2009年6月26日金曜日

生活

黒すぎるその黒髪が蒸し暑い外気に櫛通される時に、僕は、あ、幽霊みたいって思った、黒髪の女子高生が浮世絵の幽霊だった、なに色にも染める事のできない年頃の女の子の風貌というのはあまりの強い生気によって、現実的な美しさからかけはなれてもう美しさとも呼べないなにかになってしまっているようだった、黒髪の女子高生の女の子が自転車で通り過ぎるたびに、幽霊が奔るみたいに見えた。
ブロンズ粘土を削っては盛ってさゆの身体を模写している時、自分がさゆのなにも知らなかった事を知った、さゆが「痩せていた」瞬間など今まで一度たりともありはしなかったのだ、嘘だと思うなら、さゆの肉体を模写してみればいい、この肉体のどこが痩せているというのか、こんなにも美しい乙女のあらゆるふくらみの百花が、制作途中、越えられない壁に陥り、ロダンを見てきたが展示されている作品がほとんどおっさんで露骨に強靱な四肢の父性と少年のえぐみがカオスったような膨張に度肝を抜かれただけでまったく俺がさゆを模写している事に直結している像たちだとは思えなかった、そんな者たちよりも、その日、遠足かなにかでそこに訪れていた小学生低学年の女子たちが、ロダンの男性像の群れのなかで暴れるようにはしゃぎまわるその肉体の方がさゆだった、幼少期のさゆの丸みを忘れるなとでも言われたかのようなその衝撃だった、くそでかい地獄の門を見上げる少女たちの群れのなかに俺は佇んで一緒にそれを見た、数十人の女子たちのなかに2人、萌え萌えな女児がいた、決まって、その子たちはどこまでも澄んで静かだった。。。その時はじめて知ったカミーユ・クローデルの方が心底萌え萌えだった、ロダンの部屋に彼女の作品がひとつも展示されていない事の方がよっぽど地獄だと思った、女性の像を造るには、道具をもつ事も、直接、ブロンズを指先で削るにしても、男の指先は堅すぎ乱暴過ぎるのかも知れなかった、女性の指先は肉球や小さな胸のように柔らかさを抱いているのではないかと思えた、その胸がナイフのように鋭く抉る瞬間が残す傷跡のような抱きしめたいくらいの削り痕の美しさは、真っ白に見える女の肌の奥にきらめくあの模様に似て、どこまでも美しかった、まあ、ブロンズ像を制作にするにあたって、直接指でなんか触れないのかもしれないが。。。。制作途中のさゆのブロンズ像は水をかけないとすぐに固まってしまう、数日間放置したら、ヒビが入ってしまった、キッチンペーパーを水で浸して、その衣をさゆ像に着せる、数十分後にはまた、堅かった表面が柔らかくなる、爪楊枝と指で、さゆのブロンズ像を造っている、たぶん、永遠に完成できないと思う、でも俺は、造りたい。

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!