愛ちゃんを爆笑してしまう事について
はたしてその笑いを爆笑と呼んでいいのだろうか。。。萌笑?、愛笑?、なんて言えばいいんだ。。というのも、彼女に笑うというその事がどうにもこの世界の他の、既存の「笑」という言葉を連れている言葉では表せない気がするのです。。。爆笑ではあるけども単なる爆笑ではなく苦笑でもない、コメディを見たときの笑いでもなく、絶望の極致の笑いでもない、彼女に笑うということ、彼女がなぜにおもしろいのか、そのおもしろいという事はどういう事なのか。。。私はずっとこうして考えるのです。。。愛ちゃんを笑うというその瞬間に男が到達したときにどうもはじめて、愛ちゃんという女の子のその世界の扉のまえに立つことができる気がするのです。。。ですから、愛ちゃんがおもしろい!という事に気づき、愛ちゃんに笑えるという事は、愛ちゃんを理解できなかった男にとっては自分では気づいてはいないのかもしれませんが、その行為自体がはじめて愛ちゃんに萌えているというまさにその瞬間なのではないでしょうか。。。高橋ウケるわ〜→愛ちゃんマジで馬鹿だなぁ→愛ちゃんいいよ!!→あ、あ、愛きゅん!!愛きゅんきゅん!!!。。。。。ほとんど強固な絶対の無関心から笑わせられたという領域にまで持っていかれる愛ちゃんのそのおもしろパワーとはいったい????。。。しかも、愛ちゃんを笑うのは我々ヲタだけではなく娘。たちもなのです。。。愛ちゃんのおもしろきゅんパワーとはいったい!!!!
愛ちゃんの純粋さが我々を笑わす、愛ちゃんはその時どこまでも純粋に真剣に自らが思った事を発言し、やりたいと思った事をやってみせる、憧れだったり、自慢気だったり、愛ちゃんなりの信念だったり、論理だったり、それらが、この世界と俺たちと他の娘。たちが想定できる常識ではないあまりにも愛ちゃんでしかない言葉であったり行いであったりするので我々に残された術はただ愛ちゃんに笑って、笑いが鎮まったあとに愛ちゃんの愛しさに気づく事だけなのだ。
2010年5月27日木曜日
5/27
彼女が乙女の命の形成を無限に変容させる事のできる「形の無いもの」であると言うなら、それはある視線からすれば間違いではないし一方では大きな間違いでもある。
間違いではないというのは。
たぶん、今の彼女をある生命の呼び名やその領域に確定指名する事は横暴でおこがましさ事で、その事への提起として作用するもっとも優れたものは彼女の行動や彼女の言葉であって、それらは春ツアーの「エロかわいい目標」発言で愛ちゃん自身の声によって公に世界に提起され、「形」のメイキングDVDの冒頭での「あなた次第で「リアル」になる」という、ほとんど惨い程に、彼女の演じる事への掟や、彼女を見る者の掟、その両方を放棄させてしまうような完全に路頭に迷わす言葉を彼女は言ってしまっている、なぜならその二つの発言は一人の女の子がひとつの意思によって発したものだとは思えない破綻があるし、どっちつかずなのだ、その言葉の状態こそ今の愛ちゃんの難しさにつながっているんじゃないだろうか。今の愛ちゃんを語ることやその魅力がなんであるのか「難しい」と呟ける人間だけが今の愛ちゃんをしっかりと認識できているはずだ。「高橋愛劇場」と安易にヲタが呼ぶその表現の領域なのだとかたをつける人間も、愛ちゃんの表現をアカデミックな表現芸術の文脈で優れているのだと強く語る愛ちゃん愛者たちも、その両極者たちは信用などできないのだ。
私自身も、それらの愛ちゃんへの言葉のように、愛ちゃんを「形のない者のように、めまぐるしく演じ、いくつもの存在へと表情を肉体を変える事ができる表現者で」あり、「「高橋劇場」の唯一のメンバーで唯一の主演女優でその独りよがりが鼻につく」というようなこの両極の思想で愛ちゃんを語れるならどんなに気が安らぐだろうか、しかし、真実は、きょうの愛ちゃんは演じる事よりも演じない事を通り越しそのどちらの瞬間でもない彼女を表現してしまってきているし、「高橋劇場」と呼んでいたその存在さえしなかった幻影の箱でさえとっくに彼女自身によって崩壊され、独りよがりどころか、人々が独りよがりだと責めた立てた狂気の孤高の表現領域は、もはや彼女ひとりのよがりではなく、他の娘。たちが表現領域と聖戦するときの誘発にさえなっている。
愛ちゃんはもう、「私は、私ではない完全な他者のホールガールを演じています」とも、「私はホールガールなど演じてはいません、あれは私そのものです」とも言ってはくれない、愛ちゃんはもう愛ちゃんの存在状態をオフィシャルな愛ちゃんの意思言語では解説してはくれないのだ。
しかし、一方で間違っているというのは。
たぶん、演じることが上手だと世界から言われなにより自分でもそう思っていた女の子が、いよいよ、演じる事よりも演じない事を選んだのなら、いやいや、自らの思想や思考によって湧き起こった革命意思ではなく、ほとんど自然に穏やかに曲線化してゆく愛ちゃんの身体のそのながれのように、極自然にだ、愛ちゃんの意思とはほとんど遠い場所から愛ちゃんのもとへ到達し乙女の流れ星のように授かってしまった意思であるのなら、そして、もしもその意思が、演じている最中にほとんど無意識に演じてはいない瞬間を遂行していたのなら、演じる自己と演じない自己の聖戦のように、他者を、物語を。。。。。。演じているという肉体と、演じないという肉体の攻防やその歪みやそのノイズのその2重の肉体のずっと奥に静かに躍動している肉体こそ演じる肉体と演じない肉体が彼女に生まれるまえからずっと彼女に存在している形あるものなのではないか、ただただ彼女だというその白い生地の肉体と感情こそ彼女の形なのではないか。。。彼女を称して「頑固」だとガキさんが言うのであれば、まさしく彼女の奥底には彼女という「頑固な形」があるのだ。彼女が強く演じるその瞬間の頂点探求の途中で瞬間的に顔を出す彼女の仕草や言葉や瞳やあの佇まいの強烈な形こそが、演じる彼女でも演じていない彼女でもなく真に彼女が出現するという奇跡なのではないか、その頑固な強烈な形なのではないか、そうやって、彼女は生まれてからずっと何者でもなくただただ強く彼女という形で躍動していたはずなのだ。
間違いではないというのは。
たぶん、今の彼女をある生命の呼び名やその領域に確定指名する事は横暴でおこがましさ事で、その事への提起として作用するもっとも優れたものは彼女の行動や彼女の言葉であって、それらは春ツアーの「エロかわいい目標」発言で愛ちゃん自身の声によって公に世界に提起され、「形」のメイキングDVDの冒頭での「あなた次第で「リアル」になる」という、ほとんど惨い程に、彼女の演じる事への掟や、彼女を見る者の掟、その両方を放棄させてしまうような完全に路頭に迷わす言葉を彼女は言ってしまっている、なぜならその二つの発言は一人の女の子がひとつの意思によって発したものだとは思えない破綻があるし、どっちつかずなのだ、その言葉の状態こそ今の愛ちゃんの難しさにつながっているんじゃないだろうか。今の愛ちゃんを語ることやその魅力がなんであるのか「難しい」と呟ける人間だけが今の愛ちゃんをしっかりと認識できているはずだ。「高橋愛劇場」と安易にヲタが呼ぶその表現の領域なのだとかたをつける人間も、愛ちゃんの表現をアカデミックな表現芸術の文脈で優れているのだと強く語る愛ちゃん愛者たちも、その両極者たちは信用などできないのだ。
私自身も、それらの愛ちゃんへの言葉のように、愛ちゃんを「形のない者のように、めまぐるしく演じ、いくつもの存在へと表情を肉体を変える事ができる表現者で」あり、「「高橋劇場」の唯一のメンバーで唯一の主演女優でその独りよがりが鼻につく」というようなこの両極の思想で愛ちゃんを語れるならどんなに気が安らぐだろうか、しかし、真実は、きょうの愛ちゃんは演じる事よりも演じない事を通り越しそのどちらの瞬間でもない彼女を表現してしまってきているし、「高橋劇場」と呼んでいたその存在さえしなかった幻影の箱でさえとっくに彼女自身によって崩壊され、独りよがりどころか、人々が独りよがりだと責めた立てた狂気の孤高の表現領域は、もはや彼女ひとりのよがりではなく、他の娘。たちが表現領域と聖戦するときの誘発にさえなっている。
愛ちゃんはもう、「私は、私ではない完全な他者のホールガールを演じています」とも、「私はホールガールなど演じてはいません、あれは私そのものです」とも言ってはくれない、愛ちゃんはもう愛ちゃんの存在状態をオフィシャルな愛ちゃんの意思言語では解説してはくれないのだ。
しかし、一方で間違っているというのは。
たぶん、演じることが上手だと世界から言われなにより自分でもそう思っていた女の子が、いよいよ、演じる事よりも演じない事を選んだのなら、いやいや、自らの思想や思考によって湧き起こった革命意思ではなく、ほとんど自然に穏やかに曲線化してゆく愛ちゃんの身体のそのながれのように、極自然にだ、愛ちゃんの意思とはほとんど遠い場所から愛ちゃんのもとへ到達し乙女の流れ星のように授かってしまった意思であるのなら、そして、もしもその意思が、演じている最中にほとんど無意識に演じてはいない瞬間を遂行していたのなら、演じる自己と演じない自己の聖戦のように、他者を、物語を。。。。。。演じているという肉体と、演じないという肉体の攻防やその歪みやそのノイズのその2重の肉体のずっと奥に静かに躍動している肉体こそ演じる肉体と演じない肉体が彼女に生まれるまえからずっと彼女に存在している形あるものなのではないか、ただただ彼女だというその白い生地の肉体と感情こそ彼女の形なのではないか。。。彼女を称して「頑固」だとガキさんが言うのであれば、まさしく彼女の奥底には彼女という「頑固な形」があるのだ。彼女が強く演じるその瞬間の頂点探求の途中で瞬間的に顔を出す彼女の仕草や言葉や瞳やあの佇まいの強烈な形こそが、演じる彼女でも演じていない彼女でもなく真に彼女が出現するという奇跡なのではないか、その頑固な強烈な形なのではないか、そうやって、彼女は生まれてからずっと何者でもなくただただ強く彼女という形で躍動していたはずなのだ。
今ツアーとこの写真集とファッショナブルブログがなによりもの愛ちゃんによる愛ちゃん乙女証言。。いよいよ愛ちゃんが自らの乙女噴火により貴様らが勝手に、しかも、ただ、彼女のパブリックな唯一の目線として名付けたあのこの世にありもしない不当極まりない「高橋劇場」とかいうのをぶっ壊しはじめている事を!!
愛ちゃんの写真集の表紙はやはりやばいのではないか。。爆笑から彼女の世界へといざなう。。愛ちゃん。。。
(東京都 会社員 31歳 俺)
形が素晴しい!泣、表紙の愛ちゃんに爆笑しながら開いた瞬間にとてつもなくかわいい愛ちゃんがおでましで萌え衝撃!!!この写真集は今ツアーの愛ちゃんの自分の出し方に似ている!!かわいく力が抜けているというか、素直な表情やボディです!!!まさしく今の愛ちゃんが満載!!
(無色(無職)に近いラブレター代筆屋 29歳 俺)
どぅ?、私を見るんやよ。。という表紙をかわいく悪戯に裏切る大変なリアルガールな愛ちゃん万華写真集!!!俺だったら、リアルガールってタイトル提案すんね!!!
(どこぞの愛ちゃん萌え小僧 俺)
愛ちゃんが何者をも演じてねえ!!!
(俺)
君のリアルと俺のリアルが出逢っちまったなら!!!!
(俺)
俺生存史上最高リアルガール愛ちゃん!!!
(俺)
本屋で売ってるなんてゆるせねぇ!!!!!空で売るべき!!!!!
(俺)
うおおおおおおおおおおおおホールガールな格好をした愛ちゃんがリアルになってるかどうかは「あなた次第」って(このわたしを見てリアルだと思えばリアルなのよ。。。)と愛ちゃんが言った!!!!!!!!!!
映画はけして現実なリアルではないとか言う文明逆流嘔吐くそ小僧共みたいな奴らをぶん殴るかのようなお言葉!!!!!!君がホールに居てあんなにもかわいいお洋服を着て躍動してるというリアル。。。。その現実。。。
愛ちゃんは演じるんじゃねえ!!リアルしてるんだ!!!!
(東京都 会社員 31歳 俺)
形が素晴しい!泣、表紙の愛ちゃんに爆笑しながら開いた瞬間にとてつもなくかわいい愛ちゃんがおでましで萌え衝撃!!!この写真集は今ツアーの愛ちゃんの自分の出し方に似ている!!かわいく力が抜けているというか、素直な表情やボディです!!!まさしく今の愛ちゃんが満載!!
(無色(無職)に近いラブレター代筆屋 29歳 俺)
どぅ?、私を見るんやよ。。という表紙をかわいく悪戯に裏切る大変なリアルガールな愛ちゃん万華写真集!!!俺だったら、リアルガールってタイトル提案すんね!!!
(どこぞの愛ちゃん萌え小僧 俺)
愛ちゃんが何者をも演じてねえ!!!
(俺)
君のリアルと俺のリアルが出逢っちまったなら!!!!
(俺)
俺生存史上最高リアルガール愛ちゃん!!!
(俺)
本屋で売ってるなんてゆるせねぇ!!!!!空で売るべき!!!!!
(俺)
うおおおおおおおおおおおおホールガールな格好をした愛ちゃんがリアルになってるかどうかは「あなた次第」って(このわたしを見てリアルだと思えばリアルなのよ。。。)と愛ちゃんが言った!!!!!!!!!!
映画はけして現実なリアルではないとか言う文明逆流嘔吐くそ小僧共みたいな奴らをぶん殴るかのようなお言葉!!!!!!君がホールに居てあんなにもかわいいお洋服を着て躍動してるというリアル。。。。その現実。。。
愛ちゃんは演じるんじゃねえ!!リアルしてるんだ!!!!
2010年5月26日水曜日
5/26
やはり彼女の近年の写真集のタイトルの忌々しさと闘う事は私の使命であるし、その事に気づいている彼女を愛する者など私以外に存在するはずもないのだ。
そもそも、最大の敵であるのは彼女であると言ってもいい。
こうした写真集やなんかの時の彼女は、彼女にあまりにも無頓着なのだ。
その無頓着さが彼女である事に間違いはないがしかし、その事と彼女の表現との聖戦の領域とはまた話が違う。
彼女の新写真集の題名は「形」であるが、帯には言葉が添えられている。
「形のないものこそ、どんな形にも彩れる」
これを発案した人物だけが敵だとは到底私には思えないが、彼女は確かにこの題名に頷いたはずなのだ。
私にはそれが許せない。
こんなあからさまな間違いをどうせ周りの30代か40代の文明消火未満の知的不能者の熱弁のなかで鵜呑みにしたのだろう。「馬鹿な女」だ。
芸術という胎児のなかに未だにくるまり、そこにおまえを連れ込むような男共の言うことなど聞かなくても良いのだ。
私の試みている「この行為」そのものはけして彼女の味方ではないという事だけはここにしっかりと宣言しておくが、しかし、私のこの行為ほどに彼女を愛している行為など存在しいないはずだ。
こうした写真集では彼女自身はほとんど彼女の美しさについて無知でありつづけ、
彼女を見つけ、彼女になにかを語り、彼女を撮り、彼女に指示し、彼女に教授する周りの存在も間違ってる。
その事と戦えるのは私だけなのだ。
そもそも、最大の敵であるのは彼女であると言ってもいい。
こうした写真集やなんかの時の彼女は、彼女にあまりにも無頓着なのだ。
その無頓着さが彼女である事に間違いはないがしかし、その事と彼女の表現との聖戦の領域とはまた話が違う。
彼女の新写真集の題名は「形」であるが、帯には言葉が添えられている。
「形のないものこそ、どんな形にも彩れる」
これを発案した人物だけが敵だとは到底私には思えないが、彼女は確かにこの題名に頷いたはずなのだ。
私にはそれが許せない。
こんなあからさまな間違いをどうせ周りの30代か40代の文明消火未満の知的不能者の熱弁のなかで鵜呑みにしたのだろう。「馬鹿な女」だ。
芸術という胎児のなかに未だにくるまり、そこにおまえを連れ込むような男共の言うことなど聞かなくても良いのだ。
私の試みている「この行為」そのものはけして彼女の味方ではないという事だけはここにしっかりと宣言しておくが、しかし、私のこの行為ほどに彼女を愛している行為など存在しいないはずだ。
こうした写真集では彼女自身はほとんど彼女の美しさについて無知でありつづけ、
彼女を見つけ、彼女になにかを語り、彼女を撮り、彼女に指示し、彼女に教授する周りの存在も間違ってる。
その事と戦えるのは私だけなのだ。
2010年5月25日火曜日
2010年5月23日日曜日
2010年5月22日土曜日
5/23
彼女たちがおとす花とけりをつける事などできるのだろうか、俺はきょうも4月のむすめたちを凝視しなんとか自分の言葉のなかに今一度彼女たちのあの鼓動と俺が咳き込んだ歓喜の咳を召還させようと試みたが俺はつもる花のあとに埋もれて窒息する寸前で4月の彼女たちと交わろうとしたその瞬間にきょうの彼女たちの肉体が言葉が新たな花で俺に落雷する、彼女の花がつもる、あとかたもなくおれをうもらせる、
彼女という女の魅力とはなにか、
好きだ、愛している、抱きしめたい、という幼稚で神聖になっちまってる絶対的なこの感情以外に、彼女についての言葉を悪魔的な客観性にまで葬り去ってだ、冷静に吐いた魂の漂いのなかに投射させる程の強烈な身体的愛の労働に、ああ、身体的愛の労働!、俺の悼んだ指先が彼女を讃えられるとでも、俺は無謀にこがれ液晶の膜に4月の日々を思い出す、俺が足を踏み入れるべきなのかずっと苦悩してきた、そうだ、身体的愛の労働、彼女の魅力を語ろうとすれば魂と肉体とを繋ぐ全動脈の歪みを正さなければいけない、愛していると呟くことよりも重要な行為への責任とは呼びたくないこの行為だけが彼女の胸の花に愛をかすめられるならば、
君の魅力を語る事を、誰にも明け渡すものか、この意思がまだ生きている限り、そう最期の願いのように呟きつづけまたきょうが彼女の魅力のなかに暮れてゆく。
と、俺は言ったんだ。
したら、お前は俺のなかでこう言う。
「しかし、俺以外の男が、彼女についてなにかを知っているなどとは到底思えない、貴様ら如きに、貴様ら如きに。
彼女をどこまでも崇拝し、彼女の表現をアカデミックな領域だけに純粋化させるような美意識過剰な、まるで、教授が優秀な教え子の女学生に父性で目にかけているかのような壇に立ちたがるだけのような奴らの賛美ほど鼻につき嘘くさいものは存在しない。。。
彼女の美しさをわからないと暴言を吐く者よりも悪臭がする。。。。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ言ってやろうかくそども、結局のところは、俺以外に彼女に対してピュアビッチガールなんて愛しい聖なる名で呼んであげる男などこの世には存在しないのだ。例え真実に踊り歌っていない自身の部屋に街に居る時の彼女がピュアピュアであろうがそんな事は重要な事ではないのだ。俺がほとんど悪魔になりながらに語りたい事は彼女のあの踊り歌う姿のその瞬間の純粋さの頂点ではないむしろ彼女の女としての恐ろしさの頂点の事なのだ。だからこそ俺ははじめからこう断りを言うだろう。彼女はピュアピュアだと。しかし、今はそんな事はどうでもいいその事はもう愛しすぎる疑いようがない真実なのだ。俺が突入したいのは彼女のおぞましさに宿る危なげな欲望の純粋さなのだ。男どもは障害のように彼女の純粋の純粋さしか語ろうとしない、しかし、俺には、そいつらがおぞましいと汚いと下品だと無かった事にしたり彼女の純粋さのなかに鎮め目をつむりひたかくそうと消滅させるその、彼らが恐れる彼女の瞬間こそ彼女の純粋さを紐解く瞬間だと思っている、貴様ら如き有機な鼓動保持生物どもは讃えるか貶すかの両極でしか彼女に迫れないはずだ、だからこそ、俺がこうして真に口を開けば、狂気だの、妄想過多だの、深読みだのと言って目を背け、なんて汚い事を、人間の男が口にする言葉ではないなどと怒り出すだろう、しかし、それこそなんてあまりにも人間的野獣さの過失だろうか、お前らはどこまでも人であるがゆえに、そこに縋るがあまりに彼女の人間離れした野獣さにその動物そのものな美に対してまでも極致になれずに愛情と物語りのなかに逃げ込みその美を証言できない過失を犯すんだ、それでは駄目だ、駄目なのだ、彼女の美しさと彼女の汚さとが彼女の踊りに告解するように誇るように爆発しているその事実を、彼女が踊りで女が美しさで男を殺戮する事まで企てているのではないかと震撼する程のあの恐ろしい美しさを、駄目だ、駄目だ、彼女の踊りを見てただ微笑み呆れ涙を流すだけでは彼女に溺れてはいない、彼女のダンスのなかに溺れたら傷だらけになるはずだ、彼女のアカデミックなバレエと異国のクラブでの深夜の情事までを想起させるその陽炎を燃やす事ができる肉体の遂行を、彼女がどこを見て歌っているのかも彼女がどうやって今なにを表現し肉体を動かしているのかもわからなくなるあの瞬間の絶望を、俺は何を言おうとしてる、そうだ、俺はこうして壊れてゆく、しかし、彼女の踊る肉体を再びこうして己の心臓のなかに放すとき俺はこうして意味不明な呪文を叫ぶ事しかできないのだ、そうだ、彼女のもっとも美しい瞬間と彼女のもっともおぞましい瞬間を見てしまったような空間そのものが彼女のなかに誘拐されたかのような、あの、あの、壮大な彼女の抱擁を、彼女について語る事が生半可ではないのは、彼女がそうした毒を秘めているからだ、俺は彼女の美しさとともに彼女の恐ろしさも語らなければいけないのだ、これを書いているのは彼女を馬鹿みたいに愛している今にも青年猶予が失効しそうなあいつじゃない、彼女に恐ろしさがあるように、こいつは、彼女の恐ろしさと対決する恐ろしい信念なのだ、彼女の愛しさと恐ろしさが完全に重なるその脈の瞬間は、彼女はたぶん彼女自身である純粋さと同様の脈拍で、いつそれが真実になってもおかしくない過去を未来を道連れにした彼女の女のあらゆる脈拍をその瞬間の肉体の躍動を肉体に歌声に瞳に呼び起こす事ができるその憑依にある、そうだ、彼女は彼女に女を憑依させる、彼女は自分のあらゆる女の可能性に憑依できる力を持っているのだ、その瞬間彼女は華麗にどこまでも澄んで迷子になり確定する命から解き放たれ透明になってゆく、彼女は命を全方向に向ける、みおとしなく、ひとつの絶対温度に結晶かするどころか彼女はあまりにも自由に彼女のあらゆる魅力のなかに行方をくらます、彼女は彼女であり彼女ではなくなる、彼女はそこに存在しながらに不在になる、それでも恐ろしい事に彼女は強く存在しているのだ、そしていよいよ、汚い状況下の鼓動を醸し出し、その瞬間が彼女を興奮させる、彼女は興奮してる、彼女は今ツアーによってむすめの○ちゃんという存在意思の向こう側に、向かってはいけない領域にまでむすめで居るその瞬間に今まで踊ってきたむすめのダンスを道連れにむすめとして踊り歌うその表現時間によって到達してしまったのだ、彼女にとってはいままで、犠牲にしなければいけなかった肉体の動きをその表現をとうとう踊ってしまったのだ、ここ数年にじわじわとくすぶりながら時折顔を見せていたその恐ろしい瞬間をとうとう彼女自身が彼女に許してしまったのだ、それはもはやエロかわいいですらない、彼女はエロかわいいという言葉に我々が頷くようなロジカルな文脈を用意していた訳ではなかった、これは一つの誓いの呪文のようなものだったのだ、先輩からの助言によって彼女のなかに強く意識化されまるでくすぶる欲求を透かされたような想いを抱きながらもっと自分を出してもいいのではないかというその願いとも言える意識へ自分を解き放つ事のできる喜びのなかで彼女はとうとう彼女が禁止してきた領域のおぞましいまでの女であるその揺るぎない真実の瞬間までもを踊り歌ってしまったのだ、あの彼女を見てもなお、彼女のとてつもない力に、それがどんな距離の取り方であってもだ、震撼しない野郎はもはや完全に表現とともに生きてはいけない死人なのだ、今ツアーで彼女が巻き起こしたのは今まで「○○劇場」などとくそ頭の緩い美意識劣化神経退化野郎どもが容易く呼んでいたあの彼女の表現では完全に、完全に無かった、そして、全ツアーで俺たちが賛美した彼女の表現でもけして無かった、この彼女の遂行は。。。。。ああ、ああ、こんな事がおまえに本当に書けるのか?、彼女を愛しているおまえにこんな事が、彼女が地球に騎乗する瞬間おまえも興奮したはずだ、彼女は地球に乗馬した、そして、そして、彼女はまた彼女に戻ってくる、彼女は戻ってくる、まるで彼女のなかにあるすべての女の悪の可能性と一騎打ちをし打ち勝ちとうとう彼女の魂の純粋な安らぎのなかに彼女を護り通したのだと、おまえは彼女のすべてを見てしまったかのようだったと、おまえはその事実をどうやって言葉にするんだ、結局、貴様はあの瞬間に彼女に完全にすべてを禁止されたのだ、おまえはやっぱりこうして恐ろしいまでに彼女とは遠く離れた存在の事を綴っているかのような言葉しか書けないのだ、貴様は一言も彼女について書けてはいない、貴様は能なしだ、きさまごときそんざいがかのじょのにくたいのまえでうたごえのまえでそのひさんなしこうとむぼうなかんじょうといまにもいきをひきとりそうなげんごでは、なにも、なにもできやしないのだ、きょうじゅつしろ、すなおに、おまえはかのじょがおどるときかのじょのうちゅうのなかであかごになったのだ、」
また違う奴が言う。
「↑おまえの意見などくそだ、なぜなら、今ツアーの彼女ほどに感情が誘発した野獣さの意識不明に立ち向かった彼女はいなかった、彼女は自らの奥底から湧き上がる凶暴な輪郭に無我夢中になるのではなく、彼女の強靱な意思によって彼女自身だけを強く揺るぎなく宿し、彼女のなかに今の彼女の乙女の血潮以外にはどんな女の時間も感情も憑依する事を許さなかったのだから、彼女は最後の最後まで、彼女自身の肉体の乙女の文明で野獣になってしまうその寸前でなおも彼女自身で居続ける事ができたのだ、その事は、彼女が重力さえ従わせその絶対なる法則をも歪ませたあの着陸する姿を見れば一目瞭然ではないか、彼女は穏やかだった、あれは肉体の野生ではない、あれこそ彼女の肉体の文明だ、踊りながら離陸し着陸するというその行為は、彼女がただただ彼女を踊ったその到達だ、愛して愛しての時の彼女をおまえは見たか、あの彼女の、今の彼女の性をそのまま見てしまったかのような、あの瞬間の彼女はけして彼女以外の女の性を憑依させてなどいなかった、背伸びも誇張もなくあの踊りの聖なる香りは彼女の性の背丈だったのだ、踊りの体温も、踊りの年月も、彼女は一切の憑依を許さなかった、彼女はただ彼女の迸りを踊れていたのだ、」
言う。
「あなたたちの言っている事が私にはわからない。私には、野獣だの、乙女だの、人間だの、領域だの、純粋だの、性だの、私にはあなたたちの言っている事こそがこの世界でもっとも彼女の表現に遠い言葉のような気がしてならない。あなたたちは一刻もはやく彼女について沈黙したほうがいい」
彼女という女の魅力とはなにか、
好きだ、愛している、抱きしめたい、という幼稚で神聖になっちまってる絶対的なこの感情以外に、彼女についての言葉を悪魔的な客観性にまで葬り去ってだ、冷静に吐いた魂の漂いのなかに投射させる程の強烈な身体的愛の労働に、ああ、身体的愛の労働!、俺の悼んだ指先が彼女を讃えられるとでも、俺は無謀にこがれ液晶の膜に4月の日々を思い出す、俺が足を踏み入れるべきなのかずっと苦悩してきた、そうだ、身体的愛の労働、彼女の魅力を語ろうとすれば魂と肉体とを繋ぐ全動脈の歪みを正さなければいけない、愛していると呟くことよりも重要な行為への責任とは呼びたくないこの行為だけが彼女の胸の花に愛をかすめられるならば、
君の魅力を語る事を、誰にも明け渡すものか、この意思がまだ生きている限り、そう最期の願いのように呟きつづけまたきょうが彼女の魅力のなかに暮れてゆく。
と、俺は言ったんだ。
したら、お前は俺のなかでこう言う。
「しかし、俺以外の男が、彼女についてなにかを知っているなどとは到底思えない、貴様ら如きに、貴様ら如きに。
彼女をどこまでも崇拝し、彼女の表現をアカデミックな領域だけに純粋化させるような美意識過剰な、まるで、教授が優秀な教え子の女学生に父性で目にかけているかのような壇に立ちたがるだけのような奴らの賛美ほど鼻につき嘘くさいものは存在しない。。。
彼女の美しさをわからないと暴言を吐く者よりも悪臭がする。。。。ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ言ってやろうかくそども、結局のところは、俺以外に彼女に対してピュアビッチガールなんて愛しい聖なる名で呼んであげる男などこの世には存在しないのだ。例え真実に踊り歌っていない自身の部屋に街に居る時の彼女がピュアピュアであろうがそんな事は重要な事ではないのだ。俺がほとんど悪魔になりながらに語りたい事は彼女のあの踊り歌う姿のその瞬間の純粋さの頂点ではないむしろ彼女の女としての恐ろしさの頂点の事なのだ。だからこそ俺ははじめからこう断りを言うだろう。彼女はピュアピュアだと。しかし、今はそんな事はどうでもいいその事はもう愛しすぎる疑いようがない真実なのだ。俺が突入したいのは彼女のおぞましさに宿る危なげな欲望の純粋さなのだ。男どもは障害のように彼女の純粋の純粋さしか語ろうとしない、しかし、俺には、そいつらがおぞましいと汚いと下品だと無かった事にしたり彼女の純粋さのなかに鎮め目をつむりひたかくそうと消滅させるその、彼らが恐れる彼女の瞬間こそ彼女の純粋さを紐解く瞬間だと思っている、貴様ら如き有機な鼓動保持生物どもは讃えるか貶すかの両極でしか彼女に迫れないはずだ、だからこそ、俺がこうして真に口を開けば、狂気だの、妄想過多だの、深読みだのと言って目を背け、なんて汚い事を、人間の男が口にする言葉ではないなどと怒り出すだろう、しかし、それこそなんてあまりにも人間的野獣さの過失だろうか、お前らはどこまでも人であるがゆえに、そこに縋るがあまりに彼女の人間離れした野獣さにその動物そのものな美に対してまでも極致になれずに愛情と物語りのなかに逃げ込みその美を証言できない過失を犯すんだ、それでは駄目だ、駄目なのだ、彼女の美しさと彼女の汚さとが彼女の踊りに告解するように誇るように爆発しているその事実を、彼女が踊りで女が美しさで男を殺戮する事まで企てているのではないかと震撼する程のあの恐ろしい美しさを、駄目だ、駄目だ、彼女の踊りを見てただ微笑み呆れ涙を流すだけでは彼女に溺れてはいない、彼女のダンスのなかに溺れたら傷だらけになるはずだ、彼女のアカデミックなバレエと異国のクラブでの深夜の情事までを想起させるその陽炎を燃やす事ができる肉体の遂行を、彼女がどこを見て歌っているのかも彼女がどうやって今なにを表現し肉体を動かしているのかもわからなくなるあの瞬間の絶望を、俺は何を言おうとしてる、そうだ、俺はこうして壊れてゆく、しかし、彼女の踊る肉体を再びこうして己の心臓のなかに放すとき俺はこうして意味不明な呪文を叫ぶ事しかできないのだ、そうだ、彼女のもっとも美しい瞬間と彼女のもっともおぞましい瞬間を見てしまったような空間そのものが彼女のなかに誘拐されたかのような、あの、あの、壮大な彼女の抱擁を、彼女について語る事が生半可ではないのは、彼女がそうした毒を秘めているからだ、俺は彼女の美しさとともに彼女の恐ろしさも語らなければいけないのだ、これを書いているのは彼女を馬鹿みたいに愛している今にも青年猶予が失効しそうなあいつじゃない、彼女に恐ろしさがあるように、こいつは、彼女の恐ろしさと対決する恐ろしい信念なのだ、彼女の愛しさと恐ろしさが完全に重なるその脈の瞬間は、彼女はたぶん彼女自身である純粋さと同様の脈拍で、いつそれが真実になってもおかしくない過去を未来を道連れにした彼女の女のあらゆる脈拍をその瞬間の肉体の躍動を肉体に歌声に瞳に呼び起こす事ができるその憑依にある、そうだ、彼女は彼女に女を憑依させる、彼女は自分のあらゆる女の可能性に憑依できる力を持っているのだ、その瞬間彼女は華麗にどこまでも澄んで迷子になり確定する命から解き放たれ透明になってゆく、彼女は命を全方向に向ける、みおとしなく、ひとつの絶対温度に結晶かするどころか彼女はあまりにも自由に彼女のあらゆる魅力のなかに行方をくらます、彼女は彼女であり彼女ではなくなる、彼女はそこに存在しながらに不在になる、それでも恐ろしい事に彼女は強く存在しているのだ、そしていよいよ、汚い状況下の鼓動を醸し出し、その瞬間が彼女を興奮させる、彼女は興奮してる、彼女は今ツアーによってむすめの○ちゃんという存在意思の向こう側に、向かってはいけない領域にまでむすめで居るその瞬間に今まで踊ってきたむすめのダンスを道連れにむすめとして踊り歌うその表現時間によって到達してしまったのだ、彼女にとってはいままで、犠牲にしなければいけなかった肉体の動きをその表現をとうとう踊ってしまったのだ、ここ数年にじわじわとくすぶりながら時折顔を見せていたその恐ろしい瞬間をとうとう彼女自身が彼女に許してしまったのだ、それはもはやエロかわいいですらない、彼女はエロかわいいという言葉に我々が頷くようなロジカルな文脈を用意していた訳ではなかった、これは一つの誓いの呪文のようなものだったのだ、先輩からの助言によって彼女のなかに強く意識化されまるでくすぶる欲求を透かされたような想いを抱きながらもっと自分を出してもいいのではないかというその願いとも言える意識へ自分を解き放つ事のできる喜びのなかで彼女はとうとう彼女が禁止してきた領域のおぞましいまでの女であるその揺るぎない真実の瞬間までもを踊り歌ってしまったのだ、あの彼女を見てもなお、彼女のとてつもない力に、それがどんな距離の取り方であってもだ、震撼しない野郎はもはや完全に表現とともに生きてはいけない死人なのだ、今ツアーで彼女が巻き起こしたのは今まで「○○劇場」などとくそ頭の緩い美意識劣化神経退化野郎どもが容易く呼んでいたあの彼女の表現では完全に、完全に無かった、そして、全ツアーで俺たちが賛美した彼女の表現でもけして無かった、この彼女の遂行は。。。。。ああ、ああ、こんな事がおまえに本当に書けるのか?、彼女を愛しているおまえにこんな事が、彼女が地球に騎乗する瞬間おまえも興奮したはずだ、彼女は地球に乗馬した、そして、そして、彼女はまた彼女に戻ってくる、彼女は戻ってくる、まるで彼女のなかにあるすべての女の悪の可能性と一騎打ちをし打ち勝ちとうとう彼女の魂の純粋な安らぎのなかに彼女を護り通したのだと、おまえは彼女のすべてを見てしまったかのようだったと、おまえはその事実をどうやって言葉にするんだ、結局、貴様はあの瞬間に彼女に完全にすべてを禁止されたのだ、おまえはやっぱりこうして恐ろしいまでに彼女とは遠く離れた存在の事を綴っているかのような言葉しか書けないのだ、貴様は一言も彼女について書けてはいない、貴様は能なしだ、きさまごときそんざいがかのじょのにくたいのまえでうたごえのまえでそのひさんなしこうとむぼうなかんじょうといまにもいきをひきとりそうなげんごでは、なにも、なにもできやしないのだ、きょうじゅつしろ、すなおに、おまえはかのじょがおどるときかのじょのうちゅうのなかであかごになったのだ、」
また違う奴が言う。
「↑おまえの意見などくそだ、なぜなら、今ツアーの彼女ほどに感情が誘発した野獣さの意識不明に立ち向かった彼女はいなかった、彼女は自らの奥底から湧き上がる凶暴な輪郭に無我夢中になるのではなく、彼女の強靱な意思によって彼女自身だけを強く揺るぎなく宿し、彼女のなかに今の彼女の乙女の血潮以外にはどんな女の時間も感情も憑依する事を許さなかったのだから、彼女は最後の最後まで、彼女自身の肉体の乙女の文明で野獣になってしまうその寸前でなおも彼女自身で居続ける事ができたのだ、その事は、彼女が重力さえ従わせその絶対なる法則をも歪ませたあの着陸する姿を見れば一目瞭然ではないか、彼女は穏やかだった、あれは肉体の野生ではない、あれこそ彼女の肉体の文明だ、踊りながら離陸し着陸するというその行為は、彼女がただただ彼女を踊ったその到達だ、愛して愛しての時の彼女をおまえは見たか、あの彼女の、今の彼女の性をそのまま見てしまったかのような、あの瞬間の彼女はけして彼女以外の女の性を憑依させてなどいなかった、背伸びも誇張もなくあの踊りの聖なる香りは彼女の性の背丈だったのだ、踊りの体温も、踊りの年月も、彼女は一切の憑依を許さなかった、彼女はただ彼女の迸りを踊れていたのだ、」
言う。
「あなたたちの言っている事が私にはわからない。私には、野獣だの、乙女だの、人間だの、領域だの、純粋だの、性だの、私にはあなたたちの言っている事こそがこの世界でもっとも彼女の表現に遠い言葉のような気がしてならない。あなたたちは一刻もはやく彼女について沈黙したほうがいい」
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自己紹介
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- Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!





