2011年8月8日月曜日

「もうすぐ あいchan卒業やし腹をくくって話したゼッ」

まさに娘。の新曲の領域はこのれいなちゃんの言葉そのものだ。

2011年7月15日金曜日

あさちゃんへ

あさちゃん、暑中お見舞い申し上げます。

俺は自分の過去をなにもまとめることができません。

感情に降りてくる、いや、感情に登る、どちらにせよ好きな女の息づかいにさえ、その言動や仕草をも、恥ずかしくて見ていられないのだからここまでくるともう、愛だの恋だのもただの悪寒誘発絶句です。
ある瞬間に、この世の多くの者が追随できないであろう領域の思考発火に僕が炎上し、ああ、こんなにくだらなく熱い夏だ、そんな風に吐くとき、良くも諦めもせずにせっせと厚かましく人間面であろうとする他者どもの行為と発言と自意識のすべてがお盛んな赤子のように思えてしょうがないのです、けれど、こうしたまるで己だけがそこから遠くに居るのだと吠えて透明になろうと僕が企てるのなら、僕は僕を終えたい。

人間は破壊を猟期とみなし営み孕んで暮らす、激情を酒の肴にする、僕の怠情も恋心もそうした席のかっこうの餌になってしまうのだろうな、それも僕が僕を酔わすために自らを肴にするのですから、これはいけません、けれども、ちょっとだけコーヒーの缶に向かって恥ずかしいと微笑む事しかできません。

現世において女を語ることに至っては他の者などはほんとに屑にしか過ぎない。
俺に愛されずに、俺の言葉をもらえない表現者である女の子たちはなんてかわいそうかと思う。
そうした言動が血の内部で騒ぐときがいちばんに悲しくなる時です。
いかん、発作だと命を伏せる。
そのくせ、もっとも語りたい女には言葉を根こそぎ命ごと奪われつづけているのだから滑稽であり狸の死に真似の如く野蛮な敗北です。

僕がとうのむかしに与えてやった視点器官をどうにか自分なりにその子を見つめる顕微器官に移植し乱暴に操作して言語を展開しているようにしか見えない時に、
では、彼女はおまえにどんな新たな領域を与えたのか、そう自問自答するのですが、この女のために産まれた視点であれ、感情であれ、その立証に、確信を、魂をもって高らかに宣言する事なども最早できないのです。

この女を愛してできた傷である、そう肉体に愛したという烙印が消えない傷のように点々と蠢いていたのならば、どれだけ救われるだろうか、この可視不可能な、女を見つめる器官、その痙攣や暴走の発端がどの女であるのかわからない状態に置かれている事に、ただ震撼し無理矢理にそのすべてを寸断させる事でそこから一瞬でも遠退いてゆける安堵を求めてしまいます。

かわいいと言うひとつの言葉をあらゆる言語に変換させ賛美の無限の言葉へと変貌させる錬金術を最早自分は湧かす事ができないという確信だけがずっと己のなかを支配します。
一言で申せば、つまらない、こんなにもつまらない女だったのかと拗ねてみせた所で、こんなにもつまらない僕だったのか、と喚きたいだけなのです。

歌い踊るという事によって彼女が彼女をついに発見し救出する事がそんなに感動的な事でしょうか、むしろ、彼女がそうした欲望さえも放棄し、彼女が、女の子ですらなく、舞に、歌に、なってしまっている時にこそ僕は歓喜していたはずだった、果たしてその事が一ミリも彼女の行為の真実をかすめていなくとも、僕にとってそう見えたという歓喜を優先していたのかも知れないだけなのに。
ひとたび、歌い踊る事を止めてしまえば、
感情に降りてくる、感情に登る、そうか、人の故郷とはあの静かに恐ろしい水平線ではなく、いつでも感情という太陽だったのかとがっかりするだけの日々です。

彼女が水平線に騎乗してみせた美しい肉体の嗚咽が優しく輝く感情太陽に寝取られるのだ。
僕は、愛する女に、おまえは真顔だけが美しいのだと云う。
こんなにも酷い言葉も無いでしょう。
つまりは僕はもう愛などこの世の誰よりも信じてはいないし、人間が発明したその兵器からいかに遠ざかれるかだけを夢見ている、
明日にもそのすべての案から離脱しかねない、あからさまな敵意だけを食らう男なのです。

けれども人間的な愛情行為だけが女に側近する唯一の法でしょうか。
あからさまな敵意をもっておまえを見つめる唯一の男の生存。

しかしこの夏はなんてくだらないんでしょう。

光も風もこの世の一切が阿呆だ。


その事だけは確かなようです。

僕は彼女のなかに白夜を照らしたい、
「君だけはこのおぞましさのなかで美しい。」


「俺は君がこれから静かに強く洩らしてゆく「女の子」にボロボロにされるんだ。」



「うれしいよ。」



「うれしいよ。」





「改行、改行使えば君にも伝わるのかな。」


「改行、これでいい?、寂しさが悲しさがうれしさが伝わるかな?、」



「ねえ、







こんな風に俺はだめになってゆく、」







「君の美しさを心臓にたたきつけて」


「俺は君を愛したいと思った。」

あさちゃん、僕は彼女にこの先、なにが言えるでしょうか、俺はなにが書けるのでしょうか。

2011年6月17日金曜日

interview with...

おまえにインタヴューするためのメモ。

「終わりがやってきてしまう」という事が前提にあるという意味において考えるとき、モーニング娘。としての新曲「Only You」もまた、さきほど出演なされた「ハムレット劇」におけるオフィーリアの死のダンス同様に、一種の終わり、「卒業」が待ち受けている状況や状態での新曲となる訳ですが、ここで「卒業」と「死」の細かい相違を定める時間はないので大ざっぱに「一種の終わりをこれから向かえる寸前の女」としてオフィーリアと貴女を語る事をお許し頂きたいのですが。。。。。。

私が新曲「Only You」の貴女を見て感じた事は、終わりを受け入れた状態の者がその終わりを覚悟し受け入れ微笑む絶対的な勇姿などではなく、最早、終わる事やはじまる事、生や死、それらを思考する領域からは遠く離れた意識のなかであなたの肉体や歌声がただ、今そこで踊り歌う事の純粋さだけで息づく瞬間のように思えました。。。。これが私の真意だと???、馬鹿な、貴女ほどにしっかりと終わりを受け入れそれでも過剰なほどに現在をただただ先に侵攻させる昇華を欲しがり、美の生成を行おうとする女性もいないでしょう、そう、貴女は時折、役目と言う言葉や意識を持ち出す、しかしそれはあなたの欲望から逃れる常套句だ、私はいわゆる貴方の発言なり行為をすべて鵜呑みにする優しい純粋なファンではない、私は貴方の言葉に偽りと憧れ、精神の修正が施されている事を知っている、貴女が置かれている状況故に、そう発しなければいけなかったとしても、貴方が真新しい肉体や存在がなくとも不変という状態のままにかつてない変貌をくりかえす事ができると言ったその数ヶ月後には新たな肉体を入れる事こそが変貌なのだと言って見せた時のように、貴女の言葉はけしていつも素直であったわけじゃない、今、貴女が未来を護るために、演技やドラマの話ばかりをしている事を私はそのまま貴女の真意、表現欲望の真意だとは思ってはいない。。。。貴女の欲望がとてつもない領域で貴女に愛をもたらす瞬間が娘。でしかないという事を貴女は私以上にその肉体と魂で今まさに知るはずだ、新曲を歌い踊るそのなかで。。。。。。貴女の素晴らしさは、踊りや歌うというその瞬間に意識や役目、思考から逸脱する欲望に見舞われるその瞬間だ、貴女は新曲でさえ、間違いを犯すし、その間違いに踏み込んでしまうという事だけがあの集団を導く最後の振り付けだという事も知っている。。。。オフィーリアと娘。としての貴女の決定的な違いは貴女はオフィーリアのように乙女殉職してしまわない事だと思います、いや、詳しく言えば貴女は、一曲の曲中においてオフィーリア的な発狂や乙女殉職をかすめる、たしかにその寸前にまで到達したりもしくはそれを通過してしまうが、あなたはかならずまた浮上してくる、それはけして発狂する事のない女の肉体が発狂よりも美しい恐ろしい発火で踊って魅せる貴女の乙女という意識の勝利であるし、乙女殉職寸前にけして命滅びず命が終わり続けはじまり続ける貴女のダンスは乙女が殉職する事に勝利しつづけています、オフィーリアの死のダンスに私が強く感銘を受けたのは、あなたが世界の花を道連れに水のなかでもがきながらも美しいダンスで踊ってみせたその最後に、あなたがあの時代ではけして存在しないマイクを持って歌うような仕草をしてそのまま沈んで行ってしまうダンスでした、あの瞬間、私は貴女がオフィーリアではなく同時に高橋愛であるという事に気づく訳ですが、であるならば、オフィーリアと新曲をほぼ同時期に演じては歌い踊る貴女について、どこかで同時多発的に、今貴女が置かれている運命やそれに立ち向かう姿勢なり肉体や魂の在り方として、方法論は違うとしても、私にはなにか、その両者、二人の女の状態を行ったり来たりするあなたの肉体や魂のなかにとてつもない美しく危ういなにかを見た気がするのです。

さゆがPVの貴女の微笑みに大きな感動を受けるのは、貴女のあの微笑みが、微笑みという定住する感情領域などに咲くあの表情ではなく、どこかでまったくなぜ微笑んでいるのか、こちらに意味を深読みさせる事を許さない微笑みのようであるからではないでしょうか、
そもそも、さゆや他のファンの方々があの表情を「微笑み」と呼びますが、私にはあなたのあの表情が果たして「微笑み」なのか、貴女のあの表情を「微笑み」と呼んでいいのかさえわかりかねています、むしろ、さゆを含め私たちのように貴女を少しでも愛して来た人間はこう言わなければいけないのではないでしょうか、今まで貴女が見せた事もない表情を見てしまった、ただそれだけなのだと。

たぶん、我々はあの貴女の表情を「微笑み」と呼んではいけない。

そしてなにより、微笑みと呼ばれるあの表情よりも、あなたの表情以外の肉体だ、あなたはあの表情をしたあとすぐさま、振り付けのない純粋に湧き上がる微動のような震度で、リズムを取ろうとする、私は、その微動にこそ貴女が貴女である絶対的な証明を見る。

ダンス(と言ってもPVにおけるダンス)。

(ダンス⇔ダンス、つまり、目のまえの写鏡のようにダンスレッスンの段階で隣に何人かの娘。たちは存在したはずだ、完全な孤独ではない。

愛ちゃん、ハムレットの稽古場で一人ダンスの練習。)

まず、このPVでのダンスはCD音源に合わせて娘。たちが踊っているという事。
(だからこそ、あの愛ちゃんのほほえみと呼ばれる瞬間が生まれた、愛ちゃんは自身の歌声になにかを「合わせる」)

サビの部分のあのダンスのダサさはどうだ。。。。この曲においてもサビの不在とも言える、何度もサビが訪れるかのような訳のわからない変異連続だが、Bメロって言うの?、わかんねぇけど、あの瞬間の恐ろしいまでのかっこよさから、おかしさへと転げ落ちるかのようなサビのダンス、そうなのだ、この曲の恐ろしさはサビの愛ちゃんを見て笑ってしまえる事にある、忘れてはいないか、高橋愛は戦慄させながらそれ以上に俺たちを笑わす、その両極を同時に孕める、新曲のサビのダンスのおかしさ、恥ずかしさ、そこからまた戦慄へと登ってゆく。。。新曲、恐ろし、訳がわからない。。。オンリーユー。。。。というか、この曲のなかに存在する動いの数々の滑稽さはどうだ、この乙女たちの肉体の審査を通らないはずのフォルムの連続はどうだ、動きだけを抽出して俺が理解できるのはこんなにおかしな動きを年頃の乙女たちにさせてはいいのかと言う事以上に、その動きをこういった形で形成できるこいつらの恐ろしさだ、まずは9期から語らねばいけない。。。やっしーのダンスを褒める人間たちのほとんどがその褒め方を間違えてるとしか思えないのは、ダンスの文明的な動きをその系譜をしっかりとダンス出来ているかどうかって話ではなく、娘。特有の理不尽な数々の動作のなかにやっしーの小さな肉体がほとんど迷路に迷い込んだ子供のように動いているそのダンスこそを褒めるべきだ、しかし、この子の歌声はほとんど娘。という状態になびくことなく君臨しているように思える、もしかしたらやっしーは歌声の子なのかもしれない、

ふくちゃんに至っては最早何の迷いもない、まるでふくちゃんはかつての肉体を捨て去るかのように、娘。になれた、というその事実のなかにふくちゃんの肉体を水と蜜を混ぜた直後の柔らかいブロンズ粘土のように還らせ、しなやかに娘。の動作形態に変貌させているかのようだ、そしてふくちゃんはあんなにも柔らかかった肉体を娘。を踊るというその状況のなかでついに最後の乙女成長期を娘。というフォルムに至らせる事を覚悟し最後の柔らかさを捨て去り、次第に娘。という硬さに凝固してゆくブロンズ像の如く、あの硬さと柔らかさが青の上でただただ光る塊になっていくのではないだろうかという事を俺に思わせた、きっと俺たちはこれからふくちゃんの柔らかさではなく、その堅さの美しさを知る事になる、


娘。という肉体の力学の鋳型のなかに肉体を嵌めこんで上から重石を置くことなど不要だった、他の二人が娘。に混じった異物に見えるのならそれこそ、その状態を踊れている事において、彼女たちにしか到達できないダンスだ、あらゆる部位から娘。に今まさに変貌してゆくその絶叫と歓喜が溢れ出すかのようなダンスと身体状況こそを彼女たちは踊れていればそれでいいのだ、


歌声。

問題は貴女の歌声だ、貴女は歌声を歌声として放っているのか、否、貴女の歌声という透明な所作がかつて美しく流れること無く留まる事ができ一秒も他の娘。を置き去りにしない抜け駆け無しの愛の贔屓で手を取り合うその鱗海をいよいよ無残に放棄している気さえさせる、孤独だと言おう、集団的な連なりの癒着だなんて甘ったれた結晶ではけしてない、かつてないバラバラさだ、なにも歌声が手を取り合っていない、散らばってゆく個性が娘。を破綻させてしまうのではないかと思える程に、娘。という集合体のなかにそれぞれが集まってゆく歌声じゃない、散らばり放射しそれぞれが孤独の絶頂でそこに留まっている、娘。たちの結晶しあう歌声?、くだらない、くだらない、この新曲の娘。たちはかつてない孤独に立ち会っている。。。。

つっこまれるまえに書く、たしかに出発はいつでも孤独だ、なぜなら、マイクで採集したその歌声を機械のなかに拾い集めて重なり合わせ修正を加える、理論上や周波的に混じあわせる、この時点で、彼女たちが歌声を一人一人ブースに入って何度も歌ったりしているその時点で、それはその時点では物理的には娘。の個人の声であり、その時点で絶対的な孤独は香る、しかしだ、俺が言いたいのはそういう事ですら無い、例え一人でブースに入って歌を歌おうがその傍らに娘。たちがいなかろうが、娘。たちというのは今まで、一人でブースに歌う瞬間であっても完全な孤独に身を置くどころか娘。であるその状態を強くさせていたに違いないのだ、傍らにいない肉体の不在と歌声の不在が娘。で居るその状態をどこまでも強めていたに違いないのだ、それは今までのCD音源を聴けばわかる、だからこそ、CD音源なんていう本来美しく重なり合う事が不可能なはずの領域でもしっかりと娘。たちは結晶していたはずだ

(しかしながら、そもそもが俺が娘。のCD音源をほとんど聴かない理由はここにある、なぜなら一度でもライブでの娘。たちの歌声を、同じ場所で同じ暗闇、光のなかで互いの呼吸を感じ互いの香りに慄き合いその事によって肉体の奥底から喚び覚まされたあの歌声の集結を聴いてしまったのならば、CD音源のその歌声は最早俺には過去でしかないのだ、それがいくら美しくとも、もうほとんど聴けなくなる、歌声はデータじゃない、採取できるものじゃない、そして永遠にそこに同じ状態で保存できるものじゃない、どの曲もでもそうだが、CD音源の歌声では最早ないのだ、どの曲も「歌入れした時は。。」と娘。たちが証言するように、その時点ではまるでその曲の生命がどこに向かうべきなのか、どうしてその曲がそこに存在しているのか、その曲を歌う事、その意味が、真に娘。たちの肉体のなかで血と肉になってはまだいないのだ、ライブという状況下ではじめてその曲と真に対峙できる、だから、CDの歌入れの時点では「完全に娘。たちと曲が交わってはいない状態」だとも言える、例えば、娘。の証言から想像すれば、いったいどの部分に自らの歌声や他の娘。の歌声が選ばれるのかはわからないという状態で歌入れをしている事もあるようだ、すなわち、愛ちゃんのすぐあとにれいなちゃんが歌う、そうした状態はまだその段階では二人は知らず、そのための呼吸会釈などあらゆる互いへの連なり、あの魔法がまだそこには存在してはいない事になる、娘。たちの歌声はどの曲でもあの円盤の場所にはとうのむかしにいない、そこに今はもう娘。ではないあの愛する乙女の歌声が永遠に残ってしまっている残酷さと美しさを含め、あの瞬間の歌声の重なり合いが永遠に戻っては来ない事を含め、娘。も俺たちも常に、あの永遠円盤と聖戦しなければいけないのだ。)

スピーカーのまえに出現した時その歌声は確かに抱き合っているかのように重なり互いの歌声の手を取り合うにバトンタッチしてゆくだろう、しかしだ、新曲の歌声は。。。。

発売になったばかりだ、だから、パッケージされたCDという領域の歌声についてしか書く事ができない、しかし、クーザや春コンで何度かこの曲を娘。たちが歌い踊っていた歌声を俺はたしかに聴いている、だからこそ俺だけは、そうした場所に身を置き、娘。たちの歌声をCD収録以降の生きる歌声として浴びた人間たちは、CD音源の娘。たちの歌声だけを聴いてその美しく永遠に生きる仮死状態の声から、産まれ落ち地を這い成長してゆく歌声こそを言葉にしなければいけない、 CD音源という時が止まった永遠地帯の歌声の話だけをしてはいけない、しかし、クーザで聴いたOnly youの歌声とCDの歌声がまったく別の歌声だったという事以外に、今は言葉を持たない。

(娘。としてその作品として、世界に提示しなければいけない一つの結晶としての正規の音は、それは間違いなくCD音源である事、娘。たちがその事をしっかり意識して歌声をいれているだろう事を、否定するものではない、また、もしも、由緒正しく娘。の表現、歌声について語るのであれば、正しさで言えば間違いなくCD音源のその状態について語るべきである、その瞬間を、それが例え嘘だとしても一種の頂点であるかのように語らなければいけないだろう、けれども、俺はただ一度もCD音源のその瞬間の歌声を頂点とは到底思えた事はないのでそうした立場から論じる事は避ける、クドイが、しかし、この世界に残すべきはやはりCD音源のその状態での評価であるべきだ、俺がそれが真に娘。を語っているとは思えなくとも、正しさで言えばそちらの方が絶対に正しいはずだから。)

CD音源だけに評価の重点を置いてしまう、そこから離脱しなければいけないために俺はこれをもう一度書いている、これはそのための文章でもある、つまり、この文章はやがてすべて、オンリーユーを歌い踊ってゆく娘。たちによって無残に壊され、無にされるだろう、俺の言語がすべて間違いになる、そうだ、その瞬間だけを夢見ている、俺は今、CD音源のなかの娘。たちの歌声をききながらOnly youの娘。たちの歌声は孤独だと書こう、今は、今は、以下、漏洩、


「飛び散る唾液と唾液が混じり合う事も、歌声が混じり合う事もない、それどころか、娘。であるという自我の憔悴がそれぞれに叫び過ぎているように横暴に纏まりなくあらゆる亀裂から自らを歌う、なぜだろう、ここでは互いの愛情に抱き合い結晶する歌声ではなく、娘。がかつてない孤独のなかで震えながらそれでも娘。で居る瞬間の歌声のように思えてならない、ここまでこの娘。たちが孤独だった事があるだろうか、傍らには妹や姉が居るにも関わらず(それが生身でなくとも)、肉体は今にも美しく触れ合い(それが生身でなくとも)、歌声は抱擁し合う距離だというのに、この曲の娘。たちは孤独さを自ら選んでいるかのようだ、娘。だという集合する肉体の歌声ではなく、娘。で居るという乙女たちの個人の歌声が肉体一つ分離れたその距離で互いに歌い過ぎているあまりにも強烈な娘。発作とでも言える歌声の噴火だ、冷静なる楽譜的な顕微で誰もが用意周到に歌声の遺伝やその形相や重なりなどを彼女たちに提出してみてもそのレポートは木っ端微塵に破られる、娘。たちの歌声は真空状態に漂うはずのない音でこちらに浸透し、静止する音がなものよりも凶暴な音を放つようにその時を歌う、無謀に踊る肉体のおいたを石棺できるのは貴女の歌声しかない、声の力は声の力として空中を透明に舞って俺に到達すべきだった、声の発展がやがて肉体的になり身体の運動的な影を縁ってしまう事など望んでいなかった、貴女はそこに到達している、貴女の歌い出しの「愛しの君へ」その歌声の最後の末端部の声の散り方だ、貴女はこの新曲の歌声に置いても、一つのフレーズが終わるその瞬間の歌声の景色こそを重視してる、それは乙女が蒸発してしまう時に、散らばるそのかけらが、また新しく産まれる貴女の歌声をつかまえるように、貴女は貴女の歌声の余韻をその道標を歌声に残してる、貴女は歌声を鋭利な喉で寸断しない、貴女の歌声の切れ目は美しく歌声を残す、

それにしても「だけどいまはきみが~」のあのフレーズの貴女の恥ずかしほどに癖のあるあの歌い方はどうだろうか、あれは完全に「恥ずかしい」、が、その恥ずかしさこそ貴女が今歌うべき感情の歌声をもってしてでしか貴女が放てなかったなにかなのだろう、」

2011年5月9日月曜日

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愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね、おれ、愛ちゃんごめんね愛ちゃんごめんね愛ちゃん愛ちゃん愛ちゃん、かりそめの激情なら一睡で崩れさる、
君の事、マジで、君にシリアスだよ、愛ちゃん、踊ってるときどんな夢を見る、
僕はなにもしてやれない、愛ちゃん、愛ちゃん、俺の人間余命
を、愛ちゃん、愛ちゃん、君、君、俺は放射線の話をしてるんじゃない、降って咲いたおまえの涙する娘。心臓よ、理性、窓際、囁き、悲しいともうれしいとも鳴かない君の歌声なら、なにも撃ち落とさない君の踊りなら、ねえ、愛ちゃん、愛ちゃん、世界は君をないがしろにしてんだ、ゆるせないよ、死を、生を、愛ちゃん、俺、不甲斐ねえよ、君は人類史上最大の踊るかわいい女だ、だのに俺は、人類史上最大の君賛美者じゃねえ、愛ちゃん、力を、
力を、おれに、美しいひと、君の鼓動がまだ若くふて腐れてくれてる今に、気絶する四肢が理性を放棄して、指先の指揮が赤子に還って、おどる身体がすべての表現使命を越えて、結核痕、さだめ、ありえない病魔を纏っちまった息継ぎで新曲歌うだろ踊るだろ、血清を精製するみたいにきらめく君の声や睫毛のふともも、金輪際ガールを封印するみたいな宣告ダンス、油性が水性をおかすみたいに、美しいんだ君は、拭えない色を葬るみたいに腰が奇声を吠えて瞳は24の乙女おでこは5つの幼女、神話が君に身投げしてるんだ、君の魔術、君は前世に巫女だったと言われたってプロフィールに書いてた、なら、
なにを憑依させるんだ?、視界が自害した江戸の式女か?、馬鹿な、おまえがいつでも憑依させ召喚しつづけたのはただただおまえという女の子なんだ、ただ生きる呼吸では喚びだせなかった君の全貌だ、愛ちゃん、人は自分を召喚できないんだ普通は、人は最期の最期まで自分に到達できない、ましてや、娘。だなんて花影を、
かたちにできるはずはなかった、君はやったんだ、君は娘。を唱えた、絶叫で、優しさで、怒りで、俺は見た
君に娘。を見た、愛の領土、儚い瞬きのなかで君を見る、僕は物語を棺桶に刺してはじめて微笑んだ、でもね、君の瞳が語る乙女吐露が俺が愛せる唯一の物語なんだ、俺はメロディをハリツケにしちまった、でも、君の胸のメロディに心底やられてる、ねえ、愛ちゃん、マジスカの君の素晴らしさを俺はどう言葉にしよう、君は間違ってるただひとり、他の誰よりも間違ってる、
全体の輪を崩す君のわがままなおいただ、さゆがそれを正す、君に一ミリも加担しないで、さゆは君をあやつる、優しさと語らいは肉体のくちずけだ、さゆが君に唇を寄せるよりもずっとおとななさゆのダンスだ、君がさゆのダンスを許した時に娘。ははじまった、季節が生まれた、その愛情がマジすかで爆発してる、さゆと君のダンスは混血した、さゆは君で君はさゆだ、な
にも色落ちしちゃいない、君たちは互いの異質で混わる、互いがわがままに、さゆは君を凌駕する、君はさゆを凌駕する、恋の話を俺が吐いたら命のシャッター降りるみたいに、霧が仕込め、俺は愛情を、絵里がジュンが去って枯れた色気があるなら、君のおでこはなにを光らす、ふくちゃんの肉体が浚われた色気を呼び寄せるまえに、君は去るのか、かつてない幼稚さがしきたりを許るさずに君は聖地にするはずだ、君は、
君は、残す、限りない場所を、肉体が魂の容れ物なんじゃない、魂が肉体の容れ物なんだ、真実が蔓延る肌でもない、ただ震撼が肌に有る、オンリーユーを歌い踊る君の娘。心電図の肉体のご臨終と蘇生の織り成しはどうだ、銃身が塞がり空を騙す、君はあからさまになにもかもをだいじにせずにだきしめられる、

2011年4月28日木曜日

緻密な激情だ(僕は塞ぎ込んでる)、なにを言っても聞きやしない赤子の勝算だ(感情は手に負えないはじめての子供のように俺のなかを書けまわる)、理解の不親切で俺はなにもかも回答できない(理解したって頷くたびに俺は歪んだ血潮を嘔吐するだけだ)、理性のとばっちりで(いつもそいつのせいで)、俺は一秒ごとに我に返る(そして一秒ごとに忘れる)、無様な心音が微睡みの匂いを嗅ぎつけてもう泣く手立てを装飾する(詩集、物語り、コード、香り、洋服、レジ、無精髭とパジャマと水以外のこの世のすべて)、いいかげんな狭間だ(心臓と瞳の距離ぐらい)、彼女が髪を金髪にした(手錠を、貞操帯を、猶予を)、まるで彼女の漆黒がその闇黒が解放され世界を満たすように俺を襲う(髪の一本一本に染みこんだ乙女の黒、その色から生まれたあらゆる色が、太陽の色に「もってかれる」)、根こそぎ(頭皮を爛れさせながら)、軽やかさ(毛先も、血管も)、明るさ(太陽の絞り汁でこの夜を照らせ)、物語り(ワンピースを心臓になすりつけろ)、ボーイッシュ(女で居る鎖の剥離、王子がいなければ自らが王子になればいい、性の透明さに居心地が良くなってゆく、わたしだけのタカラヅカ)、彼女は軽くなる(痩せてゆく胸のように)、軽くなる(重くなってゆく太腿とは逆に)、彼女の自由さ(無期限の不自由さと聖戦しなければいけなかった瞳がついに見境なく)、自由(あれもこれも、今までのすべての禁止を)、それでも彼女が更新するたびに「ウイスパー」の広告が蔓延る(あいのり、宿命、男優、ハムレット、稽古場、世間話、血と汗の出会い)、俺は映画を見る(無感情の生理行為、俺の絶対)、チケをヤフオクる(とめどなく永遠重罪)、彼女への言葉をせしめる感情が許せないからカフェインで塞ぎ込めば今度は胃が爛れる(朝1本、昼2本、夜2本、溜息を餌に)、愛する女が故郷に帰還する情景がそれ程に美しいものなのか(あんな不気味なサングラスをしながらナンセンスなシールで継ぎ接ぎにした旅行鞄にすべてを包んで)、それを俺はどうしても見なければいけないのか(俺を見て俺を見て君を見るよ君を見るよなによりも大事な瞬間だから、くだらない、君は家族のもとへ踊り帰る、その美しさのなかに俺が居てはいけない、君をはじめっから愛していた光のなかに君は帰郷する、俺はそこに居てはいけない、結ばれるまでは)、ヤフオクに何時間もへばりついて(入札数24、16500円、残り時間永遠)、金の工面して(おっかん悪いけどまた貸して)、夜行バスなんておぞましい棺桶に肉体も魂も送還して(俺の知る限りもっとも不埒で無文明で許し難く悲惨な蠢く寝床)、俺はあの女が故郷に一瞬だけ帰って泣く姿が大嫌いだ(それを心待ちにしているあの女を愛しているすべての男たちが)、俺があの女に出会った時あの女は東京の女だった(すっかり素敵な)、俺は、あの女が、東京にいるその姿が好きだ(美しく儚く強く無謀で無性の愛、物語りもなく、風のようにただそこに)、涙も流さずに(微笑みもせず、真顔、そのもっとも美しい感情戦)、ただまいまとも言わずに(俺におかえりとも言わせない)、ただ俺の目のまえで踊るおまえが好きだ(何事もない、なんの祝日でもなく、誰も殺めず、誰も救わず、ただそこに流れるその日限りの息吹)、ブリーチ液に拳銃を浸そう、そう、アルトマンの映画の最後だ、俺ははらわたを抉られて、君は頭部を撃たれる、ブロンドは血が映える(なのに、映画が終わるまでjazzの演奏を止めやがらない、陰湿な、陰湿な)、俺が考えられる事なんてとてもわずかだ(これっぽっちだ)、優しく真摯で立派な紳士であるはずがない俺は(罵倒と折檻と強張り)、幼気なウェイトレスの女の子を傷つける事しかできない(それも救いたいだなんて身の程知らずの愛情発作のために)、血の痕でなく永遠痕なら視線ではなくすぐさま唇でなぞってその場で俺を処刑してくれと頼んだだろう深夜(毎秒思い出す彼女の光が暗がっていった瞳)、この深夜(夜の全貌)、夢中で咳き込む絶叫の具合が良くないから俺は三度君を願った(君を確かめる病)、リロードする更新ボタン(命の井戸)、ボタンを押して読み込むその3秒間のあの静止する時間がだいっ嫌いだよ(無音、静寂)、まるで、君のかわいい沈黙みたいだから(なにも言わずに俺から逃げてゆく君の声)、俺は、容易く明け渡す、無理なんだ、君は恐ろしい女だ、俺の手には負えない、そうだろ、かわいいひと、そうだろ、僕らは永遠に愛し合う事などないんだ、だから、いつまでもさよならを、明日起きた時にまだ君を想えていたらいいのにって俺はそれだけを願う、やがてくる9月か、くだらない、なんてくだらない(なんて愛しい)

2011年4月21日木曜日

2011 春

苛立ちの原因は俺にあるはずだ。
彼女が踊り、歌い、君臨してみせたその表現の最中に俺が彼女に恋をしてしまったその瞬間からこの地獄はその苛立ちは約束されたんだ。

彼女がえらくつまらない事を口走ったり、くだらない感情の束である俺が避けたくてしょうがないマンガや、普通の人々の思想や生活や、あの時間潰しのなかに、彼女が降りてきてしまう事に苛立ってるのは、そのまま今の自分への苛立ちと変わりはない。

そうだ、彼女が表現者の女としてとんでもない領域で俺の目のまえで踊って歌っていたその時、俺もまさしく、彼女のその輝きを真に見つける事のできる唯一の勇者であったはずだ、彼女の凶暴な美に共犯してゆくように俺もその瞬間だけは知的昇華者として命を鼓動しはじめ、彼女をただ、そうだ、彼女をただ賛美するだけの野獣になれたはずだった、そこには愛するというあんな柔な感情もその物語も到底触れることのできない絶対的な美しい関係性のなかで俺は、彼女と見つめ合い、聖戦し共犯する事ができていたんだ、なんて事だろう、まるで乙女殉職してゆくかのように踊り歌う彼女は誰にも恋できずにただただその命の全貌で生きていた、その踊りと歌声に震撼する俺も彼女に恋すらできないままに彼女のなかに殉職できていたんだ、俺たちは互いに、踊る者としてそれを見つける者として最高の領域に達する事ができていたんだ。
それがまさしくリゾナントでのあの地球騎乗と、ララバイゲームでの。
それがまさしくリゾナントでのあの地球騎乗と、ララバイゲームでの。
それがまさしくリゾナントでのあの地球騎乗と、ララバイゲームでの。
それがまさしくリゾナントでのあの地球騎乗と、ララバイゲームでの。
それがまさしくリゾナントでのあの地球騎乗と、ララバイゲームでの。

ほらみろ、こうだ、こんなんだ、俺はもうこんなにまで落ちぶれたんだ、こんな簡単に纏め終わらせるつもりなんだこいつは。

貴様だけは許さない、はじめるぞ、己をしれ、真のおまえの洪水はこうだ。(3時08錯乱気性、後に正す、a,b,c,g,k並に離脱)

花瓶のなかで、フォーメーション、肉体の都市、悪役、女、感情のカオス、瞬間的に地上に根を生やす、ヒールから伸びる神経、神経で立つ、生の花の、ドライフラワーの、ひまわりは生えるところから自らを解き放つ事はできないが、彼女はまるで自らを摘みながら花束を作ることができているかのようだ、乙女の時間の同居、聳える森、木の移植、移植された木々、文明の実る木、感情の実る木、物語の実る木、それらがざわめく森のすべての木をなぎ倒し、その痕に、自らにはけして身の覚えのない花が混じる、その事で彼女が立てなくなる事はけしてない、存在しない花は彼女の動きのなかに出現しはじめ、彼女は身体が花束になって痕に残る、彼女の思考が文明的感情の方向を少しでも見つめていたとしても、それは結局は思考の話であって、かならずしも思考は表現そのものではないのだ、彼女が毎秒思考が感情に流される事はよくあることだ、乾くことのない色の血のように、とめどなくながれる動きだ、ダンスとは最早呼びたくはなくなってしまうその動きを、ダンス、乙女としてどう動くかを忘れてしまった悲しい身体がついに乙女の動きを発見し直すかのように、そもそも女は仕草を覚えさせられる事でその魂がはじまる事を許される、仕草がダンスの発端であるならその仕草まで奪われて忘れてしまう事が安らぎなのではないか、他人事で、柔で、意識の裏、肉体が指令された動きを行うなかでもしも彼女の肉体が完全に外部から指令された動きのなかで踊り終わってしまったのなら俺のなかになにも残りはしない、彼女がしでかすのは、肉体が内部から動きをもう一度取り戻すそのドキュメントなのだ、内部の感情がしでかすべきであり、外部の物語りがしでかすべきじゃない、「こうせよ」とダンスの譜面に書いてあったとしても彼女の肉体はその線をなぞりながら新たな線路をつくり出す、発明者の異図である動きをいつしか制圧するのは自分でもわからない偶発的な発明で身体を動かす事ができたときだ、踊るという事の乙女逸脱を示している、肉体の線路を新たに肉体の道作りで示してゆく、あとには子供がつづく、彼女たちの肉体の置かれているフォーメーション、個体が駅に、重要なのは彼女たちの肉体が自己完結できない不自由性のなかで躍動している事だ、「不自由」という呪いを探しついに討つ肉体の瞬間的なきらめきは不自由である事の呪いをはじめて解く事ができるのだ、ダンス的見解の正しさ、当初構成される、もしくは美的優劣の歪みが起こすその不安な感覚を示す体勢なのか、彼女は中心から前方に放たれる、この事が新たな道をダンスの道に、地上から自らのひまわりを摘み続けながら踊る、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

その瞬間の到達故に、俺は、その瞬間以外の彼女のすべてをどこかで憎むようになっていった。
許せないのだ、あんな踊りをしていた女が、ただのかわいい女で呼吸をしている事が、くだらない幸福の紙芝居に涙したと語るその声の不気味な暖かさに吐き気がするのだ、あの出っ歯に娘。の曲をなにか歌ってみろと言われて「おーうお おうーおーおーお」と鳴いてみせた彼女が、次第にこの世界の空気に失速してゆくのが許せないのだ、徐々に穏やかに人間的な鼓動を表現のなかに取り戻してゆき、あの狂気とも言える表現に青ざめて鎮火させてしまうのではと、俺は恐怖するんだ、ちょうど、彼女に恋した事で、普通の男なんていうあの文明去勢不正理性尊厳者になりたいといつしか望みはじめ、彼女を賛美するという発火点から驚愕の芸術的使命に立ち上ってゆく狼煙にさえなれていた俺が、こんなにも落ちぶれたように、とても、暖かい、つまらない、ただの女に、ワンピースの話を男たちとできる、この世界でもっともつまらない女に彼女が墜落してゆく、

彼女が娘。を卒業すると発表した時期を境にするまでもなく、まず最初に、あの完全なる関係性の約束を破ったのはこの俺だったのだ、そう、俺は彼女に恋をしちまった、いわゆるあの恋だ、道端に不整脈で散らばって蠢く石ころみたいにどこにでも存在するあの恋だ、おれがあんなにも恐ろしく踊る彼女にその恋ってやつをしでかしてしまったんだ、その瞬間だ、俺は聖なる力を保有するつがい者としての命を奪われ、とてもつまらないただの男になった、君の肉体に浮かぶ詩を読みとってやれる詩人でもなく、君の肉体と魂の全貌を書記する力もなくなって、ただの男になりさがっちまった、(深夜4分走り書き、明日以降追記膨大)

2010年11月18日木曜日

愛しいひと、花の射程でその身を焦がすひと、この季節には僕ら勝てないんだね、正気を凍らせる息吹で、俺は瀕死の狂気に打ち上げられて、夜毎に俺は君の胸の滑走路に吐きぶちまけた青黒い愛撫で自己をあやして、世界を粉塵しよう、砂糖のようにさらさらに、君の瞳の太陽を纏おう、俺は、僕は、僕は、俺は俺は、感情さえ洩れ射してはこない真空のなかで君と踊りたかった、君と俺ですべてを追い出したかった、俺と君の愛だけが充満してゆくんだ、うまれてはじめてほんとうの夜を見つけられるように、厄介な鼓動だね、制止できない侵攻だ、待ちくたびれて唇を切って、理性が罵倒してくる、姿勢を正そう、擦り切れていても立派に襟を正すんだ、まだ肌寒いから、まだ君が暖かいから、午後には君のかわいさに凍傷しよう、持ち寄った音で君の手を引こう、愛ちゃん、高橋愛ちゃん、素敵な女の子、俺のピュアビッチガール、俺のマイガール、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!