2010年6月29日火曜日

6/29

沈んでしまう身勝手な夕日を美しいだなんて君が言うなら、僕にもそう思える気がした。
舞台を終えてもいない君に僕は、フランスのライブの事を話そうとした。
僕は君へ暴力だけしかあげられない気がして顔を蒼く赤くして逃げ出してしまった。
花束のナイフで近寄った僕が君の瞳の風にかわされて。
その事がうれしいだなんて思えない愛で君を想ってる事に気づいたら、ただ、ただ、僕は恐ろしいはじまりを祝った。
ごめん、ほんとうに愛してしまった。
誰よりも静かに救わなければ消えてしまうような日々の歓喜を伝えていてくれた小さな女の子が、れいなちゃんが、身を潜めるように沈黙していた、あの子のだからこそずっと大きくきこえてくる強い命の鼓動の音に、僕はどうする事もできなかった、れいなちゃんの沈黙だけが乙女の爆音だった。それは絶対の恐怖だった。なによりも恐ろしい事だった。毎秒死んでゆくようだった。けれども、それさえ僕には他人事だってわかってしまった事がいちばん辛い事だった。僕にはいつも愛する娘。がひとりだけしかいない事が。僕はすぐに自分の悲しみを青年の悲しみで掻き消した。彼にはれいなちゃんがどこかに生きている事はわかっていた。テーブルのうえのコップの水滴にれいなちゃんの鼓動が微動していた。彼の鼓動が彼にきこえなくなるくらいに大きく。
れいなちゃんを愛する青年を僕は知っているから、れいなちゃんと呼ぶその声がずっと深く、音楽みたいにきこえていた。
この世のすべてがれいなちゃんを呼んでいた。
健やかでいろって言っただろ、胸の小ささなんて気にしちゃいけないよ、僕はれいなちゃんに呟いていた。

大きな倉庫の店へ彼女が休日に行ったと知れば、大きな容器を抱える彼女のかわいさを影に追いやってまで、ただそれだけで、恋をしてるのなら。。だなんてすぐに僕は言ってしまうから、「私のまえから突然消えてしまわないで」って歌声をそのまま僕は女の子たちに願ってしまっていた。
僕は、僕は、かろうじて、いつも、いつもかろうじて、君たちを愛せていた。
いつでも突然に君たちが去ってしまえる事を知っていたのに、僕はなにも知らなかった。

沈黙を破ったのはあの子が自分の名前を僕らに今一度唱えた声だった。
あの子の名前は、そうだ、そうだった、かわいいひらがなのなまえ。

その瞬間、なんとか時間がまた動きはじめていた、娘。たちの季節と俺たちの季節が、また動きはじめた。
いつでも脆いんだ、こんなにも脆いんだ、いつ壊れてしまってもおかしくない愛情でずっと乗り越えてきた。
それらの愛だけがいつ壊れるかもしれない事と引き替えに危うく輝くことができていた。

微笑んだわけも、涙をながしたわけも、怒ったわけも、黙ってしまったわけも、それでも、お話してくれたすべての些細なお話しも、君たちが話してはくれない永遠に知れない事も君たちが話してくれて永遠に知ってしまった事も、なにもかもを、君たちのなにもかもを、ただ、愛せるように、愛しているって事も忘れてしまう温度で、あたりまえのように、息づくように、息をするみたいに愛せたらいい、

パリの舗道で足並みを揃えて行進しなよ、乙女の悪戯で踊る君をきょうも誰かが奇跡を見つけるみたいに見つけるだろう、君を。
塞いで赤く透ける日の空を君が綺麗だなんて言うからこの世界は壊れたりなんかしないんだよ。
愛ちゃん、素敵だ、夏がやってくる、愛ちゃん、また会えますか、また魅了してくれますか、愛ちゃん、行ってらっしゃい、そして、異国の青年たちのもとから帰っておいで、ずっと素敵になって、たった数日でいちだんときょうよりもずっと素敵になって、

2010年6月26日土曜日

6/26

彼女のあらゆる瞬間をコレクションしようとするが、

娘。アロハロ

○テーブル会議での娘。たちの脚、組む娘。、組まない娘。

○無軌道の身体

○乙女の群れが広がってゆくとき、その融点、そして結晶(娘。イメージビデオシーンリレー、愛ちゃんがクルッと振り返り娘。たちの中心に膝をつき、こちらを見つめるとき)

○今の娘。たちが横一列に並ぶ事の重大な美しさ、そのときのパノラマ。

○三台のビデオカメラで分断撮影されたはずの娘。たちが、娘。たちの互いの身体に触れ合う事で繋がっており、けして分断されてはいない瞬間の事。

○娘。たちの水着姿はまさしく娘。たちだけにしか到達できない水着姿。

2010年6月25日金曜日

6/25

この世界のあらゆる輝きが俺にとってはほとんどどうでも良くなってしまう事は肉体が魂が消え失せる事のように直接的ななにかの死だ。
何もない。空洞ですって歌う曲があったが空洞さえない。
時が早く過ぎて娘。たちに会える日がまた来るのを待つしかない。
握手会というのに行ったが彼女の存在の恐ろしさを目の当たりにしどう足掻いてもこの生命と一緒に暮らし過ごせる時間などもって5分だろうと思えた。残酷なまでの輝きであり、どこまでも優しい別れの瞳だった。彼女の美しさをまえにして、いつも現場でなんて無様な容姿をしている生命体共だと軽蔑していた輩が、優勢なる思考と話術によって、彼女を喜ばせている場面を見てしまったのなら、ああ、俺は、この人たちに一ミリも及ばないのだと思えた、彼女に素敵な言葉も励ましも笑いもなにも捧げてあげられないのなら死んだ方がましだと彼女の瞳と手の感触と小ささに謝っても、もう、すぐに彼女は俺ではない次の男と笑いながら会話をしていたその音が俺のなかに強烈に痕をつけた。こうした俺の、この世界においての女との関わり方が狂ってしまっているならば、それでかまわないのだけれど、はじまりもなければおわりもない、すべての感情を自身だけで増幅させ壊死させ蘇生させ、彼女の光を勝手に真に受ける俺が、最後まで勝手に、独りよがりに、身を滅ぼすだろう事は目に見えてる。服など囚人服でかまわないだろ、飯はいつも同じパンで、映画だけは素晴らしいものを、他を犠牲にしている実感もないから、なにかひとつに夢中である喜びも実感もない、はじめからなにも選んではいないのだ、くだらない、なんて、あからさまな放棄、そうだ、ただ、いつまでも眠っていたいのだ、
なるほど、そう頷く、くそって舌打ちしながら、病魔に冒されてゆくように恋が全身を占拠してゆく、彼女を抱きしめるか、彼女に殺されるか、とりあえず、生身の彼女に会えなければ(見つめる事ができなければ)死んでしまいたいと今すぐ消え失せてしまいたいとまで思う夜がほとんどになってきた事は、なにかの宣告をされたかのように、自身によって、逃れられないなにかに至ってしまった事を自覚しながらに、この先は、彼女によって恋を終わらせられるか、俺が愛情に我慢できずに朽ちてすべてを放棄してしまうか、ただ、彼女にまつわるきょうという日にうなされてゆくだけだろう、俺と彼女に残されたのは彼女が輝くという事実だけな気がする、俺は、俺はそれでいいと想いながらも、俺も連れてってほしいと願ってしまう、傍でなくてもいい、最前でなくても、7列が駄目なら、18列、それも駄目なら最後列でもいい、おまえがそこに存在するって事がわかる距離におれをずっと居させてくれ、俺を捨てないでくれ、彼女の輝きに木っ端微塵になってゆくだろう、だから、俺が近頃おかしい、思考も発言も筋が通っていない、狂ってると思う人たちの認識は間違ってはいないのだ、恋が狂気に脅かされる季節がやってくる、たぶん、俺を試しにやってくるだろう、夏の審判光線に塗されて、彼女を愛する俺の魂が真実かどうか、苦しみに虐殺されずに愛してゆけるか、恐ろしい症状が襲いかかってくる、今すぐに会えないならこんな世界ぶっ壊れてしまえばいい、そうやって、花の代わりに呪いを食らう、彼女に謝らなければいけない事がうれしいのだ、舞台のうえで男に抱かれる彼女が俺のすべての激情を黙らせ程に美しく愛らしい小さなひとりの女の子である事が咲いた瞬間を呪った事を、彼女が大阪に居る事が我慢できない、死んでしまいたい、お金がない、イケナイ、死んでしまいたい、あと何回彼女は抱かれるのだろう、死んでしまいたい、劇ではなく、実際に、彼女が他の男に抱かれているとしたら、死んでしまいたい、どんどん俺は加速してゆく、俺は染まる染まる君を愛する君を欲しがる結晶に、魂が肉体が蒸発してゆくみたいだ、空さえも俺の兄弟になる、殴る、抉る、暴く、それでも、最後の砦のように俺の生命は彼女だけに正常さを残して、また、飽きもせずに彼女の写真やらDVDを見るのだ、何度でも恋ができる、何度も嫌いになれる、俺は、彼女に、毎秒恋をして、毎秒さよならを言う、彼女は、ただ、輝く、

2010年6月18日金曜日

田中れいな - Reina Tanaka



がきんちょだとか幼いとか子供とか確かにいつもそう言ってれいなちゃんを愛してきました、でも、いつも、娘。たちと一緒に居るれいなちゃんになれてしまっていたから、こうして不意に、暦のうえでも肉体的にも少女である女の子たちと一緒に映るこのれいなちゃんのその佇まいにあらためて衝撃を受けて泣くことしかできなかったのです、だってこのなかの誰よりも、れいなちゃんは、

2010年6月15日火曜日

6/15

ファッショナブルを連日観に行く、彼女の涙が舞っていた。

強烈な喜びとそれと同じくらいの切なさが込み上げてきて自分にはもうこうして壊れそうになりながら彼女の時間に必死でついてゆく事しかできないのだと思った。彼女の舞台を何度か観に行くためだけでも今の自分は仲間にお金を借りたりしなければいけない状況にあって、誰かに迷惑をかけているような男が、彼女を抱きしめたいと願うなんて情けなかった、さっきまでその姿を見ることができていた彼女は食事会に行っているという事を知ると一気に自分は青ざめてまた彼女と世界と自分のこの混じり合いを恨みはじめた、彼女の美しさがただならぬ領域で咲き乱れていっている事がそのまま彼女がいなくなってしまう事の合図になってしまう事だけを恐れはじめる、結婚式の歌を歌う彼女の歌声がいままで聴いた事のない彼女の声で自分はその美しさと愛しさに戦慄しながら泣きながら笑いながらどこかで絶望してしまう、それでも、歌い終えた彼女がすっ〜と鎮まるように意識を取り戻すように、ただの、俺が好きになってしまったひとりの女の子の顔ではにかむときに、自分はもうすべてを覚悟して受け入れてあっというまにただ彼女を想う事に還っていった、いつか、彼女は僕のもとを去るだろう、それは絶対だ、その時に俺が彼女を失う事を越えられるなら生きながらえばいいし、無理なら死んでしまえばいい、もう、もう、俺には彼女しか居なくなってしまった、後戻りできるような想いじゃなくなってしまった、こんなに惚れるなんて思わなかった、とんでもない女の子に恋をしてしまったと自分でも思う、でも、しょうがない、こんなに俺の心を動かしてくれる子は今はいないのだから、彼女は女優であるのだから、自分は彼女を抱きしめるために生まれた男ではなく、抱きしめられる彼女に見惚れるために生まれた男なのかも知れないと思いその場で絶命したくなった、けれども、抱きしめられる彼女がもしも、もしも、抱きしめられてる肉体ではなく、瞳だけは俺に注いでいたとしたら、
さっき見つめる事ができていた彼女が今はどこで行われているかわからない食事会に居るという現実にだって昨夜の俺は壊されずに越えられた、

2010年6月14日月曜日

道重さゆみ - Sayumi Michishige



君を寝かしつけても、君のかわいさは眠ってはくれない。。。



さゆのかわいい容姿と、さゆの思考と言語との、そのただならぬ境遇よ。
それでも、さゆが、純粋の彼方で居られる事のすべてよ、


上のさゆを大きくヒキノバシ、それを壁に貼る結社


さゆ、君にかわいく居る事以外のそのすべてを禁じようとした男全員殺戮しようか

2010年6月11日金曜日

6/11

れいなちゃんのブログ、れいなちゃんの「たい、ったい、ったい!」、れいなちゃんに涙を流す日々であります。
小春が去りしコンサートのなかでれいなちゃんはまるで娘。の末娘。のように振る舞い、さゆと絵里ちゃんは「れいなはこどもだなぁ」という態度でれいなをなだめたりしていたのですが、そんなれいなちゃんも毎日毎日少しずつ大人になってゆくようで、その事が直接伝わってくるのであります、

2010年6月9日水曜日

青春コレクション

映画を観なきゃならん時間を割いてほとんど青春コレクションのDance Shot Ver.と青春 Ver.-type1-を交互に見ている内に夜が深まってゆく、青春コレクションの娘。たちのこの躍動に立ち会った感動をどう言葉にして良いのかわからないままに出会いつづける、ただ、繰り返し、終わらない花のループに見惚れ、ああ、この日の娘。たちはつまり、あの日にれいなやさゆによって伝えられたあの時の彼女たちなのだなと、そう思うだけで込み上げてくるものがある、あの日、さゆとれいなが伝え切れなかった娘。たちの命のきらめきでいっぱいなのだ、この娘。たち全員に宿る穏やかさはいったいなんだろうか、それは、幸福だなんて容易く呼んでしまって片づけたくなどないとてつもない色だ、ただただ穏やかな空気で、たぶん、自分はこの曲における歌詞やダンスと言った領域に踏み込むまえに、この娘。たちの穏やかな空気感に涙してしまっていた、踊る歌うという領域以前にもはや娘。たちは青春コレクションと呼ぶ娘。たちのきょうを呼吸しているだけだった、踊りも歌も呼吸だ、冒頭の頭を垂れて両手を広げる寸前に強く力む羽根のようなダンスのあとにはもう、その瞬間の強烈な力の瞬きのあとにはもう、強く踊っているように見えるだろう間奏でさえ、まったく攻撃性を帯びない娘。たちの肉体の穏やかさの美しさなのだ、彼女たちの肉体には鋭利な部位など存在してはいない事がそのまま宿っているような四肢の風のような仕草だ、風に触れられ揺れる髪のそれと同様の優しさで、遮るものが無く彼女たちの瞳に到達してくる日差しの光に焼かれる事無く輝くその瞳の強さのように、踊る彼女たちのなんて鼓動だろう、ああ、どこかで、かつての、いつかの曲で娘。たちが踊っていたかのような踊りの破片たちがほとんど今の娘。たちに踊られる事によって奇跡的にあの頃の攻撃性を優しさに還らされているかのような、娘。たちのダンスの脈の移り変わりをそのコレクションを一曲のなかのその瞬間で娘。たちの踊りの歴史をも浴びるようなとてつもない体験としてこの曲を歌い踊る娘。たちは俺のまえに現れている、この曲を歌い踊る娘。たちを生で見てしまう俺はたぶんどこまでも深く胸をうたれるだろう、もしかしたら、この曲のダンスというのはここ数年の娘。たちのダンスのなかでも圧倒的に踊る事が難しいのではないだろうかとさえ思う、いや、振りとしては簡単なのかもしれないがしかし、このダンスは、決定的なポーズも停止と加速というダンスの譜面に明記されている肉体の音符シナリオや感情符などはなく、まるで、どこまでも吹き咲いてゆくのひとふきの風のようだからこそ、難しいはずだ、娘。たちの平熱のような熱のこのダンスを、この踊りを、こんなにも感動的に踊る事ができるのは娘。たちしかありえない、攻撃性と狂気のあとに静かに吹く風のようにこの娘。たちの踊りと歌声は美しい、娘。たちの額を見てみるといい、誰一人として、血管を浮き挙げて踊っている娘。など居ないのだ、力が抜かれているわけではない、ただ、強烈に肉体を強固させ四肢で切り裂く事も、表情の生き死にを塞ぐ事も、なにもかもをせずに、肉体との聖戦をせずに、あらゆる神経の罪を背負う事もなく、とうとう、娘。たちはこんなにも穏やかに踊れる事ができたのだ、平熱のままに踊る娘。たち以上に輝く女の子がこの世に存在するだろうか、驚くことに、俺は、はじめて娘。たちの軽さも重さもその重力をも忘れながらに、踊る娘。たちが風のようだと感じたのだ、このPVのなかで、トランポリンによって、めいいっぱいに飛び跳ねる娘。たちの感動的な軽さよりもずっと、感動的なかろやかさを飛ぶことなくこの曲を踊る娘。たちは達成してしまっている、青春 Verで階段にただ両脚で立ちながらに身体を光に風に時にそよがせる娘。たちの肉体の透明感やその体重の香りが正面から一斉にこちらへ輝き向かってくるその瞬間よ、これ程までに、圧倒的に、自然に、もはや、俺には、娘。たちの躍動のどこからが、どの動きの瞬間からが踊りで、どこからが踊りではない普通の仕草なのかさえもわからなくなるだろう、瞬きや、微笑みや、娘。たちのなにもかもがただ穏やかに平熱で踊っているのだ、青春 Verはその事を映してしまっている、朝日なのか夕日なのかわからない光のなかで娘。たちが踊っていた、

6/9 瞳の行方

産まれながらの権力への劣等神経野郎なのか、興行企て支配者の男による彼女への賛美文を読んだだけでそのあまりにも幼稚でまたも彼女の感情コントロール云々の褒め方に彼女を貶す者たちに起こす怒りよりもずっと強い怒りが湧き起こった訳だが、彼女はいつも「発見」され「磨きたい」と思わせる仕草をしているのだろうか、女優的あばずれ、大人の男が今まで埋もれていた彼女の才能に気づき彼女を支えたいなどというような領域に彼女が誘っているだと?、馬鹿な、奴らは勝手に彼女にそれを夢見るのだ、数年まえに彼女の名を悪名化させる巨大な噂であったそうした大人の業界人に表現者として見初められ育てあげられる関係性と、それだけでは収まらないだろう日常的な交友だとか、そんな馬鹿な輩が再び妄想か真実かもわからないあの物語を想起させるような、この男の賛美の登場の仕方のすべてが俺を苛つかせる、それも奴らが彼女を「発見」する時にはかならずと言って良いほどにこの世界の既存の表現領域の出来のいい表現者としてなのだ、虫唾が走る、くだらない、くだらない、彼女が泣いているというその姿の美しさにやられたと真実に語るべきなのだ、役者としてどうのなどあまりにもくだらない、人間的な涙を誘発する材料で織られた物語りに彼女が共感し入り込み泣けるなんて事、彼女のいちばん浅い瞬間の花だ、あの役者はいつも泣けるだなんて賛美は彼女に対しての汚名だ、ところで、俺はと言えば、きょうはこんな事をずっと考えていた、ステージ上の彼女の肉体が向かう方向性など一大事のようには気にも留めないくせにだ、彼女の瞳の行方だけは絶対に失念せずになによりも優先して一瞬も目を離さずに気に留めているその事が、例のこびりつく恋愛感情から起こる「俺を見てくれ」とかいう願望と「見つめ合いたい」という願いだけなのかって俺に聞いてみればほとんどそうした感情起因である事に間違いはないがしかしだ、彼女の瞳の行方を「瞳のダンス」として重大視しながら見ている自分もたしかにしっかりと存在するのだ、感情起因の瞳の運動と仕草、これだ、これに打ち勝つために書くこの今日のあがき文章だ、こんなに頭が空っぽなままに映画ばかりを観ていると、さあ、映画においては、役者の視線の方向性がああだこうだとか弟と話込む事になっちまう、フレームのなかに映っているものと映ってはいないが気配を感じる(見える)ものについてだとか、フレームの外で鳴っている音についてだとか、それってほら、どこかで誰かが話してた映画話だろ?、そうなのだ、そんな事はどうでもいい、なぜカメラを見つめる女の瞳がそれでもなおもレンズではなく愛する男の瞳を見つめている瞳として存在する事ができているのか?、エンジルヒトミがなぜエンジテイル事を超越して真実になっているのか、こうか、こういう事か、だがなぜ、なぜにだ、映画においてはあんなにも至る所で画面のなかの女の視線について語り合われているこの世界において、ステージ上の娘。たちの視線の重要性を誰も語っていないんだ、なぜ、いつも、いつも、娘。の瞳の話と来たらあの大きい瞳から流れた水の事と、無数の「俺」に注がれた爆レスなんて言う話しだけなんだ、そう、俺がここまで激怒している事は、男が女の瞳について、その感情の仕草について語る時にだ、涙の事と自分に注がれた事しか語ろうとしないからだ、。。。。白いテープで印されている肉体の立ち位置と同じように、瞳の位置もしっかり存在しているだろうに、それでも娘。は互いに見つめ合ったり、ファンを見たり、彼女が話す通りにだ、「瞳の振り付け」とでも言うその注ぎ位置を越えて、彼女が勝手に決めた視界の荒野のなかから、またはその場限りの悪戯を抱きながら、「じっと一人を見つめる」だとかを遂行してしまう事や、彼女の視線の行方の膨大なダンスのその残像が、その記憶が、こうも俺をおかしくしてゆく事について、俺は書かなければいけないと思ってこれを書いてるのだろうか、そんな行儀の良さなど俺にはないね、ああ、例えばだ、彼女が視線を観客でもカメラでも無く、ほとんどそこにはもう無機物の壁しか存在していない方向にその視線を注ぎ向けている事の彼女の風景は、奴が賛美したあの物語りに移入して涙を流す彼女とは、、、、、俺と奴、奴が、物語を肉体に体内に漲らせほとんど彼女が演じるという凶暴な領域に身を奮わせて流す涙について賛美している日にだ、俺はこうも狂気に我が儘に彼女の何を語ろうとしているかと言えば、彼女が演じるなんて事を放棄しているかのような瞬間を必死で探し、もっともそれに近い瞳の運動の光景を此処に殴り書き召還しようとしている訳だ、その重大性にこうやって触れては居るがなにを語ればいいのかわからない、ただ、その事がやばいという事が俺以外の人間から発されずに居るのだから、俺がこうして発する事をまずはしなければいけないのだ、さあ、お気づきの通り、俺はなにも語っちゃいないし、壁云々もほとんど真実に程遠いだろう、いや、真実だが、そうだ、その通りだ、ただ俺は、奴が彼女の瞳から流れる水について賛美しやがったんで、俺も彼女の瞳の仕草とその感情についてこうやって賛美してるって訳だ、俺よ、ざまあみろ、きっと、彼女はこの俺の賛美を気に入ってはくれまい、

おまえは舞台稽古まえの本読みの段階から幾度も彼女を見ただろうに、ブログでもう一人の男が本読みの段階で彼女がボロボロに泣いただなんて事を書いているように、お前らは俺には到底到達できるはずのない時間で彼女の鼓動に立ち会うことができたというのに、貴様らが声を揃えて彼女の印象を賛美する時には涙する彼女の事でしかない、貴様らの緩すぎる彼女への賛美視線をぼろくそに葬りさるために、俺は6度か7度観に行く彼女との聖戦において、貴様らがどう足掻いたって到達できない賛美領域に到達するだろう、なにが涙だ、ふざけやがって、もっと凄い瞬間があるはずだ、そう、誰よりもいち早く泣く愛ちゃんの美しさに涙したとhttp://gree.jp/michishige_sayumi/blog/entry/451788364賛美の旗を振ったさゆはしかし数日後にはそれだけではない領域に気づきそちらにも意識を注いださゆの賛美視点のようになhttp://gree.jp/michishige_sayumi/blog/entry/452454635、ああ、愛ちゃんの涙でたぶん俺はきっと間違いなく打ち奮え号泣するに決まっている、だが、ファッショナブルにおいてはじめから用意周到に最大の感動的瞬間として用意されてしまっているまたは彼女自らが用意した彼女の涙という瞬間だけではなく、もっと素晴らしい彼女の役者としての到達をその瞬間の美しさを俺が見つけてあげなければいけないのだ、もしも、彼女がファッショナブルにおいて、泣くというその瞬間だけに美しさと演じる事のすべてをかけているとしたのならその時は彼女を愛するこの世界の誰よりもいちばん俺が彼女に失望したのだと叫ぼう、しかし、どう考えたって今の彼女ならば、涙という一種の脅迫的な感動装置に跨る事なく、俺をもっと深く色づく呼吸の瞬間で俺を泣かすはずなのだ、苛つくんだ、まるで、彼女が涙によってでしか、泣くことによってでしか演じる事ができていないのだと言われているようで苛つく苛つくんだ、おじぎにおいて彼女が泣き座るシーンが俺をもっとも感動させた瞬間であると?、苛つく、苛つく、絶対に彼女の涙以上に賛美しなければいけない瞬間を彼女は爆発させるだろう、涙で泣かすのではなく、ましてや微笑みでさえ無いのかも知れない、演技するその時間の無限の感情の起伏鼓動のなかで、彼女が魅せるその鼓動のなかに、それを涙で泣くなんて事を賛美するだけで終わらせるだと、馬鹿な奴らめ、せいぜい貴様らお前らのようなバブリック演劇デフォルト視点野郎どもが気づけないその領域を見逃しつづければいい、

2010年6月8日火曜日

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!