どちらも諦めていない、つまり、軽さも、重さも、リゾナントの動きと、歌声の軽さ
彼女について考える事の目眩に酔いしれている時の鼓動の往生際の悪さを憎むべきではあるのだろうけども自分にはその瞬間しか住み心地が良くないものだから好き勝手に鼓動させておくのですが、だからといって、ここまで狂暴な彼女の残り香への執着にはいいかげん自分でも嫌気が差してこないはずもない、しかしだ、彼女がなぜこんなにも執拗に俺のなかで舞いつづけるのかという事を考えるまでもなく考え出すから彼女がただ俺のなかになにか美しい瞬間の記念撮影でもされた写真のように君臨してくれれば良いのだが彼女の君臨はまさしく先に述べたように「舞って」いる、かわいらしくただ俺のなかに写真のようにしとやかに君臨すればよいものをなぜ彼女は舞うのか、いや、なぜ俺は舞っている彼女をこんなにも思い出し浮かべるのか、彼女の踊りがそんなに好きなのか、いや、好きという訳ではないだろうに、なぜなら、彼女をひとりの娘として女としてみるのならばだ、はしたなくかわいくラー油を粗末な宅配弁当の白米のうえにかけようとしている姿にこそ見惚れるのだ、だから、彼女に恋している心情の過剰な領域に心音が高鳴っている時はただそうした彼女のなんでもない肉体の運動をその瞳の佇まいをそのフォルムに見惚れ大事にしたいと思うだろうに、なぜ、そうした彼女のかわいらしい姿に見惚れる事を犠牲にしてまでも、こんなにも「舞う」彼女を夢見るのか、いや、見惚れているのか、執拗に執拗に、こんなにも彼女の事を書かなければいけないという意識に呪われている奥底には彼女の事と言うよりも「舞う」という彼女の状態にこそ興味があるのではないか、なぜその瞬間の彼女にそれほどまでに執着するのか、俺の「書く」という行為と彼女の「舞う」という行為の一騎打ちを企てたいのか、それはつまり、彼女との情事に至れない事の代理的な愛撫なのか、彼女を愛撫する手段なのか、不可解だ、自身でもこの使命とも欲望とも違うだろう意識が厄介でしょうがない、
振りを変革するのは愛情だったりする事があるが、自分の肉体と連動sあせる
リゾナントブルーでなぜ彼女はリゾナントブルー(地球(その時、娘。たちはスタージの床に地球に立っているのではなく曲のうえに立っているのだ))に跨り乗馬してみせたのだろうか、それもあまりにも突然にだ、あの時、俺は彼女側の席だった、あれは。。。最後のサビの繰り返しの時だっただろうか、彼女が突然に、まさしく視界から「消えて」しまったのだ、彼女はステージから一瞬にして姿を消してしまった、いったいどの表現者がどんな思惑を抱いて行うって言うんだろうか、いや、消えたはずの彼女を見つけるのに2秒もいらなかった、彼女は立つことをやめて地面に完全に座り込むのでもなく、まさに馬に跨り砂漠地帯を疾走するかのように、地球に、地面に跨り踊っていたのだ、その時の彼女の「舞」が焼き付いて離れないのは彼女が一瞬だけ行方を娘。から眩ましてしまった事による彼女の不在感ではないその存在証明の遂行の花の形相だ、彼女の肉体は地面に触れるか触れないかの瀬戸際で重力をありえない方向にぶちまけていた、ここで語る重力というものは地球が彼女を引き寄せ直立させ吊し上げているその重力ではない、そうした重力と攻防する彼女自体の重力の事だ、彼女の身体は極限まで無駄な私情を感情をないがしろにしながらなにか、そうだ、ただ純粋に生命を躍動する臓器のように、彼女は心臓になっていた、娘。の集団から消えてしまった彼女の立ち位置の上部の空間には穴が空いていた、そのすぐ下の空間では彼女が小さくしかしとてつもない巨大さで両膝を尽き地面に肘で鞭を入れ上半身と下半身の結界を説き解きただ躍動する心臓になっていた、今までのリゾナントブルーの彼女に唯一残念に思っていた事は彼女のあの野生の鳴声のように美しいフェイクに打ち勝つ肉体の躍動がなかった気がしたからだ、彼女はあのフェイクの瞬間に客席の一人に狙いを定め視線を外さずにフェイクすると36回目の苺いちえで言っていたが、そうした野蛮さに打ち勝つ肉体の躍動がどうしても生まれなかった、しかしだ、彼女はついに、あのフェイクと聖戦できる肉体の動きを創造し生んでみせたのだ、いや、またこう述べなければいけないのだろうか?、事実関係としてはその動きをはじめて確認できたのは突然に神戸であったと、そして、その動きが彼女が独断で瞬間的に創造し生み出し遂行したものなのかはわからないと、しかし、そうした事をすべてないがしろに横に放り投げても俺は言いたいのだ、彼女がとうとうあのフェイクを越える肉体の瞬間をリゾナントブルーで踊っていると、リゾナントブルーでさえ進化可能なのだと、彼女というひとりの存在のなかで巻き起こる肉体と歌声の凄まじい戦いがある、その事だ、ずっと俺が思い浮かべる彼女の「舞」と「歌声」の、今ツアーでの彼女のどこかで優雅な余裕とでも言うのか力を抜いているかのように、筋肉質な感情と烈火と物語りへ服従を軽蔑でもするかのような突然の放棄を、いや、たしかに彼女はどこかでなにかに反抗し放棄していた気がするのだ、そしてそのダンスはなにかもしかしたら今の彼女の表現のひとつの到達なのだろうかとさえ思わせる異様な瞬間だったのだ、しかしあまりにも、その力を抜いた優しい彼女の躍動がつづく事も、優雅さやそのかろやかさは凶暴な印象を俺に与えた、静かな四肢の優雅さがただの優雅さではなくどこかでとてつもなく恐ろしい瞬間への序章のような気がしてならなかったのだ、彼女は優雅さリゾナントブルーという曲は彼女にとっても娘。にとっても俺にとってもとてつもなく大事な曲だ、あの曲はとても野蛮だ、その野蛮さはどこか彼女の野生に似ている、リゾナントブルーは今の娘。の恐ろしさが朧気にもその骨格を抱きはじめた刻印のような曲でありとてつもない運動で躍動してゆくのだという肉付きしてゆく瞬間そのものだったつまり!、リゾナントブルーという曲のどこか普通ではない蠢きと狂気と運動を秘めた不気味に美しい曲の「生きている」のだというその現在進行形の躍動の動きこそ今の娘。の動脈なのではないか、
2010年5月31日月曜日
2010年5月29日土曜日
与えられたもののなかに与えるという事
彼女が「与えられたものいかにこなすか」というだけの存在ではなく、「与えれらて育て文体をカエル、さらっとうたわないようにする」、与えられたそれ以上のものを自らに「与えている」存在であるというのならば、彼女が創造したものを挙げてみればいいはずなのに、それを容易く言葉にできない俺はやはり完全に破綻しているか彼女を見ている力が未だに貧弱なのだ、あの振り付けのところがこうだ、あの瞬間に彼女の創造した動きを入れていると言った具合には説明不可能だ、例えば、今ツアーのリゾナントブルーでの彼女は曲も作れないし、彼女は振り付けだってできやしない、それこそ、彼女自身やDさんが発言する通り「与えられたものをいかにこなすか」というその領域で娘。たちも彼女たちも闘ってきているはずだ、けれども、近頃の娘。に感じる、与えられたものを壊す寸前にまで自らの濃度を高めてしまう身体の動きというのはたしかに存在していると思うのだ、それは愛ちゃんをはじめ絵里ちゃんにも強く感じる事だ、娘。にはつんくというプロデューサーも居るのだし、舞台構成のスタッフやダンスの振り付け師だった居る、つまり、彼女たちに「与える」大人の存在がいくつも居るのだ、この曲はこうして踊るべきでこうした歌声で歌うべきだとか、この曲にはこうしたメッセージが込められているだとか、あらゆる大人の創造者が彼女たちに思考を美意識を物語を授けようとするはずだ、俺がいちばん不可解に思ったことはこの春ツアーがはじまる直前までリハーサルがうまく行かずに怒られたというその事実だ、なぜ娘。たちを与える創造者どもが怒ったのか、単に振り付けを覚えられなかったのか、表現が彼らの創造したものと違うからなのか、良くはわからない、しかし思うのは、創造者の奢りとでも言うのか、バレエのDVDを見ていても結局は踊りをその表現を肉体に最終的に与える事ができる存在というのは踊る本人でしか可能ではないのだ、それなのに、なぜ、俺は彼女が「与えられたものをいかにこなすか」という領域の話では落ち着けないのか。
与えられたものをいかにこなすかというその無垢さなり純粋さなり、
彼女が苺いちえを一から創ってきた番組だからというような発言をしている事も考えなければいけない。
涙ッチ、ハロモニ。遊んでいるのにそこで娘。たちの動く、ソロ曲柄でリゾナント、あの衣装も
小春喪失をジュンジュンが元気玉みたいになる。。。
メドレーが与えれれたものが変貌する、生まれ変わる、不安定さが、さゆが振り付け問題、ジュンジュン、娘。を模倣から、
与えられたものをいかにこなすかというその無垢さなり純粋さなり、
彼女が苺いちえを一から創ってきた番組だからというような発言をしている事も考えなければいけない。
涙ッチ、ハロモニ。遊んでいるのにそこで娘。たちの動く、ソロ曲柄でリゾナント、あの衣装も
小春喪失をジュンジュンが元気玉みたいになる。。。
メドレーが与えれれたものが変貌する、生まれ変わる、不安定さが、さゆが振り付け問題、ジュンジュン、娘。を模倣から、
2010年5月28日金曜日
娘。たちの重力。
何度か書いている事だし、どこまで書けているのかわからないが、娘。たちの重力。
「近頃の娘。たちの歌声には女の重力があるから好きだ。」
「若い頃の歌声よりもずっと好きだ。」
兄「ヴィゴの新学期操作ゼロこのまえ観たじゃん、少年たちが暴動を起こして暴れるシーンで俺さ、娘。を思い出したんだ。。。。あの時、少年たちが枕とかを裂いてさ、部屋中に羽が舞ったじゃん?、あのかろやかな浮遊、でも、あの羽が少年たちの自由への願望なり、その躍動を現す動きには俺には思えなかった、あの羽よりも、目には見えない足かせのように重力を、少年で居るその重さを引き連れた少年たちのジャンプや暴れている身体の方がずっと俺にはかろやかに見えたし地面についているその足が支える躍動が羽の自由な動きよりもずっと感動的だったんだよ。。。。あのシーンは、少年たちの手によって裂かれた枕から噴出して、姿を見せた羽のその真っ白な巨大な霧の大群のような姿でさ、羽がそこに顔を出し存在してみせているって事は羽が示した自由と、もはや、少年たちの自由と同等ではないって事を、重力を強く引き連れたあの部屋で映してしまっていたと思う。。。あの少年たちのダンスがすげー娘。を思い起こさせたんだよ。。。俺、ずっと娘。たちと重力の事を考えていてさ。。。」
弟「うーん。。わかんないけどさ、シモーヌヴェイユって女の人が書いた「重力と
「近頃の娘。たちの歌声には女の重力があるから好きだ。」
「若い頃の歌声よりもずっと好きだ。」
兄「ヴィゴの新学期操作ゼロこのまえ観たじゃん、少年たちが暴動を起こして暴れるシーンで俺さ、娘。を思い出したんだ。。。。あの時、少年たちが枕とかを裂いてさ、部屋中に羽が舞ったじゃん?、あのかろやかな浮遊、でも、あの羽が少年たちの自由への願望なり、その躍動を現す動きには俺には思えなかった、あの羽よりも、目には見えない足かせのように重力を、少年で居るその重さを引き連れた少年たちのジャンプや暴れている身体の方がずっと俺にはかろやかに見えたし地面についているその足が支える躍動が羽の自由な動きよりもずっと感動的だったんだよ。。。。あのシーンは、少年たちの手によって裂かれた枕から噴出して、姿を見せた羽のその真っ白な巨大な霧の大群のような姿でさ、羽がそこに顔を出し存在してみせているって事は羽が示した自由と、もはや、少年たちの自由と同等ではないって事を、重力を強く引き連れたあの部屋で映してしまっていたと思う。。。あの少年たちのダンスがすげー娘。を思い起こさせたんだよ。。。俺、ずっと娘。たちと重力の事を考えていてさ。。。」
弟「うーん。。わかんないけどさ、シモーヌヴェイユって女の人が書いた「重力と
2010年5月27日木曜日
きょうの彼女のかわいさ
きょうの彼女のかわいさを思うとき、彼女が娘。のリーダーとしてリゾナントライブをそしてナインスマイルを達成してしまい、あの領域を越えてしまった女の子であるという事を自身で認識してしまった事が大きいように思える。
秋コンの彼女がいつも恐ろしくなるのは、秋コンの寸前に彼女が歳を重ねてしまう事にある気がしてならない。
彼女はいつも秋ツアーのリハーサルの最中に歳を重ねるお誕生日の娘。の女の子なのだ。
23歳になり23歳である事を強く意識する事で、彼女は自身の娘。年月と娘。という乙女集団の年月をその状況をその表現を強く意識したはずだ。
その季節に、小春去るあのナインスマイルを彼女はリーダーとして越えなければいけなかった。
彼女という娘。は他の娘。と比べて圧倒的に娘。で居るその愛しい状態を戯れる行動や物語る言語で世界に明るみにする事が苦手な娘。だった、だからこそ彼女は肉体の踊りや声の歌声によって、その孤高になりかねないほどの表現によって娘。になっていった女の子なのだ。
そうした娘。乙女期を通過してきた彼女がきょうガキさんに「なんだか甘えたいお年頃のようですばい」と言われているこの穏やかな乙女の生命風景こそがきょうの23歳の彼女であり、私には彼女のきょうの到達と思えるのだ。
23歳の愛ちゃんといつしか思い出す事があれば、私は、あの冬を道連れに、きょうに至ったこの春なのか初夏なのかわからない愛ちゃんこそ23歳の日々の愛ちゃんである気がしてならないのだ。
いつの事だろうか、よっすぃーの提言による「もっと愛ちゃんそのものを表現してもいいんだよ」というような言葉を契機に、今春ツアーで「エロかわいい」が目標ですと愛ちゃんが声に出してからというものの、なんだか、愛ちゃんのかわいさがどうしようもない程に爆発している気がするのだ、愛ちゃんのかわいさや美しさが穏やかな感情のリズムで呼吸をしているきょうなのだ、苺いえちを越えてファイブスターズで愛ちゃんは自分の好きなものを自分の好きなように自分の言葉で語る、愛ちゃんは今、今やっと、愛ちゃんを語りはじめてる、愛ちゃんを俺たちに見せてくれるようになったのだと思うのだ、だからこそ、俺はこんなにも困惑しているしこんなにも毎日毎日、愛ちゃん
に惹かれてゆくのだ、俺は愛ちゃんに出逢ったばかりな気がしてならないのだ、女の子の愛ちゃん、愛ちゃんという女の子に、
秋コンの彼女がいつも恐ろしくなるのは、秋コンの寸前に彼女が歳を重ねてしまう事にある気がしてならない。
彼女はいつも秋ツアーのリハーサルの最中に歳を重ねるお誕生日の娘。の女の子なのだ。
23歳になり23歳である事を強く意識する事で、彼女は自身の娘。年月と娘。という乙女集団の年月をその状況をその表現を強く意識したはずだ。
その季節に、小春去るあのナインスマイルを彼女はリーダーとして越えなければいけなかった。
彼女という娘。は他の娘。と比べて圧倒的に娘。で居るその愛しい状態を戯れる行動や物語る言語で世界に明るみにする事が苦手な娘。だった、だからこそ彼女は肉体の踊りや声の歌声によって、その孤高になりかねないほどの表現によって娘。になっていった女の子なのだ。
そうした娘。乙女期を通過してきた彼女がきょうガキさんに「なんだか甘えたいお年頃のようですばい」と言われているこの穏やかな乙女の生命風景こそがきょうの23歳の彼女であり、私には彼女のきょうの到達と思えるのだ。
23歳の愛ちゃんといつしか思い出す事があれば、私は、あの冬を道連れに、きょうに至ったこの春なのか初夏なのかわからない愛ちゃんこそ23歳の日々の愛ちゃんである気がしてならないのだ。
いつの事だろうか、よっすぃーの提言による「もっと愛ちゃんそのものを表現してもいいんだよ」というような言葉を契機に、今春ツアーで「エロかわいい」が目標ですと愛ちゃんが声に出してからというものの、なんだか、愛ちゃんのかわいさがどうしようもない程に爆発している気がするのだ、愛ちゃんのかわいさや美しさが穏やかな感情のリズムで呼吸をしているきょうなのだ、苺いえちを越えてファイブスターズで愛ちゃんは自分の好きなものを自分の好きなように自分の言葉で語る、愛ちゃんは今、今やっと、愛ちゃんを語りはじめてる、愛ちゃんを俺たちに見せてくれるようになったのだと思うのだ、だからこそ、俺はこんなにも困惑しているしこんなにも毎日毎日、愛ちゃん
に惹かれてゆくのだ、俺は愛ちゃんに出逢ったばかりな気がしてならないのだ、女の子の愛ちゃん、愛ちゃんという女の子に、
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自己紹介
- phrase
- Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!
