2009年7月27日月曜日

牢獄にでも閉じこめるかのように、なにかをする事に、絶対に通らなければいけない約束のような仕草を、思考も意識も、ましてや書くこともしないで居るとだ、10日まえのある瞬間からそのまま今のこの時まで、なんら、記憶や感覚もなく、どこまでも静かにからっぽで、ああ、こりゃあ、恐ろしいと思った。

さゆが20になった事がこれ程までに自分に衝撃を与えるとは思っていなかった、まるで、この世界の少女すべてがさゆが20になった瞬間に20を迎えてしまったかのような心持ちにさえなった、おかしい、まるで、少女という存在がこの世界から消えてしまったのようにおもえてならない、さゆが20本のローソクを吹き消した瞬間に少女消滅がこの世界に同時に巻き起こったのじゃないのか、いや、スーパーに行けば、少女たちは無限の水滴のようにそこらじゅう溢れかえりながら躍動してみせてはいる、けれども、さゆが20になったと言い聞かされて、自分は、酷く歳を取ってしまった気がするし、それに、本当に、少女がこの日本からいなくなってしまったような寂しさと、ああ、やっと少女から救われるのかも知れないと思える気持ちとでぐしゃぐしゃになっているのだ、スポーツ飲料水のCMに出てくる少女を見たって、ああ、これは少女ではない、とても、とても、上手に少女を模造してはいるが、これは少女そのものではない、そうか、もう、少女はこの世界には存在しないのだな、だなんて、まるで出来の悪いSFのような台詞で思ってしまう、さゆって言ったいなんて女の子なんだろう、さゆ、さゆ?、さゆ、もしかしたら、誰でもない、さゆによってだけでしか、おれと少女の地獄は完全に終わらないのかもしれないと思った、さゆの20のお誕生日のお祝いの文章を書きためて行く過程で、結局自分は、幼少期のさゆがあのかわいい顔を歪ませて変質者から身を護った事の美しさと、さゆがかわいい顔を歪ませてかわいいという事から一瞬、隠れる事で生存し、だからこそ、20の記念のDVDで、幼少期のさゆがかくしてしまったそのかわいさが20のさゆにある瞬間に、さゆも知らぬ間にさゆのお顔に咲くのだろうとか、さゆはかわいさを少女を護ったのだとか、どうしても、そうした、嫌な、とても嫌な文章しか書けそうになかった、夏にかならず、少女が行方不明になる、たとえば、不思議の国のアリスは周到なお菓子でできた犯行招待だ、しかし、その声明文をこの世界でもっとも愛するのが狙われているアリスである事の絶望からは誰も逃れられない、驚くことに、少女たちの欲求のなかには、紛れもなく、不思議な、少女たち以外の人間からはただの汚物にしか見えないような物事も人物も、彼女たちは見つめ、愛するまではいかなくとも、心のなかに受け入れてしまいたくなる、それ、がたしかに存在している、さゆという女の子の歴史はそのまま、この俺の少女傾倒の歴史のようなものだった、さゆの誕生日の日に、何年かに一度会えるかどうかってぐらいの美少女に会ってしまう恐ろしさをやっぱり自分は因縁めいた物語として創り上げてしまいそうになる、どうやってただの出来事だって片付ければいいのだろう、自分はもうとっくに娘。によって少女傾倒からは救われていると思いこんではいたが、さゆの20のお誕生日付近から、こうした自らが行ってきた行為を今一度知らしめさせられている、あの時、さゆが身を守ったのは紛れもなくこの俺のような男からに違いないのだ、媒体に露出してゆく少女の名に疎くなっていたからと言っておれが、少女から逃げ切れたとは言えなくなってる、ハロコンというのは、女の子たちが一斉にこちらを向いて、その肉体で瞳で正面衝突してくる恐ろしい瞬間だ、夏の、それも、規模がそれほど大きくはないホールでそれを体験するとき、自分は、女の子によってあらゆる最終判決をされているように思う、まいまいの冷たい瞳をやばいとか美しいとかおれは呟く、それに、愛ちゃんの黒髪はまるで愛ちゃんの裸のようだ、とも、愛ちゃんの瞳があんなにも美しい色をしていたのか、愛ちゃんの唇の生命の色があんなにも鮮やかに、絵里ちゃんが近づくカメラに腋を狙われて、だめ〜、と照れながら叱るような仕草をしてくれた時、絶命しそうだと騒ぎ立てながらありったけ生きちまう、腹が減ったら飯を食らうように、勃起したら抜くように、書くという行為がなにか、自らを鎮めるためにしか存在していないかのように、書く行為を遂行している時に露わになる人格とでも言うのか、書くという行為を特権化し神格化している自分の文章はやはり、娘。のそばにいてはいけないものだろうと思う。
この世界や自分がいかに歪んでいるかという事実を心臓に塗りたくって嗚咽していても、だが、その世界にしか娘。は存在しないし女の子たちは存在できないのだ、街を歩けば、俺が綺麗なOLさんとすれ違ってしまうように、彼女もまたおれとすれ違ってしまうのだ、この関係性をだ、どこまでも暴露に、墓を暴くかのように語り出せば、握手会に参戦した人間のなかに幼女殺害者がいないとは限らない、さっきすれ違ったOLのお姉さんだって、切り取った男性器を持ち歩いているのかも知れないのだ、だからこそ、娘。たちが暮らさなければいけないこの世界のおぞましさを
真野ちゃんという子との距離は凄く新鮮だ、なぜか、真野ちゃんのコンサートに行こうとは思うけども駆けつけないことこそが真野ちゃんと自分の距離のように

2009年7月24日金曜日

吐く寸前で、言葉を喉の奥にねじ込む、黒髪はどこまでも、彼女の瞳と唇に光をあててしまう、気づかずにいられればきっともっと、容易く、こんなに無様な感情を抱かずに見つめられていたはずなのに、彼女は毎日、新しい愛しい言葉をしゃべって、かわいらしい姿でそこにいる、彼女は、なにかを溢れさせてゆく、

2009年7月21日火曜日

21日

コラテラルをDVDで観た。うさストリームスが更新されていた、彼女が歌ってはいないその時も彼は歌声に耳を。
普段、空さえ見上げない連中が日食を暴き見るなら全員失明してしまえばいいと思った。
Gテレを買いに行った。店員の無愛想な女子の胸には研修中って書いてあった。こうしたどこまでも暴力に無自覚な女の暴力で毎日、毎日、消えてしまいたくなる、ただ、おれはただ、本が欲しいだけなんだ、そうだ、おれは水が欲しいだけだった、貴様らに愛想良くやさしい眼差しで見てくれだなんて俺がいつお願いした、ただ、ただ、この世の終わりみたいな腐った目でレジに立ちはだかるな、

2009年7月13日月曜日

数ヶ月まえから家の近くにカラスが徘徊するようになった、もう2ヶ月以上も咳が止まらず、臆病なおれは医者に駆け込んで、馬鹿みたいに結核やら肺ガンやらの症状を検索していた、娘。、あの子たちはロスに行った、本心は飛行場を爆破してでも彼女たちを手放したくはなかった、そばにいてくれ、そばにいてくれ、映画を観ているとわからなくなる、酒は酔うと言うよりかは生命を覚まさせる、すべてがクリアになる、証拠に母親の顔を思い浮かべるとただ訳もなく涙が溢れる、きょうはさゆの誕生日だ、さゆは20になった、だから、おれももうすぐ28になる、Hさんも小春も同じ月に生まれた、それら愛する人間にかろうじて残る愛情を、そう思って酒を飲む、さゆを想うとき、つまり、さゆにただ萌えてかわいいと呟きしゃゆと絶叫したあとのあの暗い余韻のなかで、今一度、さゆに心を澄ましてゆくとき、さゆのあの言葉を思い出す、さゆは幼少期にかわいいお顔を歪ませて、どこに居るかわからない悪魔の者から身を護っていたって、ああ、泣きそうだ、泣く、なんてことだ、おれは幼女を見つめる、おれが住むこの町にも幼女がいる、暑く咽せるコンクリートのうえを幼女は滑るように歩く、学校の周りを歩くだけでおれはこの世界の偉大さを痛感する、驚く事に、きょうTSUTAYAに行く途中に父親のあとを追うように早足で歩く小学1年生くらいの何年かに一度会えるか会えないかって領域のかわいすぎる女の子とすれ違った、語りかけることもできずに、いつでもこうやって少女はおれの脇を通り過ぎていった、そして、もう二度と会えないのだ、二度と、強烈にかわいい少女たちはその一瞬のなかに逃げていってしまう、ああ、さゆ、さゆ、さゆ、そんな少女たちのなかでさゆだけは消えてしまわなかった、こんな時におれはいつもさゆに助けを求める、さゆ、さゆ、さゆとの出会い、おれは6期くそくらえと新メンなんか娘。にはいらねぇんだってあの頃盛んに吠えた、けれど、おれはオーディションの動画を見て、どうせならば、せめてこの子にと、さゆに投票した、さゆはたしか、自分で考えたような振り付けで踊っていた、さゆの後ろには、たしか、たしか、へんてこなさかなの絵が飾ってあった、さゆの目元には光源がないから、目元が暗く影を造っていた、さゆが20になった、さゆが、さゆ、さゆ、さゆは一種の生身の少女たちの○○だった、ロリコンだったおれのまえにほとんど、これ以上の完全な少女が現れるはずはないってくらいに、さゆは誰よりも完全な少女だった、そう、神話のなかではなく実在の、誰もが泡を吹きながら夢いていた、あの、そう、おれの親父もおれのじいちゃんもおれの遺伝子のなかに残るすべてのおれ以前のおれが、いつかのその時代に、どこかで、絶対に出会っていたに違いないそれもある日の一瞬におれたちの脇を通り過ぎていったあの巨大な少女たちの歴史そのものだった、さゆはさゆは少女の魂そのものだった、さゆはさゆはこの國にもう何千年と男たちのまえを通り過ぎていったはずだった、なんてことだ、さゆはさゆは、すべての都市で存在し、まるで、この世界をかわいさで征服してゆくみたいだった、さゆに似ていると言われるあの巨乳の女の子も、さゆ似のアロマ女優も、さゆに似てなどいない!、第一回ミスピュアピュアの女の子もだ!、似ていないのだ!、さゆに似ている女の子はもっと自然に奇跡的に町のなかでまるでさゆから分裂したみたいにゆらゆらとまるで花の幽霊のようにただ、俺たちの脇を通り過ぎていったんだ!、ああ、さゆ、さゆ、そしてさゆはとうとう、それらの姉妹を討ち取ったのだ、さゆはさゆだけになる、さゆはさゆでしかない、さゆはこの世界に一人しかいない、さゆがさゆになるためにかわいさで呼吸をしたほとんどもっとも大事なその季節を我々はすべてではないにしろそのなにものにもかえがたい時間を目撃してきたのだ、さゆがさゆになる時間を、さゆというかわいい少女はこの世界でただ一人になった、そうだ、さゆは鏡のまえで自ら分裂してみせた、あの時、さゆが鏡に背を向け、扉をしめて、家に帰っていったあの時に、さゆりんはさゆの背中を見つめていただろう、さゆの分裂をさゆは葬った、さゆはさゆたちのお姫様になった、そうだ、あの幼女と呼ぶしかなかった町のなかに漂うあああのなんてかわいい女の子たちに名を宿したのはさゆだった、しかし、どうだ、彼女たちは誰一人として、そのかわいい顔を変顔で歪ませて自らを護ってはいない、ああ、さゆ、さゆ、さゆは自らのかわいさを自覚してしまったその時から、誰よりもかわいさと聖戦をしてきた、さゆはかわいいという恐怖も喜びとも虚しさとも戦ってきた、おれたちの言語が原始に戻る時、おれは定めよう、「かわいい」という言葉の意味を「さゆ」と、ああ、さゆ、さゆ、柳田國男はさゆの事を書いて死んでいっただろうか、さゆ、さゆ、さゆりんは変顔をしない、町中のさゆりんは変顔などしない、おれはさゆにとうとう出会えたのだ、ただ一人のさゆに、さゆが、幼いさゆが変顔をして下校していたあの時に、さゆはすべてのさゆりんにくちづけた、ほとんど孤高であるそのかわいさは、かわいいというさゆの孤独は、鏡に映るさゆりんの出現の他にさゆに心底安らぎを与える事はなかった、血を分けた姉妹も、血を分けずとも一緒になれた姉妹とも、さゆはさゆ以上のかわいさを発見などできないだろう、

2009年7月12日日曜日

なるほど、俺の気が狂ってるって?、俺が

2009年7月10日金曜日

太陽の日差しと月明かりの断絶されていた切れ目も判らなくなってる、

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Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!