2009年6月28日日曜日

おじぎでシェイプアップ。(ネタバレ注意)

おじぎのなかのれいなちゃんというのは、たぶん、世界に放り投げ出されていたんだと思う、世界っていうのは、あの劇場の地面で、階段で、大人たちで、机で、機具で、照らす光で、つまり世界を形成するれいなちゃん以外のすべてだった、世界にれいなちゃんが存在していることがあんなにも素晴らしい事だって事を、それられいなちゃん以外の、そう、いつも傍らにいる娘。以外のすべてにれいなちゃんは身体中で触れあっていた、スキップして通り過ぎるれいなちゃんの小さく細い腕をさゆがつかまえて引き寄せたとき、れいなちゃんの身体はさゆに触れられたことによって少しだけ浮いてバランスを崩す、れいなの身体が不安定になった、さゆに呼び寄せられて、れいなちゃんは踏ん張った、れいなちゃんはこの世界のなかで踏ん張る、れいなちゃんの決めポーズのように「よし!」って力を込めるみたいに、れいなちゃんがジムのウォーキングマシーンに乗ってよいしょよいしょって歩き出したとき、それは、れいなちゃんの小ささをどこまでも浮き彫りにした、まるで、れいなちゃんが大きなアーマードコアに乗ったみたいだった、この世界のすべてがれいなちゃんには大き過ぎるのかと思ったら急に涙が出そうになった、おじぎでのれいなちゃんは踏ん張っていた、なにかに触れて動き出すごとに、れいなちゃんは「うんしょ」と言う感じに踏ん張っていた、あのれいなちゃんのおしりはもしかしたられいなちゃんがこの世界で踏ん張ってきたもっとも美しい結晶なのかもしれないと思った、まるで、れいなちゃんのおしりはれいなちゃんの浮き輪のように、れいなちゃんに力を与えている、この空気と地面の海のなかで溺れないように、れいなちゃんがなにかに触れるだけでも大変な力がいるんじゃないか、れいなちゃんが両足を上げてベンチを越える時に「ほい」という、あの時、なぜ、おかしさととも涙が心の底であふれたのか、あの壊れそうな程に美しい脚をれいなちゃんがおしりで力いっぱいに持ち上げたときに、れいなちゃんのあの脚はこの世界においてはれいなちゃんでしか在り得ない脚だ、この世界の美しい脚のなかに系統できる生易しい美しさではないはずだ、れいなちゃんはあの脚でれいなちゃんを支えている、あの「ほい」とれいなちゃんが両足を上げるとき、それまでハーフパンツに隠れていた脚もれいなちゃんの肌を滑り落ちて姿を見せるとき、それでもれいなちゃんにとってはあのか細く奇麗な脚は重いのだ、あんな羽のようなかわいい脚が、れいなちゃんにとってはやはり重いのだ、れいなちゃんとプロレスごっこをする妄想をする時おれは、物凄く気をつける、それは加減を忘れてもしも、れいなちゃんの脚におもいっき抱きついたりしたられいなちゃんの脚が壊れてしまいそうだからだ、けれども、れいなちゃんの脚は強靭なのかもしれない、娘。で踊り歌ってる時、れいなちゃんの脚の弱さは影を潜める、いや、おれが忘れているだけなのか、あんなにもか細くかわいい美しい脚がとても強く見える、れいなちゃんはあの脚でれいなちゃんを支えている、おじぎは肉体の力加減だった、「おじぎ」という舞台のなかで、あの時巻き起こっているのは「おじぎ」の角度じゃない、娘。の肉体のあらゆる動きだ、その肉体の呼吸だ、動きが平熱だった、娘。たちのライブでの神懸り的な肉体の鼓動も美しいが、ずっと澄んで静かに躍動するおじぎでの娘。たちの肉体の静けさの美しさは素晴らしかった、愛ちゃんが泣き崩れた時、愛ちゃんの膝は膝の皮膚が完全に広がり白くなる、愛ちゃんの胸は太ももに寄り添い触れて隠れて、顔を覆う両手は顔いっぱいに指を広げた、愛ちゃんのおしりはアキレツ腱に座っていたのか、それは、まだ見ぬ愛ちゃんのボディのヒートだった、愛ちゃんのボディヒートだった、感情が愛ちゃんの全身に稲妻のように光っていた、ああ、言い争いをする主婦の大人の体に挟まれるれいなちゃんのあの小さな体のそれでも強い反発力、それでもれいなちゃんは潰れなかった、れいなちゃんの身体が主婦に触れていた、マットレスを片付けるさゆのフラフラとした体の微動、ゆらゆら帝国のお姫様はさゆなのか、さゆの身体がマットレスに触れていた、ワンピースにヒールという乙女の格好をしていた絵里ちゃんは乙女の姿勢のよさで立っていた、ヒールのあの堅い柱がそのまま絵里ちゃんの背骨に花の柱を貫いたように、絵里ちゃんは美しく立っていた、絵里ちゃんのあのクネクネの動きに芯が通ってしまったように絵里ちゃんの動きは乙女に不自由になった、ああ、でも、でも!,数十秒後には!、その先にベンチにあの大きな腰を休めた瞬間に!いっきに雪崩のように!絵里ちゃんの身体がまた「なまけもの」ように咲き乱れた!、絵里ちゃんの背骨がほにゃ~んと!、絵里ちゃんはヒールが地面に刺さり左右に揺れる事しかできなくなったその不自由なヒールの運動で遊びはじめていた!、ヒールは絵里ちゃんに敗北したのだ、ああ、ヒールで歩いて去ってゆく絵里ちゃん、その、あの、そうだ、ヒールで踊る事よりも、ヒールでただ、女性として立つ事の方が難しいのかもしれない、彼女たちにとっては、娘。たちにとっては、絵里香ちゃんのパンツのポケットの膨らみだった、携帯が入れられたそのポッケはなにやらモコモコしている、携帯を取り出して見せたときに携帯の筐体音の他になにやらガサガサ音がした、もしかしたらあめ玉のフィルムが入っていたのかもしれないし、星のかけらが入っていたのかもしれない、まるで、あの携帯が入っているポッケは絵里香ちゃんの乙女のポッケのようにおれたちには目に見えない大切なものがいっぱいつまっているようにただかわいくモコモコしていた、おじぎで、娘。たちはマイク以外のものに触れていた、歌ダンス以外のもののなかで肉体を踊らしていた、ただそれだけの事が、あの時、この世界のもっとも美しい女の子の祭典だった、彼女たちの髪があんなにも静かに揺れ動くだなんて、おじぎについてはもっと多くを語るべきだ、でも、言葉が詰まる、おじぎ舞台と同じくらいに素晴らしかったあのブログの存在、娘。たちがあの楽屋であんな風に椅子に座っているだなんて、僕らは、絵里ちゃんと愛ちゃんが椅子に、というか、この世界の女の子が、あんなふうに、最早椅子に座っているとも言えない姿勢で休んでいる事を知ってしまった、驚くことに、彼女たちがひとたびなにかを更新するという事は女の子の歴史の新たな領域を認めなければいけなくなってしまう、普通じゃないのだ、彼女たちが生きているというその呼吸の美しさの壮大さ、彼女たちの一呼吸がそのまま男である俺の心臓を鷲掴みにして捕らえる、おじぎを観劇し終えて外に出たら、世界が少しだけ暑くなっていた、また夏が娘。たちによってはじまってゆくのがわかった、そんな風にあの日を思い返した、7/9、おじぎについての文章をどうしても上げたかった、不完全過ぎるが、あとで直しを入れることを前提にアップする。

2009年6月26日金曜日

生活

黒すぎるその黒髪が蒸し暑い外気に櫛通される時に、僕は、あ、幽霊みたいって思った、黒髪の女子高生が浮世絵の幽霊だった、なに色にも染める事のできない年頃の女の子の風貌というのはあまりの強い生気によって、現実的な美しさからかけはなれてもう美しさとも呼べないなにかになってしまっているようだった、黒髪の女子高生の女の子が自転車で通り過ぎるたびに、幽霊が奔るみたいに見えた。
ブロンズ粘土を削っては盛ってさゆの身体を模写している時、自分がさゆのなにも知らなかった事を知った、さゆが「痩せていた」瞬間など今まで一度たりともありはしなかったのだ、嘘だと思うなら、さゆの肉体を模写してみればいい、この肉体のどこが痩せているというのか、こんなにも美しい乙女のあらゆるふくらみの百花が、制作途中、越えられない壁に陥り、ロダンを見てきたが展示されている作品がほとんどおっさんで露骨に強靱な四肢の父性と少年のえぐみがカオスったような膨張に度肝を抜かれただけでまったく俺がさゆを模写している事に直結している像たちだとは思えなかった、そんな者たちよりも、その日、遠足かなにかでそこに訪れていた小学生低学年の女子たちが、ロダンの男性像の群れのなかで暴れるようにはしゃぎまわるその肉体の方がさゆだった、幼少期のさゆの丸みを忘れるなとでも言われたかのようなその衝撃だった、くそでかい地獄の門を見上げる少女たちの群れのなかに俺は佇んで一緒にそれを見た、数十人の女子たちのなかに2人、萌え萌えな女児がいた、決まって、その子たちはどこまでも澄んで静かだった。。。その時はじめて知ったカミーユ・クローデルの方が心底萌え萌えだった、ロダンの部屋に彼女の作品がひとつも展示されていない事の方がよっぽど地獄だと思った、女性の像を造るには、道具をもつ事も、直接、ブロンズを指先で削るにしても、男の指先は堅すぎ乱暴過ぎるのかも知れなかった、女性の指先は肉球や小さな胸のように柔らかさを抱いているのではないかと思えた、その胸がナイフのように鋭く抉る瞬間が残す傷跡のような抱きしめたいくらいの削り痕の美しさは、真っ白に見える女の肌の奥にきらめくあの模様に似て、どこまでも美しかった、まあ、ブロンズ像を制作にするにあたって、直接指でなんか触れないのかもしれないが。。。。制作途中のさゆのブロンズ像は水をかけないとすぐに固まってしまう、数日間放置したら、ヒビが入ってしまった、キッチンペーパーを水で浸して、その衣をさゆ像に着せる、数十分後にはまた、堅かった表面が柔らかくなる、爪楊枝と指で、さゆのブロンズ像を造っている、たぶん、永遠に完成できないと思う、でも俺は、造りたい。

2009年6月3日水曜日

缶ビールを飲んだ、でも、酔ってはいない。
僕は、彼女たちの姿が見えない時間も、彼女たちの声が聞こえない時間も好きだ。
彼女たちがすべてから失踪する、誰もが彼女たちを見つける。
蒸発しないでくれ、原型をとどめておくれ、君の胸を摘みたい、
愛ちゃんはなにをしてるだろう、さゆは起きているだろうか、

2009年6月2日火曜日

Panopticonの脊髄移植

この機械と手を組むことの恐ろしさだけは失ってはいけない、この恐怖に麻痺してしまう事だけは食い止めなければいけない、この事態はほとんどPanopticonの脊髄移植だ、あの卵子のなかを精子が見渡すかのような脊髄を今はもうこの機械に手を触れる誰もが無意識の内に新たな器官のように有してしまう、問題は、光の回線のなかで蠢くすべての粒子が自由であるかのように乱舞しているがそのすべてが何者かによって見つめられている、見つめられることを少しでも願うその粒子たちの蠢きの増殖、監視する事と監視される事、殺すことと殺される事が同時に波打ってる、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!