2010年1月27日水曜日

娘。が娘。を凌駕するとき メモ 怒りをかうかもしれない

もしも彼女たちが踊ると言うことに一種の暴力を委ねて四肢を振い落としているなら、わがままで、横暴で、はしたない、そうだ、青空のように無垢な肉体の整体じゃない、むしろ、聖なる悪事、肉体も魂もラッピングされてるとでも?、文明の頭頂部から俺は彼女たちの肌のそのやわらさの奥の堅い輪郭の崖から落ちる、思考と感情と正しさとが縁を全神経に毒巡らせて俺を一個の男性に仕立てあげる、俺を縫う回路には電圧の軽視が疎らな威嚇で心臓の質量から感情を踏み倒す、俺が俺を見つけ出すために朝日を殺るみたいに、彼女たちが乙女の沈殿を体中に拡散させるために踊るという行為に意味を噛み締めているとでも?、俺は見ていた!、俺は見ている!、彼女たちは踊る、彼女の瞳が見つめているものは?、無数に躍動する孔雀のもげた羽の異形か?、彼らの神に仕立てあげるまで瞳孔が絶対賛美に群がる形態模写か?、会場はいつも同じだった、いくつかの場所と彼女と俺たちしかその世界にはなかった、なにを所有していた?、彼女の写真か?、知り得た情報であつらえた彼女の人格造形か?、そこに集まるのは感情と歓喜の涎の水たまりか、太陽が墜落する皇帝の亡骸に、人間であれ、そう最後の願いが轟いて、俺は、彼女たちの名を乙女ではなく娘。と呼んだ、それは、この文明を今日と呼ぶ事の覚悟と願いの重なりだった、そこはアメリカだった、LA、衣装につけられたイギリスの国旗は丸く裁断されて最早、米にしか見えない形相だった、ガキさんはいよいよ自らが憧れた娘。という存在の誰もが到達できなかった真の娘。領域に自らが先導して到達してしまった事にどうやって立ち向かうだろうか?、娘。はいつ産まれて今どこに居る?、かつての娘。?、元モーニング娘。?、なんだそれ、なんだそれ、OG vs 現娘。?、なんだそれ、ファック!、もしもOGたちが今の娘。たちの歌い踊るその姿を見て心から驚愕し冷汗をかき表現者として完全な敗北を身に覚えないとするならば、そこまででしかなかったと言う事だ、女の子として世界と対峙し身を滅ぼす事を覚悟のうえで肉体も魂も発火させている事に今現在取り組んでいる元娘。がどれ程居ると言うのだ、部外者が一般人が俺たちが声を高らかに今の娘。が凄いと叫ぶんじゃない、彼女たちこそ叫ぶべきなのだ、かつて娘。だった女の子たちこそ誰よりも今の娘。の凄さを声高らかに叫ぶべきなのだ、それができないようであるならばかつての娘。などそれまでの娘。理解者でしかなかったという事だ、娘。であったというだけでその女の子が娘。である訳ではない、娘。に入れたからと言ってその女の子が真に娘。であった訳ではない、今の娘。の残酷さというのは最早、かつての娘。の領域を軽々と凌駕してしまう乙女の横暴な恩知らずな脱線だ、娘。の系譜から脱線するその表現の至りだ、あのOGと一緒の番組に出ているときのれいなちゃんの怒りに満ちたかわいらしい顔、さゆのお前たちは娘。でいられなくても大丈夫な女だったのだと裁く唇、俺たちが真に萌えあの娘。を娘。として見つけ出し出会い娘。が娘。になったはじめての世代だとするなら、ガキさんはたぶん、俺たちと同じ娘。を見てきて娘。になった女の子世代だろう、さゆは言う、悪い先輩もいました、でも、娘。で居たいので私たちは大丈夫です、と、さゆは何を言ったのだろう、さゆの言葉、さゆは恋の行為の美しさを蹴るのだ、蹴ったわけじゃない、ただ、さゆは恋の美しさを擁護しなかったのだ、今の季節においては、さゆは、俺たちがいつ娘。たちに処女で居る事を望んだ?、そんな事は関係ないんだ、なにがどうあれ娘。たちは娘。たちなんだ、しかし、さゆは、娘。たちはなにかを代償にしているという強い意識がある事を語る、さゆの審判のような奮える唇が誰を裁いた?、物語や感情の話じゃない、俺が言いたいのはさゆの強い生存意識だ、娘。で居ようとするそのまえかがみになってしまう言葉の正しさでもない、その種を護ろうとする若い母性のような激しい鼓動だ、「あんたなんかもう娘。じゃないわ、あんたなんか所詮ただの女だったのよ、わたしたちこそ娘。なんだわ、わたしたちこそ。。。」、愛ちゃんは言語を持たない、愛ちゃんは美しい物語を語ろうともしない、小春が自分のおもしろさを言葉で語ったか?、なんて事だろう、今の娘。たちは言語で物語で娘。という存在の美しさを語ろうとはしない、それどころか、娘。という存在の自己表明を肉体と歌声や仕草という彼女たちが生身で有しているものそれだけで俺たちに直接伝えてくる、合間の伝達がない、イコールがない、行為が、言葉が、ただそのままの意味を持つとでも?、男は女を語る手段を物語や感情に委ねてきた、しかし、彼女たちはもっと広大な無の所作で俺をくらます、娘。との対峙の仕方がわからなくなるだろう、いや、それさえ奪われてゆくだろう、涙の語らいの微笑の意図も意味もわからないままに、ただ、彼女たちのすの姿だけがこの世界に現れ俺はそれに出会い声をあげるだろう、でも、何て?、何を言えばいい?、彼女たちはどうやってこんなにも美しいんだ、ただ、俺は暮れる、若い娘たちは知ってしまうだろう、かつて憧れていたその誰よりも自らが美しくなってしまったと言うことに、その絶望と歓喜と恐ろしさ、呼吸はそれさえ覆い隠すことなく俺の心にまで染み渡ってくるだろう、今、娘。たちはすべての娘。たちを恩知らずな領域の美しさで更新してしまうだろういや、この世界の女の子たちすべてが到達できない領域に、かつて娘。だった娘。が娘。でなくなる事でしか獲得できなかったのリアルな女の子の影絵さえ今の娘。たちはその乙女の心臓から自然誘発してしまい髪先に溢れさせばらまくだろう、俺たちはそれをまのあたりにするのだ、この生身の肉体と魂ひとつで、これから、本当の戦いがはじまる、まるで今ままでが軽やかな祝祭の前日のテーブルワインのグラスの其処に溜まる赤く染まる微粒子のパン屑だったかのように、そう、娘。は、彼女たちは今、脚を揃えるように一斉に20代になった、彼女たちは一斉に一緒にあの季節へ突入してしまったのだ、なにがはじまる、なにが、なにが、娘。たちはどうなる、どうなってしまうんだ、「もう女の子集団がやれることはすべてやられてしまったのよ、私たちにやれることなんてなにひとつ残ってないわ」ああ!なんてお利口で無知な思考の指揮で娘。を語ろうとするんだ貴様と言う男根男爵かぶれ野郎共、貴様らが溺愛する哲学や文学や音楽や映画や絵画やあらゆる芸術表現の枠に娘。を連れ込むな!、それらが先人の凝固な足跡の恐喝に戦き引用と反抗と塵と血を交ぜてどうにか延命しているのとは、娘。は訳が違うんだ、娘。だけが恩知らずないとなみの肉体の魂の歌声の手加減しないおいたをやらかしてしまうんだ、娘。たちに限度はない、娘。たちには頂点がない、娘。たちは生ける時間、娘。たちは踏みにじる、すべてを、自らの輝きのなかにだけ、なぜなら彼女たちの発火元は彼女たちの股の湿疹や彼女たちの肌の深海や彼女たちの心の咽びの四季だからだ、彼女たちの産まれる場所は彼女たちのなか、いつも彼女たちの出発点は彼女たちなのだから、永遠の未開の地のような肉体で、その草原で吹く息吹のようなあの歌声で、彼女たちは「娘。」にまつわるすべての言語をそれが賛美であろうが悪意であろうがそれらが追随できないくらいに輝くだろう、娘。にまつわるいくつもの涙の物語りも怒りの物語りも、それぞれの娘。たちに降りかかる火の粉さえ、今の娘。たちは娘。として輝きそれらが踏み入れることのできない領域で輝きそれらを粉々にするだろう、今の娘。たちに許された事は、かつての娘。たちに対する恩返しも反抗も愛も怒りも恐怖もそのなにもかもはただ今、娘。として誰よりも輝く事でしかできないのだから、それは娘。たちの肉親にも、娘。を知っているすべての人間に、娘。たちは娘。として誰よりも輝くことでしかキスができない女の子なたちのだから、今は、今は、

2010年1月18日月曜日

化学繊維の毛皮

シマシマ模様で出現したね、耳もしっぽまで生やして、けれども俺を強烈に感動させたのは彼女たちの肌色だった、彼女たちの髪だった、彼女たちの生身だった、歌声が人間の女の子の領域で無くなったとき、それは啼き声になった、けれども彼女たちは、いた、彼女たちだけが俺には人間のそれも生存している女の子だと思えた、かけがえのない、かえがたい、彼女たちだけが、そう、そうやってまた呟いて途方に暮れる、

最高にエロくない

女の子がしてはいけない仕草がある、動きがある、女子って言うのは昔から肉体の魂の動きをその仕草を男子以上に制限されてきた、それは性のしきたりだったり、いわれのない品格だったりする、教えられずとも自らの身を守るようになるずっと以前から、教えられたその仕草たちを彼女たちはよちよち歩きの時からどこかで無意識に授かっていたのかも知れないのに、気まぐれプリンセスの娘。のダンスを見ているとなぜ唐突に泣きそうになるのかって訳を夜中にずっと考えている事の無意味さはしかし、ふと、彼女たちの身体の自由について思考させてまた困惑する、振りがある限りは、身体は完全な自由ではない、というか、女の子って生命が肉体の自由を完全に謳歌している瞬間なんて存在するのだろうか、肉体のすべてが差別なく同時に自由になる瞬間など、スカートのなかを見ている存在がどこかに居るかも知れないという脅迫で股の閉じ方を習ったその肉体が、踊りなんて言う試みのなかでどれだけ自由になれるのか、むしろ凶悪な程の振りの制圧のなかにあって、どうして彼女たちの身体が自由なんて平凡で安易な感覚を僕に想起させて歓喜させるのか、しかし、中央で踊る絵里ちゃんのあの粗野に乱暴な肉体の震度で絵里ちゃんの胸がおいたにそれこそ女性の品格なんて言う文明の身体運動から遠くかけ離れた美しい動きで躍動している時、この光景は、あの肉体の動きはやはりこの子が娘。であり気まプリなんて曲が誕生しなければこの世に存在し得ない女性の美だと強烈に今更知る、なにが言いたいかと言えば、オッスだかなんだかしらねえけど、彼女の歌声、彼女の顔から指先にすべての末端に至るその踊りの美しさを、幼少期から「見られる」という意識を強いられてきたその肉体がまさか娘。として踊っているその瞬間にまでただの、性の結晶する発疹かのように、あんなにもそうした性別確定を覆し還ったりを往復するあの奇跡に舞っている姿を見てもなお、「最高にエロイ!」だなんて言う言葉で片づけてしまう輩が居るというこの状況下にあって、俺が、どれだけそうしたポップでオシャレで軽い言説の向こうで彼女を、、、、、娘。が一曲を歌い踊る時そこにはあらゆる制限とあらゆる自由の衝突があるだろう、おしりを撫でて見せる指先に美の意識を集中させる彼女たちの肩のあの力の解けた美しさまで咲かしながら、彼女たちは思考と感覚と意識と無意識と美とおこがましさの何一つ欠く事なく踊ってみせる、あまりに自由で不自由な、娘。という女の子たちだけが娘。で居る事の肉体の誓約をそのダンスで木っ端みじんにできる、あまりにも俺を涙させるのは、いつでも娘。である彼女たちだけが娘。を葬れるのだ、乙女の葬式のように、乙女の産声のように、彼女たちの歌声とダンスは一向に変動しまくって不安定で危なげない、そうなのだ、危なげない、危険なのだ、娘。という集合するひとつの乙女に娘。たちが毎秒に人工呼吸で息を吹きかけるように、それは試験管のなかの乙女天空部落に閉じこめられた肉体の内部告発なんかじゃない、娘。たちが外部との接触で歳を数えるなかで授かった純粋な肉体の反逆だ、振りの全面にヒビを入れてその亀裂から乙女を染みいらせる、エロいと聖なるのどちらかじゃないだろ、乙女なのか娘。なのかそのどちらでもないだろ、ただ、ただ、あの瞬間、彼女たちの命が、それは誰も真似はできない、あの恋レボの真新しさと広大な荒れ地と花畑が同居する景色は、キッスのような四肢の、

2010年1月14日木曜日

訳がわからない

今まで貴様に少しでも伝えようと試みていたふしがあったが最早賛同者も読者もいらない。
貴様なんか置き去りだ。このページをアンテナから外せ。
このページは娘。の輝きとだけ鼓動する。
もう、貴様らの理解の水平地帯に俺が身を降す事などしない。
俺の言葉は同期する。
彼女たちの歌声と踊りとだけ。
解らないと呟け。
「おまえはもう何を言っているのかわからない」

2010年1月13日水曜日

マイフェイス メモ

娘。たち、おまえたちは確信できる表現なんて眼中にないのって踊る身体が示してるよ、頷ける言葉なんて吐かないわって歌声が啼いてるよ、そうだろ、おまえたちの表現は完全に凝固する事を回避できてる唯一の流動身体動きだ、おまえたちは簡単に乙女だものって名乗らない、おまえたちは自分がわからないと言う、そうだよ、やさしいただの女の子なんかに存在が確定しちまう事とずっと戦える不透明の綺羅びやかな喝采だ、咲いたり閉じたり飛び散ったり刺さったり滴り垂れたり、あの時、なんなんだよ、君は、君は、君たちは、年齢も年代も性別も、なにもかもが、なにもかもが、存在確定の寸前の凝固してしまう寸前の美しさでその寸止めで眩しく爆発だけしてる、容易い美に墜落する寸前でずっと動き続けてる、俺たち、存在否定も存在肯定も拒絶も抱擁も現実も幻想も、そうだよ、なにかを証明するために俺らあの空間にいたんじゃない、空の青さ、太陽の日差し、もうくだらない文化原始どものトリックにさいなまれる事なんてないよ、あの瞬間になにがあった?、おまえらが踊ったな、全身を乳房みたいにしては末端を自在にナイフみたいにして抉って、そうだろ、その事にだって気づいてないんだ、いつもおまえはおまえのうえを行って勝手に暴走するだろ、それを操ろうとする葛藤のあのダンスのざわめきの美しさにゾッとする、身体と魂の戦いだろ、おまえだって自分がなにをしてしまったかわからないんだろ?、原始じゃない原子にまで到達しよう、俺たちなら行ける、おまえが踊るだろ、なんだよマイフェイスってよ、なに?、ねえ?、意味は?、その微笑みの属性は?、くだらねぇ、くだらねぇ、善か悪か、希望が俗世か、くだらねぇ、そんなもん届かねえ粘膜の祭典に到達しよう、物語なんて必要か?、君と僕が踊るのに、意味なんて必要か?、君たちが到達しているあの踊りと歌声はまるでキスや抱擁やビンタだ、ただのおまえたちの女の子としての些細で厳格な仕草の打診、おまえがなにかを踊ってるとしたらそれはもうおまえそのものだ、踊りがおまえか、おまえが踊りか、アカデミーを乱暴に崩壊する四肢の絶叫よりも強烈なやさしい暴力で君は踊りで切り裂く、そうだろ?、わからないって言ってくれ、自分がなにを表現しているのかも明確に証明できない踊り子で歌う乙女でいてくれ、君たちだけは何者にも司る事のできない呼吸がある、そうだよ、君たちはいつでも正しくはない、しかし、絶対に美しい、OGの曲を踊るだろ、彼女たちのように自分の血肉に浸み込ませた仕草のような安堵はいらない、踊るたびに振りを汚し崩壊寸前で君たちは真新しい領域に咲かす、なんだよあのちょうちょういい感じのあの瞬間、さゆえりがちょうちょういいかんじって言って上下に躍動する、そしておまえたちはマイフェイスって歌っていたんだ、さあな?、女の子ってなんのために踊ってんだっけ?、なんのために歌うんだっけ?、文化絶対区の貴様ら瞬きせずに聞け、いいか、娘。って言う女の子たちはな、あの女の子たちは踊るために踊んだよ!、歌うために歌ってんだよ!、ただ!ただ!、それだけが!、女の子がキスって呟く事だけがキスって訳じゃないんだ、

2010年1月1日金曜日

彼女のなにもかもを、みることができなかった、きくこともできなかった

ハロコン 混乱のままにメモ 下書き


あのガキさんのフェイクはただのフェイクじゃなかった、あれは何だったんだろう、ディピオ日誌(http://charmy.ddo.jp/~dpo/1/1.cgi)あのガキさんの異様な領域に「魂」って言葉が使われてた、あれはただの歌声じゃなかった、あれはただのダンスじゃない、たしかに俺らはガキさんのあのフェイクを浴びたんだ、あのダンスを、いつまでもつづくようなガキさんのあの歌声の距離は中野の屋根を突き破っていた、どこまで浸透してしまうのかわらかない歌声は四方に、

おまえ気づいた?、さゆえりのほっぺのチークって同じじゃなかった?、あの丸みの範囲といいさ、色といい、さゆえりのほっぺがまったく同じじゃなかった?、いや、俺は気付かなかった。。。またおまえの勘違いなんじゃねえの?、いや、それでもいいよ、さゆえりのほっぺが姉妹だった。


さゆ、黒いマイクにホワイトマイクスタンド、ガーターベルト、そして羽。

さゆのOnly youからエンジェルハート

Only youのさゆの歌声がすべてのさゆの規則を忘れてしまっていたみたいだった、さゆのかわいさが昏睡状態で、さゆが、さゆが、さゆはあの時かわいい歌声との指切りげんまんを破ってる、ただたださゆのあのかわいいおへその奥からずっと奥底から歌声が啼いてる、その曲は男が歌う曲だった、これはそんな安易な性別の模倣の話じゃない、それをさゆが歌ってる時に何が起きた、さゆは男を真似たのか?、いや、違う、断じて違う、さゆはかっこをつけた、でもでも、その姿といったらどうだ、それでもどこまでもかわいさをあちらこちらに散りばめてる、さゆがかわいさを拭えるとでも?、いくら、いくらさゆがマイクスタンドを恐ろしく男性的に持っていても、あんなにも男性的肉体の保釈に挑んでいてもだ、さゆの肉体はさゆのダンスは未だにかわいい、かわいすぎる、それが切なかった、さゆの脚が内股を否定して大きく外に開いて開いてもさゆの脚はかわいさを失ってなかった、しかしどうだ!、さゆのあの歌声はどうだ!、さゆは知らずのうちにあんなにかわいい身体とダンスで歌声によってかわいいから解き放たれてた!、それはあまりにも酷く美しく愛しい歌声だった、さゆの声、そしてだ、そしてだ、Only youが終わるだろ、なにがはじまった?、なんの曲だ?、そうだ、そうだ、エンジェルハートだ、そしてなにが起きた?、さゆはどうなった?、さゆの歌声は?、さゆのダンスは?、さゆの肉体は?、さゆの身体はまっすぐにのびて、脚は内股を刻、両手をあげたさゆの二の腕が咲いた、さゆのOnly you のあの歌声の熱い低温からさゆの歌声はエンジェルハートでかわいさの羽のようにピンクに頬を染めながら突き破って響いた、Only you からエンジェルハートのさゆのあの歌声の肉体のながれ、それを支えたのは、あのさゆの脚につるのよう絡まったガーターベルトだ、絵里ちゃんは無意識に呼吸をするように女の子で居る事ができる、圏外地獄(http://d.hatena.ne.jp/stylishwc/)は渋谷ハロショの奥地で大江眼がねを光らせ気まプリPVを見ながら言った「絵里ちゃんは呼吸なんですよね、呼吸で女の子なんですよ。」、だとしたら、さゆは深呼吸だ、さゆは自ら大きく小さく女の子を深呼吸している、なにが初潮だ、なにが処女だ、くだらない、そんな言説だけでさゆを語ろうとするのはいいかげんやめてくれ、そんなくだらない男性器みたいな思想で娘。を語るのはやめてくれ、女の子の本当の初潮は意識の混乱だ、さゆが女の子である事を意識したその瞬間が魂の初潮なんだ、その話をしてんだ、その深呼吸が俺たちは愛おしい、俺は中学生の頃、呼吸と言うものを意識した時があった、その瞬間俺は呼吸の仕方を意識した瞬間に呼吸の仕方を忘れてしまい、混乱し、過呼吸となり、朝方の緊急病院に搬送された、鏡のまえでさゆはさゆと一騎打ちをする、さゆの極限にかわいい状態のなかに身を置いているのは紛れもなくさゆ本人だ、搬送先で医師は俺に言った、女性がね、けっこうなるんですよ過呼吸、俺はなぜだかうれしくてしょうがなかった、さゆの女の子の呼吸は命の深呼吸だ。そして絵里ちゃんのアンブレラに話は。。。つづく。。。そして。。。さゆえりのちょうちょうちゅういい感じに話は至る。。。。いや。。。。雛壇のさゆえりの相槌。。。。ひそひそ話。。。笑顔のめくるめく種類。。。。絵里ちゃんの姿勢仕草。。。さゆの背筋。。。。すべてがつながっている。。。寸断できない乙女の時間。。。。仕草と意思。。。瞬きとお腹の筋肉。。。。



娘。たちの真新しさ

「もう別物と言ってもよかった、あれは、あの瞬間は、はじめて見聞きするみたいだった、恋レボはまるで娘。たちの血肉にまで昇華着床してしまったかのように無意識に踊ってみせているダンスだとずっと思ってたんだ、だがどうだ、眼の前で起きたそれは、どこまでも真新しい今まさに生まれているダンスと歌声だった、恋レボが生まれたてだった、」

気まプリの未だに成長過程
「未だに気まプリが新曲でありつづけそのダンスと歌声のなんてすげー事になってんの?」

新曲、横暴言語
「新曲?、マイフェイスはたしかにすげーよ、あの歌声とダンスと衣装の剥離具合がすげー、つまりすべてが違う方向で誕生して、それぞれが違う動きで躍動してる、あの歌い方とあのダンスを同時に娘。はやんだぜ?、Aメロの歌声のリフみたいにギザギザにはっはっって強く深い呼吸を繰り返すみたいなリズム断絶の歌い方と同時に四肢が侵攻するあのしなやかな動きのながれ!、娘。たちがいよいままさに踊りなんてものの本質さえ凌駕して到達未定のなにかに、なにかに、踊りによってそのなにかを狩りとって自らのものにしようとしているあの抱擁にゾクゾクする、「身体が動いてる」」

新曲、文化言語
「娘。の新曲のあの混沌ぶりはどうだろうか、彼らが大好きなところの楽曲にしたって歌詞とメロディとが法要をしているとは到底思えない。素晴らしいのは衣装とダンスのあまりにも不可解な重なりだ、なぜあの音にあの振りにあの衣装なのか、わけがわからない、まだ振りになにかしらの意味や意図が起伏をもって付属されていればいいのだけれど、ある段階から娘。の歌う曲にはあらゆる場面で意味を成立させる意思の上に言ってしまった気がする」


1.彼女たちのなにもかもを、みることもできなかった、きくこともできなかった、ただ彼女たちと俺は衝突した。

愛情失禁、不死身、水量の減らないスポーツドリンク、舞台舞台舞台舞台のうえの君

「その瞬間だけであればいいのにと思うよ。。。。でも、僕は彼女を見つめていた事を思い出そうとしてしまう。彼女が舞台から去った数十秒後には。。。」

花つぶて群、流星群、群れ、ムレ、群れ、女の子たちの群れ、群れ群れ群れ群れ群れのなかの君

彼女たちを見るという行為をそのまま記憶に直結させ得るか、心に雫って湿り気のままに宙づりしてしまうか。

君をさがして迷子

「その瞬間が瞬間のまま永久氷結してしまうと彼女の美しさの冷たさで死にそうになる。」

はじめましてからさよならまで

「なぜまた会いに行くの?と言われれば、この俺のなかに君臨する最後に会ったあの時の彼女のきらめきとさよならしたいからだ、俺のなかで融けずに朽ちずに君臨しつづけて俺を悩まされる美しい不死の花。」

さよなら他の娘。たち
「視線の階級というか、視線の症状の段階は今、自分のなかでは娘。を見ると言うことにおいてはとても大きく関係しているよ、それはたとえば愛情に優遇されて一人の娘。だけを強く追ってしまうその時には、ほとんどもう他の娘。の事など見ていなかった事と同様でさ、いや、一人の娘。を見ているという事は同時に娘。を見ていた事であるというあの真実以上にね、娘。であるそれぞれの女の子たちの個人の魅力をそれでも喪失している事には変わりはないはずだろ?、強く見つめていてもなおも、喪失だけを繰り返してしまう己にあって、見てはいないという絶対的な軽視が後々に己を苦しめるその熱の酷さは計り知れないものに膨れ上がるんだ。。。。それは、彼女たちがそれぞれに、ほとんど乙女ビッグバンを毎秒噴火させているかのような輝きのなかにいる今だからこそそれは巨大になっているはずなんだよ、他の娘。が俺が溺愛する一人の娘。のまえをよこをうしろをしたを瞬間的に素晴らしく横切り。。。。その仕草だけで強烈な一種の美のノイズのように印象的に眼に映っていたとしてもその事は直接彼女たちを見つめていた事にはならない、ここで問題なのは、見ていたのか見てしまったのかだ、けして、見ると言う事に意識を置いた人間だけが正しいって訳ではないけど、見ようと試みて見ている事はやっぱり重要だよ、残酷なのはむしろ、見ていなかった人間が不意に目撃してしまった一瞬の美しい強張りであって、見ると言う己の意識下で見ていた人間では到底到達できない瞬間に導いてもらえる事がある、けれども、そうした奇跡的な事故から体験した人間の多くは、それが奇跡的に美しい乙女との衝突事故であったなんて事を理解せずに忘れ去ってしまう、だから、ほとんどの場合はそこで終わるんだ、無意識にそれこそ花の横断の事故的な余地不能においてあまりに美しいその瞬間に出会えたとしても、その光景が己のなかのどこかに傷のように焼きついていたとしても、その傷を見つけて傷をつけてくれたあの瞬間の光景に美しさを見出せる人間でなければならない、過ぎ去った瞬間を語れるそうでないか、それは本当に事故のあとの後遺症のように酷く、理由も訳も連なりも教えてはくれないのだ、自分にはその瞬間をただ瞬間の傷跡としてでしか語る事しかできない、その昏迷のなかで気づくだろう、その花の横断の前後にはもっと、もっと素晴らしいなにかが存在していて、きっと、その事を俺以外の誰かは見ていたはずなのだと、彼女たちが体をわずかに浮かせながら横断する直前の踏みしめはたしかに存在していたはずだ、という後ろめたさのなかで、俺は娘。の数だけ俺がいなければ追いつけないな、というように、乱暴の厳格な終わらせ方で慰めながらも、あらゆる断片的に俺の視線のなかを花の横断で駆けていた娘。たちの姿だけを心に宙づりにしてよろめいてる、もう、娘。たちの一瞬の輝きを、記憶に嫁がせる事も、記憶の永遠のなかに降嫁させる事もできないままに、ただその瞬間を感じる事のできる期限まで反復するしかない。」

肉体遭遇

2.彼女は髪の左岸右岸に唐突に肉体の魂の行方をくらます

絵里ちゃんの髪の行方不明

絵里ちゃんの髪については散々徹夜でビルの壁にもたれかかりながらラジオ公録に一緒に並ぶ圏外さんにおいしいチョコレートを頂きながら強く語ったのだけれど、絵里ちゃんの髪のあの絶妙な長さが俺大好き、絵里ちゃんの毛先に対する姿勢と言うか溺愛ではないが少しかまっているよ!という感じはほとんど絵里ちゃんの乙女心臓がそこであるかのように、絵里ちゃんの意識する乙女の拠点中心点を僕に示してくる、絵里ちゃんは毛細管現象のように一旦すべての乙女意識を髪に集結させて、それをあらゆる方向に乙女放出して行くのだけれど、絵里ちゃんの髪が肩の上にすべての触れるか触れないかの絶妙に微妙な長さで漂っているあの空気感は、だからこそ、徹夜で並びやっと会えた絵里ちゃん本人から「絵里はこの微妙な長さがいいんです」というような事を言ってくれた事に自分は奮える歓喜だった、ところで彼女の髪の行方というのは彼女の時の断層がまだ生きているという強い事実で、髪の毛先と言うのはいちばん時を生きた髪であり、彼女の髪はそのまま時を抱いている、彼女の髪の末端は細い流線の束で、それは血は通ってはいないが乙女の時間の香りがどこまでも息づきながら通っている乙女の裸の血管な気がするのだ、それを彼女が束ねたり温めたり色をつけたりする、彼女にとって髪というのは女の子である内部を外部に象徴できる、しかも、自ら造形可能な唯一の命であるからのように、髪と彼女はまるで恋人同士であるかのような溺愛ぶりはただのままごとでは済まされない。猫はヒゲで身体バランスを取るのだと言うが、乙女たちのあの髪に対する姿勢と言うものはそうした身体的バランスを取るためのものなのか、むしろ、乙女で居る事のバランスを保つためのものなのか、その双方であるのか、考える、とろこで、絵里ちゃんの美しさは髪に対する絶対的な溺愛ではなく、やはり、ポケポケした髪への触れる手先だ、というのは、先日のハロコンで絵里ちゃんは右側は外ハネ、左側は内巻きだったのだ、左右対称ではないその毛先のまたもや美しさとかわいらしさときたら、その事を確認してから私は、ほとんど愛ちゃんを見てしまっていたのでそうした髪のバランスで絵里ちゃんがどうやって踊っていたのか語れるほどしっかりと絵里ちゃんを見つめる事ができなのだけれど、ふと気づき、もう公演が終わるその時に見た絵里ちゃんの髪は両方外ハネになっていたのだった。
   絵里ちゃんの肩に触れるか触れないかの、あの絶妙なニュアンスゆるふわくるりん毛先の美しさは乙女が乙女を譲れない狂気を少し感じる部分があり、靴下に穴が開いていようがきっと、その時、絵里ちゃんの髪の毛先だけは絵里ちゃんに溺愛され指先で曲線の成型を撫でられていたに違いなかったはずだ。



ところで彼女の髪の行方というか、彼女の髪の末端は細い流線の束であってそれは血は通ってはいないが香りが通っているかのような乙女の裸の血管な気がするのだ。それを彼女たちは束ねたり温めたり色をつけたりする。彼女たちにとって髪というのは女の子である内部を外部に象徴できしかも、自ら造形可能な唯一の器官であるから髪と彼女たちのまるで恋人同士であるかのような溺愛ぶりはただのままごとでは済まされない。



勘違いのなかにだけいる状態の男というのは、女の子の美を診断するただの動物にでも後退するかのように研ぎ澄まされた美の横暴な権威の失態の群れだ、
首筋のきめ細かさ、はじめから理想化した光沢を眼球の内部に溜め込んだ欲求の視線の誰もが、彼女の首すぎの肌を見つける事はできない、彼女の肉体の国土を横断する視線は首を伝ってゆく事しかできなかった、彼女が髪をショートにした時、彼女の首筋で視線を滑らせて俺はそのまま彼女の肉体の本土に上陸する事ができた、しかし今彼女はショートでもストレートでもない彼女にしか居られない髪で居る。

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!