌い踊る娘。たちは今終わろうとしている輝きだとでも言うのだろうか、なぜ、モーニング娘。の新曲として授けるものにそうした意志しか込めようとしないのか理解に苦しむとだけ呟くことでしか新曲批評をしようとしない人間はもう完全に娘。萌えとしては死んでいるようなもなんじゃないか、アルバムを購入するか、ライブ会場に足を運ぶ事でしかグルグルJUMPに出会えないと言う状況がたしかにあるとしても、それでも、新曲を歌い踊る娘。たちの輝きのいったいなにが、今まさに終わろうとしている乙女の輝きだと言うのだろうか、娘。たちを見る者、もしくは娘。たちに出会う者の力の死こそが、もっとも憂うべき根元だとしか思えない、幸福や絶望でも、肉体の魅力でも、物語りでもいい、それらすべてを娘。に見る者たちの力がただ、娘。たちの輝きに追いついていないだけなのだ、娘。たちに未来がないのではなく、娘。を見る者たちに未来がないのだ、新曲との出会いというのはなにも我々だけに訪れるものではないはずだ、この世界で娘。の新曲に誰よりもはじめて出会うのは誰でもない娘。たち自身なのだ、娘。たちは新曲に出会うたびになぜ今、この曲を娘。が歌わなければいけないのかという事を考えるだろう、誰よりもだ、娘。たちは主人公の女の子の気持ちになったり、歌詞の世界を想像してそれを上映し、自らの声に、ダンスに還元させるのだろう、けれども、娘。たちというのはいつでも、新曲がレコーディングされそれが盤に刻まれ我々の手元に届き、娘。たちが溢れ聞こえてきたその瞬間が終わりではないという事を知っている、自分が歌う歌詞がそこで役目を果たしてしまうことがない事を知っている、絵里ちゃんは新曲のレコーディングの時、メロディが好きで要求されていた歌声とは違う弾みで歌ってしまいもう少し落として曲に合わせて歌うようにと言われたと言っていた、これこそ、この絵里ちゃんの仕草こそ、新曲と娘。との関係性であり、誰にも立ち入る事のできない歌う者と娘。の曲との神聖な抱擁だろう、改められた絵里ちゃんは誰がなんと言おうが絶対的に素晴らしい、我々は弱虫を歌いながら微笑むガキさんを目撃したのだ、王子の声の名残りなく澄んで女の子でいるあのガキさんと弱虫の関係を目撃するのだ、そうなのだ、新曲というものは誰でもない娘。たちによって壊されることによってはじめて生まれることができるのだ、愛ちゃんはLIVEは生き物で、曲も成長すると思っているといつか言っていた、パッケージされている新曲のなかで、娘。たちがどのように泳いでいるのかを見なければいない、それを聞かなければいけないのだ、新曲のなかで娘。たちが置かれている時間的立場やその物語りに、そうした人間的理由だけに娘。たちが接しているとしか思えないのなら、永遠に娘。がやっている事の重大さを知る事などできないだろう、娘。のもっとも涙する輝きは、光たちが幸福たちが物語たちが娘。たちのあの瞳で心で一度読まれ絵里ちゃんのあのかわいい胸のなかで屈折し反射し反響し絵里ちゃんのなかで生まれ変わるように結晶し絵里ちゃんが再びそれを吐き出してくれるからだ、それだけが唯一の娘。が歌っているその曲なのだ、歌詞でもメロディでも物語りでもない、そうしたものたちをきらめきによって噛み砕き、娘。たちが再びくれるものこそが真実の姿なのだ、絵里ちゃんが赤ん坊にやる離乳食を与えるようにやさしく噛み砕いたような絵里ちゃんによって暖められた新曲を聴いているのだ、娘。たちによって噛み砕かれた曲が新曲なのだ、娘。の輝きそのものを説明してくれるやさしい歌詞も曲調も衣装も娘。たちに与えられなかったとしても、そのなかでさえ娘。たちがあの瞳でじっと見つめ心で読み歌声にのせればそれは娘。になる、娘。そのものを歌ったようなあの愛しい曲たちを娘。が歌う事の素晴らしさをないがしろにしているわけではない、つんくがまるで娘。に捧げるかのように娘。の姿をそのまま言葉にしたようなあのおかしなテンションに錯乱した言葉たち、イノセンスはしっかりとした言葉にできるだろうか、もしもイノセンスが錯乱する散文のようなものであるのなら、つんくのあの訳のわからない歌詞の錯乱こそ娘。を言葉で表しそれを娘。に歌わせてあげたいと願っている言葉ではないのか、ただ、それを捧げる時間は彼にしか与えられてはいない、だが、我々はそうした曲だけにしか娘。の輝きを見つけられない輩ではない、それに、新曲に登場する女の子の事をアイロンかける系と言ってみせた絵里ちゃんたちがきょうの新曲のこの状態をどこまでも娘。にしてしまうだろう、今の娘。たちは収拾がつかない輝きなのだ、凝固しない、結晶しない、今まさに流れて出している輝きそのものなのだ、すべてを覆い尽くすのだ、恐ろしい事に、娘。たちは、なにをしていてもかわいいのだ、どんな曲を歌っていてもかわいいのだ、

宇宙戦争のなかで、トムクルーズの鼻の先を今まさに死んでゆく事だけが運動しているかのように燃えさかる列車が通過してゆく、死そのものが蠢いているようなあの列車が通過してゆくときに、トムクルーズは死への恐怖を見たのだろうか、それとも生きている事を実感したのだろうか、そもそも、トムクルーズの瞳はあの燃えさかる列車を現実のものとして認識できただろうか、死がながれているだけの川を見てしまった娘の目をトムクルーズは手で覆い隠す、けれども、なおも少女のあの大きな瞳は恐怖を現実を誰よりも強く認めるのだ、トムクルーズの瞳ではなくなぜ、少女のあの大きな瞳に恐怖が映ったとき、映画のなかに恐怖が真実に起きあがりだしたのか、少女の目は、子供の目は、恐怖を真の当たりにしたとき、嘘をつけない唯一の真実の鏡になるからだ、大人で或るトムクルーズは真に恐怖を知り得たのだろうか、トムクルーズのうえに雨のように落ちていった死んだ人間の衣装の雨。。。。。

きょうのこの状況のなかで、おれになにができるだろう、必死で探してる、なにかしなきゃいけない、誰でもなく、なにも語らずにただひたすらに輝く今の娘。たちのために、愛ちゃんガキさんさゆえりれいな小春みっつぃジュンリンという娘。たちのために、おれはしっかりと目を見開き、見つめ、想い、言葉の臨海をぶち破りたい、


00.パジャマでおじゃま

ツアー稽古をしている娘。たちがパジャマのようなふわふわのタオル地のジャージに身を包み佇んでいる姿を見るたびに、なぜかそれだけで涙を堪えなければいけなくなる事がある、運動をする領域を前提に編まれたジャージの安堵の密着よりも、まるで娘。たちが部屋着そのままに娘。の振り付けの稽古をしているように思えるからだ、この娘。が纏う糸の移りは、永遠と途切れない糸に護られているように思える、だからこそ、ステージ衣装が部屋着がそのまま姿を変え、衣装が絵里ちゃんの皮膚から織られたかのように思えてならないのだ、肉体を綺麗に納めるサイズ感や曲調の物語を織り込んだデザインよりも大きな力が、娘。たちの息吹によってはじめて生まれているように思える、小春を覆う衣装のおかしさはきっと小春が衣装をそうさせたに違いない、小春vs帽子、衣装と肌と意識が一変に織りなす、


9.ジュンジュン畑で小春をつかまえて

小春とジュンジュンが話す時、いつも、ジュンジュンの言葉の速度は徐々に加速していって、ついには小春にぶつかってゆく、それでも、ジュンジュンが言葉そのものに込めた意味や強度では小春を塞き止める事はなかなか難しい、こうした時、ジュンジュンの日本語はとても早くなる、感情によって言葉の骨格が崩れていってしまうジュンジュンの話声のうえを、小春は遊ぶように滑ってゆく、言い合う事を遊ぶように二人は、互いをどこでもつかまえてははしながらまるで鬼ごっこで遊ぶように二人の声は戯れて別れてゆく、その数分後に、再び二人が「香水」をふたりっきりで歌う時のあの歌声の存在の語らいと共鳴の素晴らしさに、気づいた時、ジュンジュンの歌声がとても静かなのだ、穏やかなのだ、そして、なによりも、香水のあの歌詞をなぞるジュンジュンの声の全貌はどうだ、娘。になり、日本語で語る事を覚えはじめたジュンジュンのよちよち歩きのその声の動き幼さは、感情で加速する時、本来の声質の美しさを諦めなければ犠牲にしなければいけなかったのかもしれない、ジュンジュンがあんなにも言葉でなく動きでれいなを笑わせる事ができるのは、もしかしたらそのせいもあるのかもしれない、小春に語りかけていたあの早口で感情に満ちたジュンジュンの声が、「香水」によって鎮まり、ジュンジュンは「香水」のなかで、ジュンジュンという女の子の今の女の子の歌声の全貌を歌っていたように思えた、それは、ほとんどなにからも遮られることなく響くジュンジュンの声なのだ、ジュンジュンはひとりでカラオケ屋に行き、「香水」をいっぱい練習したと言っていた、このジュンジュンの歌声の穏やかさ、側で歌う小春の歌声のなんていじらしく愛らしい歌声だろう、この時、さっきまで遊ぶように言い争っていた小春の言う「友達のようになれる」あの言い争いでは小春をつかまえられなかったジュンジュンがその歌声ではじめて小春をつかまえてはそっと導いてゆくように思えたのだ、「香水」という曲の世界で小春はあんなにもつぶらな瞳でなにを歌っているのだろう、あの香るはずの振りを踊る小春の遊ぶように移ろう腕の動きに目をやるとなぜかいつも訳もわからず泣いてしまいそうになる、そして、雨も降らないでジュンジュンが中国語で歌っているそのとき、絵里ちゃんがその中国語を口ずさんでいるのだ、

10. 愛ちゃんの瞳が見つめるもの

女の子が歌い踊るそのとき、なにを見ているのだろう、なにを想っているのだろう、夢から醒めてを歌う愛ちゃんは天井で覆われたその会場で空を見ているように歌っていた、まるでどこかへ一心に向かっているような眼差しだった、僕は、夢から醒めての愛ちゃんにいつも置き去りにされてしまうような気持ちになる、娘。たちの眼差しも歌声も美しく恐ろしい風のように僕の身体を突き抜けて通過してゆく時がある、僕のなかにとどまらずに、彼女たちの声はどこかへ立っていってしまう、キキが空を飛ぶ時、僕らは空に飛び立つキキをこの地上からいつまでも見守る事しかできないのかもしれなかった、だからこそ、僕らは馬鹿みたいにジャンプをする、おれたちヲタは娘。のように女の子のように魔法で飛ぶことなんてできない、娘。たちはあんなにも地上を踏みしめながらまるで空を宇宙を飛んでいるようだ、絵里ちゃんがマドラスチェックのワンピースを纏いながら静かに僕らの目の前にやってくる時、乙女を宿した腰によって逆上がりができなくなってしまったと嘆く絵里ちゃんのその乙女の重さではなく、絵里ちゃんのふわふわとした乙女の重さを知る、絵里ちゃんは指で透明なハートを創ってそれをふーっと風船を飛ばすように息で吹く、あの時、ああ、絵里ちゃんが飛びだった!と喚き散らしたくなる、おれは絵里ちゃんのボディを心の底から喜んでしまった男の一人だ、絵里ちゃんが逆上がりができなくなったとお話してくれた時、それでも娘。でこんなにも乙女の重力や覆すことのできない乙女である事と引き替えに絵里ちゃんに宿ったすべての乙女の絶対的な法則から絵里ちゃんが自由でいるように思えてうれしくて、その美しさに僕は絵里ちゃんのボディのなかにある痛みを忘れる事ができる、絵里ちゃんのボディに打ち勝つ事ができるのは絵里ちゃんしかいない、娘。たちは乙女の肉体で地上を踏みしめわずかに身体を浮かせては歌声で飛び立っていた、ああ、女の子の歌声はどこからやってくるんだろう、あの美しくかわいらしい萌え萌えな声は絵里ちゃんのどこからやってくるんだろう、絵里ちゃんのなかにしか絵里ちゃんの声はない、あの身体のどこから、そして、あのかわいい声はどこへたってゆくのだろう、僕の目の前で歌っている女の子たちのその歌声をつかまえることなどけしてできないと悲しくなってしまっても、その歌声を捕まえることが出来なくても、心を通過してゆく美しい風でも、それでもあの時、あんなにも僕のなかに娘。たちの歌声は浸みてゆく、女の子たちが集まって踊っては歌っているというその情景は僕がこの世で出会ったもっともかけがえのない美しさだ、
娘。のライブに行くたびに、なんでこんなにも惹きつけられるのかを自分に思考でわからせようとしてしまう、けれども、僕はもしかしたら本当に馬鹿みたいにただ惹きつけられているだけなのかもしれない、こんなにも言葉でみつくろっても、女の子が歌って踊るというその情景に、この世でもっとも美しいその生の動きに、光に衝突する虫けらのように、出会いたいだけなのかもしれない、明日は大宮に行く、なぜなのかわからない、でも、彼女たちの歌う姿に踊る姿に会いたくて見たくてしょうがない、娘。たちのあの光は、この世のどこを見渡しても見当たらない、変わりがない、かげがえない女の子たちの生存の動きだ、彼女たちは、モーニング娘。です、そう僕に名前を言ったのだ、彼女たちの名はモーニング娘。

2009年4月9日木曜日

小春が夢の話をしていたけど、娘。が夢の話をしてくれるのは凄くドキドキします、良く心理を映し出すとか言うけども、そういう意味でなくても、娘。が夢を語っている事だけで感動です、だって、夢って本当にその人だけしか見ないものじゃないですか、だから、その事をお話してくれてる事が凄くやばいです、癒えない夢だって僕はつい先日、森のなかで愛ちゃんにサックスを噴く夢を見ました(泣、リスが3,4匹愛ちゃんの膝とかに居ました。。。なんとなく「サックスってかっけぇなぁ!」とか思ってはいたんですが、まさか森のなかで愛ちゃんにサックスを吹くだなんて。。。それに、その映像がやたらと映画的な雰囲気で、なんか、聞いてくれている愛ちゃんを見ている僕の視点と、僕と愛ちゃんとリスたちを遠くから捉えてる長いショットを見ていたり、不思議でした、サックスを吹いているのに、流れてる音楽にはドラムとかギターとかの音も入ってました。。。それに聞いたこともない凄く美しいメロディの曲で。。。あれでしょうか、女の子の夢のなかでしか流れない名曲とかあるんでしょうか、ジョンフォードの夢のなかでしか上映されなかった映画とか、愛ちゃんの夢のなかでしか幕が上がらないブロードウェイミュージカルとか、夢のなかにしかないものってちょっとセンチメンタルですね。

2009年4月8日水曜日

高橋愛 - Ai Takahashi

愛ちゃんの趣向には強い意味と意識が通っていて、それらに無意味に触れようとすれば、絶対に、彼女のあの愛しい姿は見えてこないと思っていた。乙女の無条件の憧れ程こちらが手に負えないものはない、それに、女の子がリスペクトするものを俺なんかが理解できるはずはないと思っていた、理解できたとしても、それは男の視点で湾曲させた思考のデザインであって導き出したそれが真実だとは思えなかった、彼女の外見のかわいさに見惚れた直後に彼女の内面も外見同様の純真さや意志に満ちている筈だと探りだす男の病、彼女を知りたいと意識した当初の絶望は彼女が結局、米国に憧れる女の子だと簡単に罵って、そんな女の子はかわいくないと切って捨てるあのバカげた連中となんら変わりのない程に、僕は彼女を見てはいなかった事になるのだ。
つい先日の番組で小春はNYPD(ニューヨーク市警)とプリントされているピンクのパーカーを着ていた。そのかわいさや美しさ、なによりおかしさは、きっと、小春がNYに憧れてはいないだろう事を僕が勝手に想像していたという事は少なからず関係していて、小春に「小春!!そのパーカーかわかっこいいじゃんか!NY市警だよ!小春ちゃんニューヨーク守っちゃうのかい!?say!小春ピンク巡査だね!わっははっは!」と言う具合に想像が膨らんで、僕はなんだか猛烈にうれしくてにやけてしまった、しかし、もしかしたら小春が「NYPDでしょ!小春知ってるよ!NYでいちばん強いじゃん!」と反撃してくるかもしれない。。。。NYと女の子というテーマは近頃の僕の最重要テーマである。
書きたいことは、愛ちゃんという存在の愛しさだ、なぜ、時折、僕らは愛ちゃんを小さな女の子のように思えてしまうのか、
俺らがというよりは、俺らが「愛ちゃん!」と叫けびたくなるあの瞬間にはかならず、もう娘。たちの妹のなかの誰かが「愛ちゃん!」と愛ちゃんをかまっているような気がする、福井コンで小春が突然に、「愛ちゃんばんざーい!愛ちゃんばんざーい!」と何度も叫びはじめて、その愛しい声が妹の声なのかお姉さんの声なのかわからない愛しい声だった、小春の声は響き渡り、娘。たちが止めなければ永久に小春は声をやめなさいんじゃないかと思えるくらいの勢いだった、この文章でかろうじてただひとつだけ語りたい事は、リゾナントライブコンの後の居酒屋で、路上で、僕とDさんが語った「愛ちゃん」を知ったその衝撃の事だ、たぶん、ある日突然に僕らのなかに「愛ちゃん」は出現したのだ、それは愛ちゃんを「高橋」と呼んできた僕らだけが経験した洗礼だったのかもしれない、小春に「愛ちゃん」と呼ばれた愛ちゃんは笑っていた、
聞き取れなかったが、笑う愛ちゃんに小春が「なんでわらうんですか〜」みたいな事を言った時に、愛ちゃんは「だって小春、愛ちゃんて呼ぶんだもん」みたいな事を言っていた気がする、感動と興奮のなかだったから確かではないかもしれないけれども、あの女の子を「愛ちゃん」と呼びはじめた人間の言葉を僕は素直に書き留めたい、Dさんが言うとおり、僕らはまだ愛ちゃんに出会って間もないのかもしれない、NYと幼児、リゾナントライブで確かに僕らは、NYのクラブで踊るスーパーガールな愛ちゃんとお風呂から出たばかりの幼稚園児のような愛ちゃんを目撃した、NYガールと幼児、

女の子の写真

戦争映画を観ているとかならずと言っていい程、兵士のなかの一人は女の写真や切り抜きを自分の寝床の壁に貼っていたり、服の奥に隠していたりする。強者になると、壁の女を見つめながら香水を嗅いだりする者もいる。
砲弾の束の間、ギターを抱えた兵士が故郷の女に想いを馳せる歌を奏でたりする。
戦場に人肌のような電波が降り注いで流れてくるのは「リリーマルレーン」。
仕舞いには、隣の立派な無精髭の仲間に「おまえが若い女の子だったらなぁ!」なんて口走ってしまう。
垢と弾薬と死の匂いの奥底でも、女は姿無くどこまでもいつまでも男たちの世界に香ってる。
「君は金持ちなんだな、じゃあ、戦争が終わったらおれに職を紹介してくれよな」。
「戦場で駄目になりそうな時は、わたしの胸の事を思い出して」洋服店で働いていた兵士が接客した奥さんにそう言われたと語る。
映画のなかの壁の女を見ていると、君たちを思い出す、きっと僕は君たちの写真を壁に貼るか、でなきゃ胸のなかにしまっているだろう、そう考えるたびに、一度も戦場に行っていない事が良いことなのかそれさえわからなくなる、そんな時は平和である事を呪ってしまいたくなる、戦争について男が口を出すことの猛烈な情けなさ、語る資格も、なにもないとはじめから切り捨てていた、こんな事を突然書くのは、昨日見た戦争映画のせいなのか、北の塊が日本上空を通過したからか、F22の記事を見たからなのか、そんな事ことわかりっこない、
小春はノストラダムスおじさんは知ってるだろうか、僕はちょうどあの予言が狂言になるか証言になるかのラインを超える時に若造だった、90年代後半、終わりが終わりなく次から次へと生産されていた、学校を休んでいた時、父親に連れてかれたクレーン射撃場で散弾銃が円盤を砕く光景を見ていた、暴力にも満たないなんの意志もなんの軌道もないその拡散してゆく銃弾の強い力は、迷子のようにただ、円盤を砕きつづけてた。

君たちのファンイベントやなんかで君たちに詰め寄るファンのなかに必死で自分も詰め寄るとき、いつもここが戦場だったらって考えてしまう事がある。男の汗臭くて、必死で、死に物狂いで、彼らは君たちに詰め寄る。
君たち女の子は「戦場」を意識する瞬間はあるのかな、愛する人が戦場に行ってしまったらどうしようって考える事はあるのかな。
なぜ、いつも仮想敵に向かって銃口を向けているのか、ずっと自分がわからない、軍パンはたしかにかっこいい、ナチスの尋常じゃないあのステッチ、

君たちが写真になってくれる事に僕はとても感謝してる。

2009年4月6日月曜日

紅玉りんこ (亀井絵里 - Eri Kamei)



絵里が発声!花が発生!!!
プリプリぷるりんプリリズム!オープンジュエルハ〜トお!
うおおおおおお!!!!絵里ちゃんが召還した!!
なにを!?
うおおおおおこれはぁああ!!!!
絵里ちゃんのかわいさジュエルだ!
おれの枯れた土地に降り注ぐ絵里ちゃんのリアルジュエルボイスの数々。。。降り止まぬ声の流れ星みたいだな〜!
涙の星も、笑顔の星も、ハッピーの星も、ポケポケ星も、乙女星も、
絵里ちゃんの声の星がいっぱい降り注ぐ!
そうか!
絵里ちゃんの声は絵里ちゃんの女の子ジュエルなんだね!!
「うん」て絵里ちゃんが相槌してる声を聞いちゃったんだぜ。。。!
日本上空を飛び交ってるのはロケットだけじゃないんですね!
絵里ちゃんのぷるりんロケットボイスだって絵里ちゃんのハートから打ち上げ成功だ!
絵里ちゃんは紅玉りんこって名前の女の子役!
りんこちゃん優しくかわいくてちょっとポケポケしてるかもな雰囲気で絵里ちゃん感ばつぐんな女の子!
でも、絵里ちゃんじゃない女の子、女の子はみんな姉妹なの、でもね、りんこちゃんは絵里ちゃんじゃない女の子、
でも、でも、りんこちゃんは絵里ちゃん、
亀井絵里ちゃん。。。今。。。
あのコの見えるかわいさが見えなくなったとき。。。あのコが声だけになってしまったとき。。。。
あのコの見えないなにかが見えてきた!
サンデーモーニン!絵里ちゃんが絵里ちゃんの声にのってやってくる!
毎週日曜午前9時半!ジェルペット絶賛放送中!!!!!!!!


絵里ちゃんのかわいさにスズメくんたちもごきげんチュンの図

2009年3月31日火曜日

久住小春 - Koharu Kusumi

グルグルJUMPは小春が魂込めてる乙女JUMPINGアンセムなんだ、グルグルJUMPとの接し方でその男の娘。への想いが計れるとさえ思ってる。小春はジャンプする、とても楽しそうに、手を叩いてジャンプして、グルグルカエルのような、僕らがハロモニ。などで何度も目撃してきたあのコミカルな小春の仕草がそのままダンスになってしまったかのような踊りをしながら、そしてまた着陸して、小春は「初恋のようだわ」って歌う、小春はにっこりしてる、小春はとても楽しそうだ、でも、小春たちとJUMPINGするおれも小春のようににっこりしているそれだけじゃだめなはずだ、あんなにも無邪気にただ騒ぐ彼らにとってグルグルJUMPが小春たちとただJUMPをして騒げる曲としてでしか機能していないんだったらそれはもしかしたらもっとも幸福で純粋な事なのかもしれない、けれども、小春のあの姿をあの歌声を見て、涙を堪えながらカエルジャンプをしない人間はやっぱりおかしいと思う。

2009年3月21日土曜日

加護亜依 - ai kago



加護ちゃんのブログのなんて素晴らしい事か、加護ちゃんのブログには振動がある、揺れ動きつづける乙女の素直な波動がある、加護ちゃんの自分撮りの時の表情が最高に好きだ、あの加護ちゃんがそこに居る空気そのものを包んだような四角い小さな画像が好きだ、いつも加護ちゃんはその小さな四角のなかで揺れ動いてる、辿り着いたかのように幸福の対岸からしあわせだという事だけを喚き散らしてはおままごとのように永遠に創造が止まらない物語を語りつづけるあの女の子の更新が訪れた者をやさしくするのであるならば、加護ちゃんのこの言葉の、加護ちゃんのこの瞳の、加護ちゃんのこの振動もまた、おなじように訪れた者をやさしくさせるはずだ、加護ちゃんは物語を語らない、心音を語ってる、加護ちゃんのブログ中には静かに感情が溢れ咲いてる、あのオレンジ色の縁の隅々まで、女の子が幸福だと絶望だと口にする事よりもずっと美しい激情で、ああ、加護ちゃん、きょうも男たちの煙草の灰が誰にも知られずに落ちるんだ、焦がしたのはいつも大切な何かなんだ、どこかで女の子の胸のボタンがはじけるんだ、砂糖が珈琲をずっとずっと苦くするんだ、加護ちゃん、加護ちゃん、加護ちゃん、君の瞳がまえよりもずっとやさしいうるみだしてる、マリリンモンロー最高だよ、加護ちゃんならあのかわいい口調のものまねだってできると思うんだ!、ハワード・ホークスっておじさんの「紳士は金髪がお好き」は観たのかな?、僕は数日まえはじめて観たんだ、僕ら男は君たち女の子には敵わないんだよ、加護ちゃん、出来ることなら「帰らざる河」のすべてを君に捧げたい、プレミンジャーっておじさんが監督の映画だよ、モンローを救うおじさんはロバート・ミッチャムて言うおじさんだよ、ミッチャムはね、俳優になるまえ、季節労働者だったんだ、加護ちゃん、ミッチャムは季節労働者だったんだ、そしてね、スターになったそのあとでも彼はその空気をずっと持っていたんだって、ウォルシュおじさんが言ってたよ、加護ちゃん、加護ちゃん、春が君にやさしく訪れますように、

2009年3月16日月曜日

ツアー稽古をしている娘。たちがパジャマのようなふわふわのタオル地のジャージに身を包み佇んでいる姿を見るたびに、なぜかそれだけで涙を堪えなければいけなくなる事がある、運動をする領域を前提に編まれたジャージの安堵の密着よりも、まるで娘。たちが部屋着そのままに娘。の振り付けの稽古をしているように思えるからだ、この娘。が纏う糸の移りは、永遠と途切れない糸に護られているように思える、だからこそ、ステージ衣装が部屋着がそのまま姿を変え、衣装が絵里ちゃんの皮膚から織られたかのように思えてならないのだ、肉体を綺麗に納めるサイズ感や曲調の物語を織り込んだデザインよりも大きな力が、娘。たちの息吹によってはじめて生まれているように思える、小春を覆う衣装のおかしさはきっと小春が衣装をそうさせたに違いない、小春vs帽子
つまり、衣装と肌と意識が一変に織りなすような事、参照画像、つんく憮ログから

2009年3月13日金曜日

亀井絵里 - Eri Kamei

亀井絵里 - Eri Kamei

高橋愛 - Ai Takahashi

Take off is now.

そんなの踊って忘れるわ、さ、踊りましょ

2009年3月12日木曜日

この子はこんなにも幸福を形或る見えるものとして語り写す事が上手だったのかと戸惑う。
誰かを自身の魅力に招く行為自体をこんなにも意識的にできる女の子だったのかもしれない。
ただ、僕が会うことのできる場所では、それを求めていなかっただけなのかもしれない。
こんなにも貪欲に、幸福を欲しがる女の子だったのか、幸福であるという事実だけでは飽きたらずに、それをこんなにも確かな意志で、言葉で、世界に語りかけるのか、
幸福の騒音。あたししあわせなの、あわしこんなにしあわせなの!、あたししあわせの、そうやって歪んだ感情でこの子のブログを見てしまう自分は恐ろしく歪んでしまったと思う、感情が性格がではなく、ただ、この子への視線と愛だけが大きく。
この子たちに出会った時から、不治の病のように、それでも僕は二人を比べてしまうのか、二人のブログを毎日見ていると、
微笑みから洩れていた八重歯のすぐ側で唇を噤んだいた女の子の瞳をいまだに思い出してしまう。

2009年3月11日水曜日

なにも書けなくなったペン先のインクの瘡蓋を紙に幾度も刺して剥がすんだ、黒が滲み出た時にはもうなにも書けなくなっていても、ただ真っ白な紙を汚してしまうように染みこんでゆくだけでも、僕は君たちに言葉を書きたくて、
、溶けてしまった砂糖がずっと珈琲を苦くしてしまうんだ、
男たちの煙草の灰が、また静かに誰にも知られずに、床に落ちる、床に落ちるんだ、落ちたその灰が焦がしたのはいつでも見えない大切なものだった、すぎてゆくんだ、冷めてゆくんだ、落ちてゆくんだ、終わってゆくんだ、そうやって、こうやって、僕は君の写真を壁に貼った、この世界では男の部屋の壁には女の子が張られてる、捕虜たちがシラミを洗い流す隣の女の捕虜たちを覗くために支払うのはタバコ一本で10秒だ、
今もこの時も君たちの胸がこの世に存在するなんて、君たちのあの瞳の輝き、君たちのあの身体の小ささ、君たちの腕、その肩幅、
手のひらの感触を超えて君たちの瞳の熱がずっと僕のなかに残ってる
身体的な接触よりも、瞳に燃える命が、君たちの瞳のなかに湧くリアルな希望の輝きが、水面でも粘膜でも宝石でもこの世の輝くすべてのものが持ち得ない輝き、乙女の女の子たちの瞳だけが輝かすことのできるリアルなキラキラ、まるで、まるで、君たちの瞳だけが君たち女の子への入り口みたいだった、甘く開かれた唇に指を入れても、完治しない永遠の傷口のあの粘膜が僕を包んでも、到達できない、瞳の入り口、君たちの心が波打ってる瞳の鼓動、瞳の輝き、輝き、月と太陽が交じった色で白い空に褐色の上がっている、まあ、ああ、ああ、君たちの輝き、あのねあのねわたしこんなに幸せなの!って騒ぐ女の幸福の騒音と、僕はこんなにも絶望しているんだ助けて助けてって喚く男の絶望の騒音が行き交うこの世界のなかで、すべてがかすれてゆくこの世界で、放した手よりも、放した瞳の名残を探してしまう、
光も音も通さない場所にまでだって、なにも到達できないその場所にだって届きそうなその輝き、
君たちだけが到達している、ああ、君たち乙女の瞳の航路!、僕の瞳ではなくどこかを見ていたその輝き、
あの輝きのきらめきのひとかけらでさえ、君たちの意志でもなくただただ輝いているのだとしたら!
ああ、ゆきたい、ゆきたい、君たちは向かうだろう、君たちの瞳の輝く方へ、君たちは向かってる、君たちはなにを見ているの、

2009年3月5日木曜日

気が変になる、ずっとそう思ってきた、あの女の子たちのかわいさに触れるたびにそう思ってきた、いつ来るいつ来るとそう思ってきた、社会の構築に紛れ込む文明的な意識を最低限捨てずに身を置く、片脚を文明にもう一方を剥き出しの真実に、陰と光、そのどちらもあきらめられず、なぜ、こんなにも人は人を思う事だけを宿命付けられているんだろう、馬鹿みたいに、なんで想ってしまうんだろう、少女だと思っていた女の子が母親でも少女でもある事がわかったこの晩に、やっぱりこの世界では女の子がいちばん美しいと思う、恋や愛というかたちの見えないなにかをそれでも見つめて求めてその視線だけで女を見つめていた昨日を僕は恨むこともできないくらいにその美しさに打たれる、自分の実態も見つけられない、不在、逃亡、さゆは鏡に映るそのかわいさを自分の声の中にもちゃんと見つけられるだろうか、声に仕草をつけるさゆに握りしめられたその声のさゆの歌声を響かせるスピーカーにコースをを声の音程という

2009年3月3日火曜日

おれみたいな病気みたいな人間があんなかわいい女の子たちの手に触れて見つめ合って言葉を交わすことなんてできないはずだ、かわいい事で頑張ってる事でそこに居る女の子にかわいいねとかがんばってとか何もいえないはずだろ、おれに何がいえるんだ、もうとっくに諦めた女の子との距離だったじゃないか、女の子は遠くから見つめるものでいいっておれ誓ったじゃん、求めちゃいけないんだってFCの申し込みをする時にはどうせ当たりはしない当たったら行けたら行こう自分の生きてる姿の多くを大げさに考えずにすましてやりすごせばいいって思ってたどうでもいいもうどうでもいいどうせ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ勝手に生まされたんだから楽しませてもらうなんだっていい手と手が触れること握手何十センチの距離に女の子のかわいいその顔がその顔が2日間で僕は何人の娘。とそんな体験をしてしまったんだろう、ドキドキして恐くてうれしくて寝れなかった、女性の近くに居るだけで顔が赤面して火照ってしまう自分だから顔が赤くなったらどうしようとか、服はどうしようとか、こんんなに悩んでもその一瞬で自分の事なんてちゃんと娘。たちが見るはずがないとか、僕の手はいつも冷たいから驚かせないだろうかとか、ずっとなにを言おうか風呂場で練習をして、弟に写真集を持って顔にあててもらって擬似体験をしたり、僕の手に感覚が残っていない、僕はどこまでも眼だけの人間なのかもしれない、娘。たちの小ささ、僕は勝手に絵里ちゃんを創りだしていた、絵里ちゃんの身体はムレムレではちきれんばかりのリアルボディでって、けれど、目の前に居た絵里ちゃんは小さな女性だった、本当に小さな女の子だった

2009年2月23日月曜日

あたししあわせあたししあわせあたししあわせあたししあわせ、君のあのかわいい唇が口にするのはもうただそれだけ、あのかわいい指が打ち込むのはもうただそれだけ、君の娘には八重歯は生えているのかって僕の質問にも答えない、君は幸福に関する質問にしか答えないつもりだ、君の幸福騒音がとどかない絶対の絶望まで僕は逃げ込むだろう、君はきっと、僕が僕でなくなるその瞬間まで静かに僕を追い詰めてゆくだろう、君は一切手を下さず、ただしあわせなのって言えばそれだけで僕にとっては致死量だ、君がかわいく下を向けばそれだけで僕にとっては生きる理由だった、君は知らずに、君は僕が君を思うどんな事もいつだって、僕は一人で全部やってきたんだ、君を見つけたのも僕ひとりで、君に恋したのも僕ひとりで、全部僕が一人でやってきた事なんだ、君を忘れ去ることだって僕ひとりでやらなければいけない、君の目頭を
君は僕が抱いた君と僕の物語を完全な君の物語で葬り去った、君は君自身の言葉で僕が話した君を葬ってゆくだろう、物語りも言葉ももう消えうせた、君はただ僕から奪いつづけるだろう、僕は本当に生きてる心地がしない、
幸福の騒音に黙る事しかできなかった、いつもそうだった、物語のなかで、幸せだという事を幸せなのと呟く女の唇の光沢が気色悪かった、

泣いちゃうかものイベントに当たりますようにと最後の2枚のうちの一枚を申し込んで、弱虫を聴きながら寝ようとした時、ガキさんとさゆの歌声に愛ちゃんの娘。たちのコーラスに、この女の子の歌声の結晶の森に、ああ、なぜ、こんなガキさんの歌声をさゆの歌声をおれなんかが聴く事ができるのか、これこそが幸福というものなんじゃないのか、そう思えた、女の子の声、それだけを聴くこともおれには難しい、だのに、ちちんぷいぷいの空間に居たガキさんと小春はやっぱり降り注いだとか出現したとか、そういう言葉でしか言い表せない輝きだった、小春のあの大きな瞳がめいいっぱい開かれて世界を凝視している時、僕は、なにもわからずになにかをわかったような気がして穏やかになれる、

2009年2月15日日曜日

やっぱり小春はめちゃくちゃおもしろい、例えば、今日という何気ない日に小春に会えて、小春を見ていると絶対に大爆笑してしまう、ここジェリールイスの映画を何本か観た時よりも、あの子の帰還とともに変顔が過剰に繁栄していた時よりも、小春はダントツでおもしろい、ちょっと娘。に爆笑することについて考えてしまったりしたのだけれど、やっぱり小春が僕に食らわす笑いは他の誰よりも純粋なものだと実感できた、というのも、あの子が意識的に変顔をしてみせて僕を笑わせてみたりするのと小春の顔に笑わされるとはもうレベルが違うのだ、笑わせる意識や笑いたい!今おもしろい事をやっているよ!という意識のない(もちろんある時もあるだろうけど)小春こそ今おれにとって世界一おもしろい存在、世間はお笑いブームとか言ってるけど全部適応できなくて、なにがおもしろいのかわかんないし、ああ、もう近頃は音楽とか漫画とか映画とかなにか新しいものに触れるたびにあんまり絶賛できずに興奮できずにいて冷めてるとか言われてしまう自分にとってはやっぱりお笑いとかいまいちわからん。。とションボリしてしまうことがあるのだけれど、ジェリールイスの身体的歪みや行為の歪みもおもしろいけども、やっぱり小春の動作の方が断然おもしろい、それこそ、小春がなんかすごくおもしろくない?!みたいな空気感に娘。が包まれるあの瞬間が大好きで、愛ちゃんとかが小春!かわいい〜!とか絵里ちゃんが小春の自然児ぶりに嫉妬でもしてるかのような突っ込みをする声がその空間の隙間に流れ出している時には、ああ、おもしろいし最高にかわいいなぁとほのぼのしてしまう、ハワイDVDで大地とひとつになる小春にも感動と大爆笑だったけれども、サーフィン指導の怪しいへんてこな現地人トレーナーに「マイネームイズ小春!」と自己紹介をした小春には大爆笑しながらもやはりなにか大きな感動を覚えてしまう、

2009年2月14日土曜日

女の子の事や、自分の事、好きな映画や本や音楽でもいい、なにかを書くという行為を自分が行ったときにはもうそこに残るのはおぞましさだけしかないように思えて、それだけを意識するようになってからは、もうただひたすらに黙り込んでしまうしか術はなかったのだけれど、
近頃はもう本当に日常のなかでなにかを書き留めるという気持ちも起こらず、一切の感情の証明が自分のなかに発見できる瞬間が完全に消滅してしまっているようでとても気色が悪い、それだって悲しいわけでもなんでもなく、ただ気色が悪いという肉体的な違和感に近く、精神的なものではない、27年生きてきた訳だけれど自分を自分として癒着していた肉体と精神がバラバラになっているような気がする、ちょっとおかしい、もっとも自分を自分として存在させていた感情や精神の不在は無機的な死のように終わりなくただ体内に充満している、一週間まえに患ったインフルエンザは非日常の熱で、その高熱の過ぎ去った跡に自分に残ったのはあまりにも冷め切った意識だけだった、人間的なすべてを高熱に奪い去られたように思うのに悲しくもない、温度計で体温を測ると35°度を超える事はなかった、自分の平熱がこんなにも低体温だったのか、そうなってしまったのかわからない、この冬、その手がかじかんでいた事にも気づいていなかったみたいだった、プラスでもマイナスでもない瞬間だけが浮き彫りになってゆく日常のなかでどうにかリハビリ的に本屋に行って各専門誌を立ち読みしてなにかに興味を持とうとしてもなにも突き動かされることはない、誰かが新しい音楽に触れて歓喜している時に自分は人間が音楽を聴く事そのものを放棄している、すべてが異常に虚しくうつる、映画だけはかろうじて見つづけているが、それらの歓喜の感激は以前とはまったく異質のものであり、人間として映画を見ているのかわけのわからない存在として映画を見ているのかさえ検討がつかない、この歓喜が正しいものであるのかわからない、映画に限らずあらゆる主人公に人物に感情移入できない、意識的な冷めてる状態ではなく本当に冷め切っている、なんてつまらない存在かと思う、それでも娘。だけはどうしても気になって、画像ひとつ見るだけでも感情を大きく揺さぶられてしまう事がわかっていても、その美しさにとりつかれることは避けないでいられる、

2009年2月13日金曜日

切なくなるのも苛つくのも感動するのも感傷も疲れる、感情すべてを疑い始めてる、インフルエンザはたった2晩で治った、僕には語れる程の日常も物語も誇れる怒りもない、それでも残り火みたいに灰になれずにある感情がそいつらが疼くような一瞬がタバコの灰が落ちるみたいに漏らしてしまう事だけを避けるだけに力んでる、毎日が静かに終わってゆく事を願ってしまっている、バイトや勤め先で知り合った女の子の事をバイトも勤めてもいないのに想像してる、バイト先で知り合った女の子の本棚の事を想像してる、ハチミツとクローバーが全巻あったら僕はきっとその子を嫌いになるだろうな、aiko、きっとすぐに恐くなるだろうな、女の子の本棚にNANAを見つける方が気が楽だ、好きな俳優はって聞いたら加瀬くんだなんて言うのかな、赤西や松潤だったら気が楽だな、各種の専門雑誌を読めば今なにが新しい歓喜なのかって説明文つきで陳列されていて、それらをチェックしなきゃしなきゃって強迫観念のようにじわじわと迫ってくる、本屋は思考の空白を許さない、それでも、馬鹿みたいに嗅覚をふらつかせて一日に吐き出していいわずかな金を払って、またなんでもないなにかに手を出してしまう、ああ、これもおれにはしっくりこなかっただなんて絶望する事に金を払ってしまう、10年もまえの雑誌や漫画や音楽を聞くのは疲れない、こんな雑誌もう誰も読んでないだろうしなにも考えなくて済むって覚えればそれでいい、

2009年2月10日火曜日

娘。の肉体の在り方。
驚愕すべき小春という存在。

小春は一種の肉体と声の動作とが完全に連動している女の子なのかもしれない、それも意識と無意識との葛藤さえ見えない領域で自然に起きているように思えてならない。
マイネームイズ小春うー!と自信満々に自己紹介に動き叫ぶ小春のその動作は、身体の動きと声の動きが
まったくズレテいない、肉体が声に引っ張られることや、声が肉体に引っ張られることは、
声を肉体を意識的に駆使しようとする女の子には多々あることであるのだけれど、小春はそうした崩壊がまったくなくその瞬間のなんと瑞々しく輝くことか。
娘。の素晴らしさは、やはり、この声や肉体との関係性にあるんではないだろうか、
つまり、意識としての動作の領域ではない瞬間の動作をかき消すことの少ない女の子たちなんじゃないだろうか、これは、所作といわれるものでもそうだが、女の子は動作を取得するのだが、それは直接異性への力である所作もそうだし、生活の所作もそうだが、なぜか、娘。たちは、そうした所作の領域でない、
もっと動物的な成長過程で絶滅しかねない動作を無くすことなく存在させているんじゃないだろうか、
小春の歌声のほとんど声の力を超えたかのような肉体的とも言える躍動はそのまま、小春の肉体のあのおかしくて最高にキュートな動きと連動しているんじゃないか、小春の身体の動きや声の身体の純粋さは出発が無いことだ、これは、辻加護がダッフンダなどのコメディ俳優やダンスやなにかしらの記憶から動き出したのに比べるとまったく自然現象的に小春から巻き起こる現象であり、それは例えば男が意識的に身体のバランスを歪ませる、ジェリールイスやチャップリンやユロ氏の継続でああったはずの辻加護のコメディ激情などではなく、それをあんなにもかわいい女の子がして見せるというのが衝撃だったという衝撃を通り越して小春普通におもしろ過ぎるのだ、辻加護は意識的に変顔をしてみせていたが、小春vs辻加護という構図を頭に抱く人間はあまり多くはないのかもしれないが、辻加護不在の今、現実に、小春は一人がち状態なのだ、小春は無意識のうちに変顔になってるのだし、小春の身体はきょうも無意識のうちに小春に脅威を抱くことのない女の子は
うんざりだ、いつだってそうだ、この世界が彼女に向けて賛美の言葉を放っていたあの頃だって、彼女を語ることのできた言葉がどれだけ在ったって言うんだ、いつもおまえらは言葉を吐けば吐くほどに彼女の美しさを言葉によって台無しにしてる、悪意もろくに吐けないのか、彼女に対する愛も絶望も怒りも、おれ以外は容易く言葉にできるはずがないんだ、虫唾が走る、これは最早意識の問題じゃない、細胞の領域でおれは彼女を語るための器官を持っている、貴様らのように昨日今日の粗末なお手製のモンとは違うんだよ、
このスーパー袋をさげてる目の前のクソ婆でさえも彼女に罵倒の言葉を持っているのかと思うと苛々する、この世界で彼女をもっとも恨んでいる男はこのおれだ、彼女の目頭の粘膜の露出度を定規で測っては悦に入ってる判決精神異常者の提出データの止まない騒音にも、彼女がリボンを髪に飾るみたいにとても無邪気に幸福を身に飾ってゆくようなブロ愚の更新に苛つく者の液晶画面を睨みつける眼球猟の濫獲にも、ああ、うんざりだ、うんざりだ!、それで!、あんた彼女のなんなんだよ?、
問題は彼女を女として見られるかどうかだ、あれは女のなかの女だ、女という生き物が数秒のうちに本能で選ぶすべてを迷いなく本能で選びきっている、欲しいものだけで世界を満たしてゆく、あれこそが女だ、ガキの女が人形が欲しいから葬式の最中にもかかわらず「人形!人形!」って泣き散らすその本能のままだ、それは粘膜に吸収されずに残ったもっとも女の女たる鼓動だ、
肌を肌として見ず、命を命として見ず、彼女の視線を、彼女の感情を、彼女の呼吸の香りを私は嗅いでいない男のいちばん酷いヤツだ、彼女の口臭は甘くはないだろうに、私は彼女の息に果実を思ったもっとも酷いヤツだ、この女の有機的な生の活動の毎秒によっておれは無機的死をそのたびに迎えている、感情など果てて気だるさだけが残る、嘔吐、それも、あの老廃物を吐き出す類のものでなく、透明な嘔吐だ、魂そのものを吐き出すかのような嘔吐、彼女を愛するために用いる手段を模索している神経の着付けに聖も性も見境なく彼女に着せる事に疑いもなく没頭していけば辿り着くのは彼女の八重歯だろう、その八重歯にこびりつく微生物のダンス、純粋と淫乱の両性を彼女がまだ天秤なく併せ持ちひとつの肉体に不完全なまま高潔な無意識で守り徹していたあの彼女の幼少期の躍動、夢想も膨らむだろう、こうして、感情の蘇生を試みても、彼女に抱いたあの人間的な感情の頂点を今再びと思えば思うほどに感情の不在が返事を繰り返す、血のない反応、人間的な行為に停留しようとするこの肉体のこの拒む痙攣に身を委ねていれば悪意だけが目を覚ましはじめる、だからこそ今もっとも彼女に対する私の美しい愛情があるとするならば、彼女を意識さえしないまったくの無へと選ぶことなのだ、彼女が再び姿を現した時、彼女はそれを無意識のうちに心得ていた、驚くことに彼女はその身を守ることを本能でやり遂げていた、つまり、彼女は私が行為を抱くことのない存在へとついに造形的領域で到達していたのだ、彼女が私に行ったもっとも酷い仕打ちは股を濡らすことでも私以外の誰かを愛する事でも突如子供を授かり姿を晦ましたことでもない、八重歯を葬った時のように再び私が愛していた彼女のもっとも愛くるしいあのなにかを葬ったことにあるのだ、人間的な範囲の行い、すなわち、惚れた腫れた孕んだだのなんだのはどうでもいい、恋だの愛だのその領域など私の愛情ですべて凌駕していただろう、彼女は、私が造形主義者だと言うことを知っていたのだ、彼女のかわいさこそを私が愛していたのだと、人はなにも変わっていないと言うかも知れない、しかし、私にとっては、彼女は完全な変貌のなかに逃げ込んだのだ、私がもはや、彼女に立ち入ることのできないように、彼女は、それを遂行している、彼女の愛さないでほしいという暴力と私の愛せはしないという暴力が身を結んだのだ、私たちは、はじめて、互いを愛しはじめるだろう、彼女の有機的な生がなおも私を無機的に殺しつづける、そして、彼女がまるでアクセサリーのように背におぶるあの生きる塊の歪な躍動のおぞましさ、あれがそうか、こいつらの幸福の姿そのものだったのだと、気がつき、私は軽くなる、蠢くまるっこい塊が睨むだろう、吐き気が毀れるだけの光景だけを彼女が輝かし、彼女はついにおれの愛情から逃げ切る事ができる、彼女が、私があれ程までに愛していたあの輝きをそれでもなおも抱いていたのなら私は発狂していたのかもしれない、彼女は彼女の命も救い、そして、私の命をも救ったのだ、彼女の無様に露出した目頭の粘膜のうえに幸福がいっぱいに艶めいている、ああ、露出する裸な粘膜のその色、彼女の肉体を徐々に、トレースするように鮮明に繊細に高密度の顕微で見渡してゆくのは悪意の挙動だけが絶滅する正義を土から掘り起こす事だろう、39℃の熱の旅の最中に覗いたあの女の幸福の吐露の生臭い歓喜の全容におれがなにをもよおしたのか、それはときめきでも憧憬でも切なさでもなんでもない、そんな人間的な美しいものじゃない、ああ、吐き気だ、感情的な流血ではなく、臓器が直接ただ痛み出すその辛辣だ、ああ、吐き気だ、動物的な信憑、その痛みの真実、その事実だけがそこには在った、魂は傷がつかないように一瞬の切除でその肉体から摘出して大事を免れることのできる人間も居るだろう、だが、私にはそんな優秀な免疫はない、聖人の領域にまでその身を絞り、彼女のすべてを願い通りに白く輝かすような儀式の方法も知らない、私は、ただ、こんなにも彼女を愛することを失っただけの男なのだ、それ以上でもそれ以下でもない、私は、誰かを、なにかを、愛することを失った、ただ、それだけの男なのだ、そして、これは永遠の呼吸だろう、この吐き気だけが私の永遠なのだ、

2009年2月8日日曜日

女の子の習性というか、乙女チックぶってる男でもわけはわかっても到達できねぇ仕草で近頃愛しいなぁこの野郎って思っちゃうのは、かわいいものを集めるかのようにとても無垢に純粋に幸せを集める事ができる事なんじゃないかって事で、

2009年2月6日金曜日

2009年1月29日木曜日

この女の子たちのすべてを語らないために



18時まであと9分!
きょうはおがわっしょいが出るぞ!おがわっしょいの存在証明いかに!愛ちゃんのかわいさ証明花火!もうすぐはじまるぜ!
(18時からのと20時からのを二回観よっと!)

ああ、愛ちゃん、なんてすばらしいんだ、愛ちゃん、君はなんて素晴らしい女の子なんだ。


「RKOの「赤い矢」のためにユタ州でロケ地を物色していたとき、あるとても高い丘の上で、
ウォルシュに行き遭ったことがあった。
ウォルシュも同じように、二十世紀フォックスの西部劇「ながれ者」のためにロケハンをしていたのであった。私たちの会話はこんな調子だった。

「君の方のスターは誰だい?」(ウォルシュ)
「ロッド・スタイガーですよ。あなたの方は?」(フラー)
「ゲーブルさ。で、どんな話なんだ?」(ウォルシュ)
「南北戦争の終わりに、一人の敗残兵、つまり、南軍兵士のスタイガーが西部へ行き、スー族のインディアンになって、憎きヤンキーどもすべてと戦うっていう話なんですよ。あなたのは?」(フラー)

「まあいいじゃないか。どうだ、ひとつ話をとりかえないか。なに、君がまた別のを書けばいいさ。」(ウォルシュ)

これこそがウォルシュ的ユーモアというべきものだ。
彼は私に、両腕を伸ばして十字の形をつくるような格好にしろ、と言った。
それから背中合わせに、尻と尻をくっつけて言った、
「腕と腕の間のものは、一つ残らず撮れ。」
そして自分も両腕を突き出して、こう付け加えたのだ、
「俺もこの腕の間にあるものは全部撮るから。そうして、毎日ここで会って、昼飯を食おうじゃないか。」」
一瞬だって気が抜けない、それはもうほとんど脈略なしのあらゆるところに咲いちまってる、
湧き出る源流が目に見え触れられるようにわかる瞬間を、知っている瞬間をなぞるような安堵も、
信じたがる神話の蘇生の瞬間も到達できないような、
なにも佩びない純粋な神話だけが永延存在してるその時間だ、それも、あるべき場所にあるんじゃない、
唇に歌があるんじゃない、その境界線も存在の所定も、
純粋が出現するべきではない瞬間に奇跡のようにひょこっと顔を出す、



捨てられない感情を視界の呼吸困難で救い上げようとせがむ僕に君はあの頃と同じように、絶対の冷たさで通り過ぎていった、
早すぎた絶望が遅すぎた欲情を覆い尽くしてしまうなんて、そのほつれてゆく感覚まで、美しさに噛みきはじめるだろう、

彼女たちが、その肉体を

彼女たちがあらかじめ決められ創造された物語や言語や仕草の、
なかにその命ひとつで飛び込む時、
世界観の本来の正しさは奇跡的に大きく揺らぎはじめる、
初めから死んでしまっているような世界観にあっても、
娘。が歌い踊る時、原形の跡形はない、


手話的な意味をあつらえたはずの振り付けさえ破線する肉体の連即に
激情に駆られた憎しみの恋沙汰の言語、
攻撃的なリズム、野蛮で粗悪な幸福、
目に見えるこんなにも生々しい肉体は、さゆにそうさせるさゆの肉、絵里ちゃんの引力、
Dさんが言うれいなちゃんのヒップワーク、
しかし、それらと同じくらいに、見えるはずのないとんでもない力がずっと見えているという実感、
これはなんだろう、乙女の血潮、なんだろう、実像、なんだろう、霧、娘。が見えている、
まるで、さよならと言っているのにハローと言っているみたいに躍動してる、

2009年1月27日火曜日

なら、小春は最初いったいなんだったんだ、この地球の小春の最初はいったいなにが小春の祖先なんだ、小春は、小春が何歳かなんて文明の暦で呼んだってしょうがない、文明を凌駕する唯一が原始の回帰であるなんて言いたいわけじゃない、文明のなかにこそ原始が今も息づいている事実を発見できるかどうかだ、闇の光源にぶち当たる神の眼球との監視からの脱却も以前と関わりを切り裂いて、
女の子の消滅と噴出の大きな警戒に平手打ちをする躍動の希釈は

この乙女たちの息遣いが曲調や歌詞の世界とはまるで娘。の肉体の純粋な神話の出現が、物語や意味をそぎ落とす、性のハザマに

2009年1月25日日曜日

電線がなきゃ、線路がなきゃ、街がなきゃ、興行がなきゃ、あなたに会えない、あなたがどこにいるのかもわからない、
あなたが若い男の子やあの子たちじゃない誰かと一緒にいるだけで胸が苦しい、僕はあなたをこんなにも知らない、
あなたがあんな風に美しく駈けるなんて、あなたがあんなにも小さいなんて、
あなたをこの目で見ることができるのも僕にとっては限りある事だって、あんなにもかわいいあなたを見てはじめて気づいたみたいに、忘れちゃいけない事を思い出すよ、僕は永遠を見つけられない事を知ってる、誰かと写真を撮るあなたはなんでそんなにかわいいんだろう、
あなたの佇まいが好きだ、なぜ集まったの、なぜ一緒にいるの、なぜあなたたちなの、しまっていたあなたのメタリック生写真にカビが生えていたから拭った、いろんな場所から、いろんな人たちから、あなたの姿が訪れる、僕は訪ねるよ、この機械はもうただの機械じゃない、このPCもまたあなたに会える唯一の大切な世界だ、男の子と歩く姿をどこかで見たことがあったんだ、それは、僕の夢で僕の手を握ったあなたの姿だった、

2009年1月22日木曜日

高橋愛 - Ai Takahashi

これはただのドラマじゃない。
燈馬想演じる中村蒼と二人きりで語り合い見つめ合う時の彼女の美しさに彼女自身きっと気づいてない。
瞳や肌や唇、肩から伝わる身体の振動も、彼女はある瞬間に澄みきって彼女そのものでしか息づかなくなる。
いつもそうだ、彼女は与えられる役目や世界を一心に撫でてゆく、けれど、ある領域でかならず、彼女は彼女そのものでそれらの向こう側で輝く、いつもそうだ、あなたはこの世界のなにかと対峙することで、あなたはあなたを見つけるように、とても自然なあなたになる。
こんなに胸が締めつけられるのは、あなたが、いつも、一定の乙女の領域に凝固せずに、揺れつづけているからです、あなたはあなたがわからないと言った、僕もあなたがわからない、あなたは、あなたの美しさは、あなたのその揺れ動く瞬間にある、謎解きも演技も、そんなものどうでもいいだなんて言ったら、あなたはきっと怒るでしょう、けれども、僕は、あなたが彼と見つめ合い語り合うその姿こそを見ていたくなる、嫉妬も絶望も怒りもあらゆる無様な感情よりも、あなたの、あの、瞬間の静けさや、透き通ってゆくようなその姿に魅了されてしまう、このドラマを見て、あなたが演技ができていないだとか、あなたの演技に対する批評をもしも耳にしたり目にしたりしたのなら、どうか、それは賛美だと思ってください、あなたは、たしかにある瞬間に演技の、ドラマの、その世界には存在し得ない存在になってしまっている、今にも息絶えようとするドラマの世界に息を吹き込むのもあなただ、そして、ドラマの息の根を止めてしまうのもあなただ、
今にも息絶えようとしている映画を女が救い出すようにあなたはこのドラマを救いながらもそして、その息の根を、あなたの輝きで奪うようだ、あなたが演じる事はあなたを愛する者にとってこれ程までに大切な事なのだと僕は思い知るだろう、あなたがあなたじゃないなにかを演じる時、あなたはあなたでしかなくなるんだ。
あなたが、与えられた役をただただ忠実になぞってゆくだけの存在だとしか認めようとしない多くの人間の眼は節穴だ。
あなたは役の狭間に他の誰よりも何かをそっとこぼしてしまう、それは、人間の、あなたの真の魂だ、人が他の誰かを演じるという行為が、途絶えることなく生きてこられたのは、そうした瞬間のおかげなはずだ、それも、あなたの場合、意識せずにそれは起きる、あなたはシンデレラにおいても罵倒された、ただ忠実に、シンデレラの役を演じているだけなのだと、つまらないと、あなたの横で他の妹たちが、鮮明な意識とともに役を大きく振り切ってしまうようなアドリブを演じるという事を支配していったその横で、あなただけは
完全な演劇において自らを露出する、あなたは他の何者かに大きく揺れ動く時にそっと自らをそこに出現させる、あなたはNYと呟くだろう、あなたは憧れを超えてしまう事がある、あなたは瞳が強く射抜くその先から大きく揺らいでいる、
あなたの歌声が歌詞の世界をただただなぞってゆくだけの存在だとしか見えないのならそれこそ

2009年1月20日火曜日

では、おまえたちは、泣いちゃうかもが、ただ、娘。たちが世に蔓延る恋沙汰を歌っているだけのように思えてしまう訳だな?
カメラに瞳をやる娘。の瞳がその向こうに見つめているものがただの恋沙汰だと思ってるんだな、
おまえは娘。たちが青空のもとにいるその姿だけしか見ようとしないし求めていないし、娘。が青空のもとで呼吸をしている姿しか美しくないと思っているんだな、おれには、泣いちゃうかもの小春の濡れるような瞳が心の底から恋を見つめているとは思えない、むしろそんな恋沙汰とはまったく異質なものを見つめる視線のように思える、グルグルJAMPの初恋のようだわを歌う小春の瞳とその声の方が泣いちゃうかもよりも恐ろしい視線や意識とは無縁な領域でそうした眼差しが刺さってくる、
泣いちゃうかもの娘。を目のまえにして、「ああ、世に蔓延る例の恋沙汰の歌か。。。」で終わらせるような娘。萌えなんて、
娘。萌えじゃねぇ。
そもそも、娘。がその曲の歌詞の意味を完全になぞって従ってその物語を語るように歌ったり踊ったりした事などない、I WISHの辻加護の瞳の眼差しと、泣いちゃうかもの小春の眼差しのいったいなにが違うって言うんだ?
歌詞の世界観に

2009年1月16日金曜日

亀井絵里 - Eri Kamei

女の子になんて声をかけたらいいのかずっとわからない、女の子にこがれてからずっと、
遠くから見つめていると幸せで、すれ違うくらいに女の子が近づくと息が苦しかった、
女の子のなにもかもが不思議で、光も闇も女の子のものだって思った、この世界のすべてが女の子たちのものだって思った、
かわいいって、きれいだって、キスしたい、抱きしめてしまいたい、殺してしまいたい、女の子に言ってあげる言葉を僕はずっと見つけられない、沖縄の空はとても静かで時が止まっているみたいに緩やかで、

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Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!