2009年2月23日月曜日

あたししあわせあたししあわせあたししあわせあたししあわせ、君のあのかわいい唇が口にするのはもうただそれだけ、あのかわいい指が打ち込むのはもうただそれだけ、君の娘には八重歯は生えているのかって僕の質問にも答えない、君は幸福に関する質問にしか答えないつもりだ、君の幸福騒音がとどかない絶対の絶望まで僕は逃げ込むだろう、君はきっと、僕が僕でなくなるその瞬間まで静かに僕を追い詰めてゆくだろう、君は一切手を下さず、ただしあわせなのって言えばそれだけで僕にとっては致死量だ、君がかわいく下を向けばそれだけで僕にとっては生きる理由だった、君は知らずに、君は僕が君を思うどんな事もいつだって、僕は一人で全部やってきたんだ、君を見つけたのも僕ひとりで、君に恋したのも僕ひとりで、全部僕が一人でやってきた事なんだ、君を忘れ去ることだって僕ひとりでやらなければいけない、君の目頭を
君は僕が抱いた君と僕の物語を完全な君の物語で葬り去った、君は君自身の言葉で僕が話した君を葬ってゆくだろう、物語りも言葉ももう消えうせた、君はただ僕から奪いつづけるだろう、僕は本当に生きてる心地がしない、
幸福の騒音に黙る事しかできなかった、いつもそうだった、物語のなかで、幸せだという事を幸せなのと呟く女の唇の光沢が気色悪かった、

泣いちゃうかものイベントに当たりますようにと最後の2枚のうちの一枚を申し込んで、弱虫を聴きながら寝ようとした時、ガキさんとさゆの歌声に愛ちゃんの娘。たちのコーラスに、この女の子の歌声の結晶の森に、ああ、なぜ、こんなガキさんの歌声をさゆの歌声をおれなんかが聴く事ができるのか、これこそが幸福というものなんじゃないのか、そう思えた、女の子の声、それだけを聴くこともおれには難しい、だのに、ちちんぷいぷいの空間に居たガキさんと小春はやっぱり降り注いだとか出現したとか、そういう言葉でしか言い表せない輝きだった、小春のあの大きな瞳がめいいっぱい開かれて世界を凝視している時、僕は、なにもわからずになにかをわかったような気がして穏やかになれる、

2009年2月15日日曜日

やっぱり小春はめちゃくちゃおもしろい、例えば、今日という何気ない日に小春に会えて、小春を見ていると絶対に大爆笑してしまう、ここジェリールイスの映画を何本か観た時よりも、あの子の帰還とともに変顔が過剰に繁栄していた時よりも、小春はダントツでおもしろい、ちょっと娘。に爆笑することについて考えてしまったりしたのだけれど、やっぱり小春が僕に食らわす笑いは他の誰よりも純粋なものだと実感できた、というのも、あの子が意識的に変顔をしてみせて僕を笑わせてみたりするのと小春の顔に笑わされるとはもうレベルが違うのだ、笑わせる意識や笑いたい!今おもしろい事をやっているよ!という意識のない(もちろんある時もあるだろうけど)小春こそ今おれにとって世界一おもしろい存在、世間はお笑いブームとか言ってるけど全部適応できなくて、なにがおもしろいのかわかんないし、ああ、もう近頃は音楽とか漫画とか映画とかなにか新しいものに触れるたびにあんまり絶賛できずに興奮できずにいて冷めてるとか言われてしまう自分にとってはやっぱりお笑いとかいまいちわからん。。とションボリしてしまうことがあるのだけれど、ジェリールイスの身体的歪みや行為の歪みもおもしろいけども、やっぱり小春の動作の方が断然おもしろい、それこそ、小春がなんかすごくおもしろくない?!みたいな空気感に娘。が包まれるあの瞬間が大好きで、愛ちゃんとかが小春!かわいい〜!とか絵里ちゃんが小春の自然児ぶりに嫉妬でもしてるかのような突っ込みをする声がその空間の隙間に流れ出している時には、ああ、おもしろいし最高にかわいいなぁとほのぼのしてしまう、ハワイDVDで大地とひとつになる小春にも感動と大爆笑だったけれども、サーフィン指導の怪しいへんてこな現地人トレーナーに「マイネームイズ小春!」と自己紹介をした小春には大爆笑しながらもやはりなにか大きな感動を覚えてしまう、

2009年2月14日土曜日

女の子の事や、自分の事、好きな映画や本や音楽でもいい、なにかを書くという行為を自分が行ったときにはもうそこに残るのはおぞましさだけしかないように思えて、それだけを意識するようになってからは、もうただひたすらに黙り込んでしまうしか術はなかったのだけれど、
近頃はもう本当に日常のなかでなにかを書き留めるという気持ちも起こらず、一切の感情の証明が自分のなかに発見できる瞬間が完全に消滅してしまっているようでとても気色が悪い、それだって悲しいわけでもなんでもなく、ただ気色が悪いという肉体的な違和感に近く、精神的なものではない、27年生きてきた訳だけれど自分を自分として癒着していた肉体と精神がバラバラになっているような気がする、ちょっとおかしい、もっとも自分を自分として存在させていた感情や精神の不在は無機的な死のように終わりなくただ体内に充満している、一週間まえに患ったインフルエンザは非日常の熱で、その高熱の過ぎ去った跡に自分に残ったのはあまりにも冷め切った意識だけだった、人間的なすべてを高熱に奪い去られたように思うのに悲しくもない、温度計で体温を測ると35°度を超える事はなかった、自分の平熱がこんなにも低体温だったのか、そうなってしまったのかわからない、この冬、その手がかじかんでいた事にも気づいていなかったみたいだった、プラスでもマイナスでもない瞬間だけが浮き彫りになってゆく日常のなかでどうにかリハビリ的に本屋に行って各専門誌を立ち読みしてなにかに興味を持とうとしてもなにも突き動かされることはない、誰かが新しい音楽に触れて歓喜している時に自分は人間が音楽を聴く事そのものを放棄している、すべてが異常に虚しくうつる、映画だけはかろうじて見つづけているが、それらの歓喜の感激は以前とはまったく異質のものであり、人間として映画を見ているのかわけのわからない存在として映画を見ているのかさえ検討がつかない、この歓喜が正しいものであるのかわからない、映画に限らずあらゆる主人公に人物に感情移入できない、意識的な冷めてる状態ではなく本当に冷め切っている、なんてつまらない存在かと思う、それでも娘。だけはどうしても気になって、画像ひとつ見るだけでも感情を大きく揺さぶられてしまう事がわかっていても、その美しさにとりつかれることは避けないでいられる、

2009年2月13日金曜日

切なくなるのも苛つくのも感動するのも感傷も疲れる、感情すべてを疑い始めてる、インフルエンザはたった2晩で治った、僕には語れる程の日常も物語も誇れる怒りもない、それでも残り火みたいに灰になれずにある感情がそいつらが疼くような一瞬がタバコの灰が落ちるみたいに漏らしてしまう事だけを避けるだけに力んでる、毎日が静かに終わってゆく事を願ってしまっている、バイトや勤め先で知り合った女の子の事をバイトも勤めてもいないのに想像してる、バイト先で知り合った女の子の本棚の事を想像してる、ハチミツとクローバーが全巻あったら僕はきっとその子を嫌いになるだろうな、aiko、きっとすぐに恐くなるだろうな、女の子の本棚にNANAを見つける方が気が楽だ、好きな俳優はって聞いたら加瀬くんだなんて言うのかな、赤西や松潤だったら気が楽だな、各種の専門雑誌を読めば今なにが新しい歓喜なのかって説明文つきで陳列されていて、それらをチェックしなきゃしなきゃって強迫観念のようにじわじわと迫ってくる、本屋は思考の空白を許さない、それでも、馬鹿みたいに嗅覚をふらつかせて一日に吐き出していいわずかな金を払って、またなんでもないなにかに手を出してしまう、ああ、これもおれにはしっくりこなかっただなんて絶望する事に金を払ってしまう、10年もまえの雑誌や漫画や音楽を聞くのは疲れない、こんな雑誌もう誰も読んでないだろうしなにも考えなくて済むって覚えればそれでいい、

2009年2月10日火曜日

娘。の肉体の在り方。
驚愕すべき小春という存在。

小春は一種の肉体と声の動作とが完全に連動している女の子なのかもしれない、それも意識と無意識との葛藤さえ見えない領域で自然に起きているように思えてならない。
マイネームイズ小春うー!と自信満々に自己紹介に動き叫ぶ小春のその動作は、身体の動きと声の動きが
まったくズレテいない、肉体が声に引っ張られることや、声が肉体に引っ張られることは、
声を肉体を意識的に駆使しようとする女の子には多々あることであるのだけれど、小春はそうした崩壊がまったくなくその瞬間のなんと瑞々しく輝くことか。
娘。の素晴らしさは、やはり、この声や肉体との関係性にあるんではないだろうか、
つまり、意識としての動作の領域ではない瞬間の動作をかき消すことの少ない女の子たちなんじゃないだろうか、これは、所作といわれるものでもそうだが、女の子は動作を取得するのだが、それは直接異性への力である所作もそうだし、生活の所作もそうだが、なぜか、娘。たちは、そうした所作の領域でない、
もっと動物的な成長過程で絶滅しかねない動作を無くすことなく存在させているんじゃないだろうか、
小春の歌声のほとんど声の力を超えたかのような肉体的とも言える躍動はそのまま、小春の肉体のあのおかしくて最高にキュートな動きと連動しているんじゃないか、小春の身体の動きや声の身体の純粋さは出発が無いことだ、これは、辻加護がダッフンダなどのコメディ俳優やダンスやなにかしらの記憶から動き出したのに比べるとまったく自然現象的に小春から巻き起こる現象であり、それは例えば男が意識的に身体のバランスを歪ませる、ジェリールイスやチャップリンやユロ氏の継続でああったはずの辻加護のコメディ激情などではなく、それをあんなにもかわいい女の子がして見せるというのが衝撃だったという衝撃を通り越して小春普通におもしろ過ぎるのだ、辻加護は意識的に変顔をしてみせていたが、小春vs辻加護という構図を頭に抱く人間はあまり多くはないのかもしれないが、辻加護不在の今、現実に、小春は一人がち状態なのだ、小春は無意識のうちに変顔になってるのだし、小春の身体はきょうも無意識のうちに小春に脅威を抱くことのない女の子は
うんざりだ、いつだってそうだ、この世界が彼女に向けて賛美の言葉を放っていたあの頃だって、彼女を語ることのできた言葉がどれだけ在ったって言うんだ、いつもおまえらは言葉を吐けば吐くほどに彼女の美しさを言葉によって台無しにしてる、悪意もろくに吐けないのか、彼女に対する愛も絶望も怒りも、おれ以外は容易く言葉にできるはずがないんだ、虫唾が走る、これは最早意識の問題じゃない、細胞の領域でおれは彼女を語るための器官を持っている、貴様らのように昨日今日の粗末なお手製のモンとは違うんだよ、
このスーパー袋をさげてる目の前のクソ婆でさえも彼女に罵倒の言葉を持っているのかと思うと苛々する、この世界で彼女をもっとも恨んでいる男はこのおれだ、彼女の目頭の粘膜の露出度を定規で測っては悦に入ってる判決精神異常者の提出データの止まない騒音にも、彼女がリボンを髪に飾るみたいにとても無邪気に幸福を身に飾ってゆくようなブロ愚の更新に苛つく者の液晶画面を睨みつける眼球猟の濫獲にも、ああ、うんざりだ、うんざりだ!、それで!、あんた彼女のなんなんだよ?、
問題は彼女を女として見られるかどうかだ、あれは女のなかの女だ、女という生き物が数秒のうちに本能で選ぶすべてを迷いなく本能で選びきっている、欲しいものだけで世界を満たしてゆく、あれこそが女だ、ガキの女が人形が欲しいから葬式の最中にもかかわらず「人形!人形!」って泣き散らすその本能のままだ、それは粘膜に吸収されずに残ったもっとも女の女たる鼓動だ、
肌を肌として見ず、命を命として見ず、彼女の視線を、彼女の感情を、彼女の呼吸の香りを私は嗅いでいない男のいちばん酷いヤツだ、彼女の口臭は甘くはないだろうに、私は彼女の息に果実を思ったもっとも酷いヤツだ、この女の有機的な生の活動の毎秒によっておれは無機的死をそのたびに迎えている、感情など果てて気だるさだけが残る、嘔吐、それも、あの老廃物を吐き出す類のものでなく、透明な嘔吐だ、魂そのものを吐き出すかのような嘔吐、彼女を愛するために用いる手段を模索している神経の着付けに聖も性も見境なく彼女に着せる事に疑いもなく没頭していけば辿り着くのは彼女の八重歯だろう、その八重歯にこびりつく微生物のダンス、純粋と淫乱の両性を彼女がまだ天秤なく併せ持ちひとつの肉体に不完全なまま高潔な無意識で守り徹していたあの彼女の幼少期の躍動、夢想も膨らむだろう、こうして、感情の蘇生を試みても、彼女に抱いたあの人間的な感情の頂点を今再びと思えば思うほどに感情の不在が返事を繰り返す、血のない反応、人間的な行為に停留しようとするこの肉体のこの拒む痙攣に身を委ねていれば悪意だけが目を覚ましはじめる、だからこそ今もっとも彼女に対する私の美しい愛情があるとするならば、彼女を意識さえしないまったくの無へと選ぶことなのだ、彼女が再び姿を現した時、彼女はそれを無意識のうちに心得ていた、驚くことに彼女はその身を守ることを本能でやり遂げていた、つまり、彼女は私が行為を抱くことのない存在へとついに造形的領域で到達していたのだ、彼女が私に行ったもっとも酷い仕打ちは股を濡らすことでも私以外の誰かを愛する事でも突如子供を授かり姿を晦ましたことでもない、八重歯を葬った時のように再び私が愛していた彼女のもっとも愛くるしいあのなにかを葬ったことにあるのだ、人間的な範囲の行い、すなわち、惚れた腫れた孕んだだのなんだのはどうでもいい、恋だの愛だのその領域など私の愛情ですべて凌駕していただろう、彼女は、私が造形主義者だと言うことを知っていたのだ、彼女のかわいさこそを私が愛していたのだと、人はなにも変わっていないと言うかも知れない、しかし、私にとっては、彼女は完全な変貌のなかに逃げ込んだのだ、私がもはや、彼女に立ち入ることのできないように、彼女は、それを遂行している、彼女の愛さないでほしいという暴力と私の愛せはしないという暴力が身を結んだのだ、私たちは、はじめて、互いを愛しはじめるだろう、彼女の有機的な生がなおも私を無機的に殺しつづける、そして、彼女がまるでアクセサリーのように背におぶるあの生きる塊の歪な躍動のおぞましさ、あれがそうか、こいつらの幸福の姿そのものだったのだと、気がつき、私は軽くなる、蠢くまるっこい塊が睨むだろう、吐き気が毀れるだけの光景だけを彼女が輝かし、彼女はついにおれの愛情から逃げ切る事ができる、彼女が、私があれ程までに愛していたあの輝きをそれでもなおも抱いていたのなら私は発狂していたのかもしれない、彼女は彼女の命も救い、そして、私の命をも救ったのだ、彼女の無様に露出した目頭の粘膜のうえに幸福がいっぱいに艶めいている、ああ、露出する裸な粘膜のその色、彼女の肉体を徐々に、トレースするように鮮明に繊細に高密度の顕微で見渡してゆくのは悪意の挙動だけが絶滅する正義を土から掘り起こす事だろう、39℃の熱の旅の最中に覗いたあの女の幸福の吐露の生臭い歓喜の全容におれがなにをもよおしたのか、それはときめきでも憧憬でも切なさでもなんでもない、そんな人間的な美しいものじゃない、ああ、吐き気だ、感情的な流血ではなく、臓器が直接ただ痛み出すその辛辣だ、ああ、吐き気だ、動物的な信憑、その痛みの真実、その事実だけがそこには在った、魂は傷がつかないように一瞬の切除でその肉体から摘出して大事を免れることのできる人間も居るだろう、だが、私にはそんな優秀な免疫はない、聖人の領域にまでその身を絞り、彼女のすべてを願い通りに白く輝かすような儀式の方法も知らない、私は、ただ、こんなにも彼女を愛することを失っただけの男なのだ、それ以上でもそれ以下でもない、私は、誰かを、なにかを、愛することを失った、ただ、それだけの男なのだ、そして、これは永遠の呼吸だろう、この吐き気だけが私の永遠なのだ、

2009年2月8日日曜日

女の子の習性というか、乙女チックぶってる男でもわけはわかっても到達できねぇ仕草で近頃愛しいなぁこの野郎って思っちゃうのは、かわいいものを集めるかのようにとても無垢に純粋に幸せを集める事ができる事なんじゃないかって事で、

2009年2月6日金曜日

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Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!