2010年2月22日月曜日

さゆの言葉の表面だけを信用するな。
言葉の繭のなかから顔を出すさゆのかわいさに会いたいと願え。
さゆの言葉の瘡蓋をやさしく剥がせば、真にさゆが雪崩れ込んでくる

れいなちゃんが求めてくれた。何を?。
レーニャのブログに辿り着くのは容易じゃない。
れいなちゃんを愛してしまった人たちだけが、レーニャがれいなから抜け落ちた髪から生まれ育ったようだと唸る人間たちだけが、
レーニャのブログでれいなと逢引きしてるみたいだ。
れいなは僕らの心を読もうとしては、哀しみや寂しいを見つけるかのように、言葉の絆創膏を俺たちの心臓に貼ってくれる、
れいなちゃんのかわいさによって刳れた傷をれいなちゃんだけが癒してくれる。
永遠の~と云わなくなったれいなちゃんはあの言葉よりも強く幼なさを露にしてしまう。
乙女になるために腫れと熱を帯びたような、見た事もないあの肌の丸みの海の水面に花びらが浮いているかのように、
れいなちゃんのなかの幼なさは打ち上げられる安住の地を持た無い永遠の漂流のようにれいなちゃんを巡る。
れいなちゃんはれいなちゃんを知らない者や新たに知ろうとする者をどこかで求めてさえいないようだった。
れいなちゃんを愛している者に向けて。
れいなちゃんを愛している事を前提に。
れいなちゃんのわがままはあくびのように乱暴に。
れいなちゃんは与え求める。

さゆはさゆを一からさゆを知らぬ者たちにも説明する。
さゆの言葉がさゆを裏切りはじめてもなおも、
かわいさの完全な証明証のような自分撮りがさゆを最後の最後まで世界から護りきる。

2010年2月20日土曜日

女の子言葉(さゆれいなブログからはじまるなにか)

先日観たロジエのアデューフィリピーヌでも今日観たロメールの木と市長と文化会館(レネットとミラベルの間違い)でもそうだったけど、女の子がほとんど無意味な言葉を同時に一緒に叫ぶ瞬間のなんて美しい事だろう。その魔法の重大さは、俺たちには到底理解できない翻訳できない強度で女の子たちにとってだけ意味を持つ言葉が木霊してしまう瞬間を覗いてしまった事の異様な感激と恐怖だ。
しかし、俺たちにだって意味がわかる女の子の掛け声がこの世にはある。
さゆによれば、彼女はきょうの大阪のFCのイベントまえの「がんばっていきまっしょい!」を噛んだらしい。(俺も書き噛んだ(い)を抜いて更新してしまった)
観た映画のなかの女の子たちの魔法の掛け声のその女の子呪文よりも謎めいているのは、娘。たち、と言っても、愛しい小娘。たちの二人が、はじめた、いや、ほとんど幸福の事故のように突然起こったブログの言葉だ。
さゆは娘。として娘。である自らの内と娘。たちへの外の目をもったままに言葉を綴る最初の娘。になるのだろうか。いや、最初のとか言葉が乱暴過ぎる。
つまり、さゆを知らない人間から見たらさゆはあまりにも乱暴で横暴とも言える仕草でテレビのなかに現れてしまうだろう、しかし、それでもさゆに興味を持った人間はさゆによって娘。に到達する、
さゆは戦場カメラマンのように娘。を内部から撮り、その花の全容を言葉にして我々を通り越して、そうしたさゆの悪意にだけ誘われた人間たちにこの世界にまで娘。の熱を伝えてくれる可能性を持った唯一の人だ。
れいなちゃんは産まれてはじめて叫ぶみたいに自らを叫ぶ、そのなんていじらしいかわいい言葉だろう。
いよいよ、我々に残された道は娘。たちの娘。たちへの言葉を読みながら目頭を熱くさせる事だけなのかも知れない。
いや、そんな事もないだろう、私たちに書ける事と言ったらはじめからこの事だけだった、そう、俺たちだけの特権のようなこの事。
今や、娘。たちが娘。への愛情を語る傍らに、私の無惨な言葉も転がっているのか。。。と恐ろしくなるが、
溜息だけが彼女たちへの相槌だと純粋な愛情に醒めたかのように沈黙のなかに沈んでしまう事の重大な過失には耐え難い居場所の無さに閉じこめられ彼女たちとの繋がりが断たれてゆく事を神経で悟ってしまいそうになる、考えてみれば、彼女たちと立ち向かう自分という存在はこんなにも風前の肉体と魂の継ぎ接ぎであって、あんなにも生物的に動物的に光へと躍動してゆく若い女たちのあらゆる恥を悪をもそのすべてを美しさへと昇華してしまう凶暴な生命の瞬きを一瞬だけでも食らったら最後、俺なんかは死滅してしまうはずだった、いや、文句は言わん、しかし、彼女たちの輝きをうれしい悲鳴だとは喉が裂けても言えまい、やはり、乙女の光ってものは凶暴なのだ、直視したら失明する光というものはたしかにこの世に存在する、自然発火現象なる現象が存在するなら俺は真っ先に彼女の瞳の点火で大爆発をしてしまわかなればいけない男なのだ、男たちは死滅しない程度にその光を浴びるが、どっちみち、いつかは殺されてしまうのではないかという開き直りにも似た延命本能で彼女たちとの直接の対面を避けたりさえする、れいなを愛する萌え友人がれいなの肉体が丸みを帯びふくよかさを醸していると言った、あまりに美しい事に青年がこんなにも強くれいなちゃんを愛してしまうという事が俺には青年の狂った愛情だけの仕業だけではけしてないだろうという事が目に見えるからだ、というのは、れいなちゃんは今、乙女の季節においてとんでもない大切な瞬間に居るようにしか思えないのだ、女の子というのは産声とともに産まれ落ちる瞬間のあとにも何度か産声を肉体と魂のなかで絶叫させ再び産まれる瞬間が幾度かあるはずだ、まさしく今、れいなちゃんからはその乙女の絶叫の産声が聞こえるのだ、そうなのだ、緊急事態なのだ、れいなちゃんに恋したあの青年の絶叫は完全に正しい、狂っているのは彼だけではないれいなちゃんの成長のその片鱗がまず乙女の花の狂気で吹き荒れているのだ、ただ彼にはそれが見えてしまいそれを魂で真っ正面から受け止めようとさえしてしまう、ただ今は、そうした事の認証とそうした現実とも真実とも呼べない不安定な彼女たちの鼓動の最前線を浴びてゆく事だけが今俺たちにできる唯一の事なのかもしれない、溜息に無限の言葉を野放しにさせて、俺は、俺は、彼女の外国愛好思考は内側から溢れいよいよ肉体の外へと飛び出してゆくだろう、彼女の爪のネイルは赤になったり黒になったりする、姉妹たちに突っ込みを入れる時も英語が自然と出てきたりする、ここまで話している彼女の仕草はどれも、彼女が思考して彼女が選んだ仕草だ、それが愛しいはずなのに、それ以上に愛しい彼女の無自覚の本能的な仕草もある、俺は、彼女が彼女を形成するあらゆる激情と緩やかな情熱とを同時に彼女に見出してしまうのだ、ほとんど彼女の肉体が記憶喪失のように自らの魂の在り方を忘れさってしまう瞬間にまで立ち会ってしまう始末、演劇だとかライブだとか表現者だとかそうした領域の話ではもう無い、その恐ろしさに怖じ気づき自分はそれでもただ、彼女に会いに行くことを選び続けるだろう、しかし、生身の彼女を目の前にした時に、彼女もただの一人の女なのだ、小さい身体に大きな瞳、等と平然とけりをつけて彼女へと親しげに語りかけるファンと呼ばれる奴らの見る目の無さには絶望する次第です、というもの、肉体と魂とが間近に接近したというその事実が、かならずしも彼女と自分との関係性の領域においては強烈な破壊作用としては働く事は俺には無いからです、むしろ、間近であの肉体と魂と瞳に出逢ってしまったからこそ手に触れ合う数十分まえよりも彼女が遠くに高くに君臨する事を思い知るのです、彼女の肩幅があんなにも小さいという事を知った後に新曲の彼女を見てみると、それはそのまま恐怖に変わるのです、まるで、まるで、彼女が美しい悪魔のように思えるのです、たかが人間の女であるはずの彼女の所在不明の乙女の全容の拡散しては中心に凝固してゆくあの液状なのか気体なのか魂の色もなにもかもがわからなくなる瞬間こそが出逢いと別れの繰り返しなのです、そうです、俺は彼女に会えば会うほど彼女がわからなくなる、一目惚れとさよならだけが永遠と彼女と俺をつなげてゆく、彼女は優しくなんてない、彼女は凶暴ですらない、彼女は、彼女は、

2010年2月2日火曜日

娘。たちのダンス

娘。たちの乙女電流爆発ダンス

ダンスと歌声の合流地点、出発点のない電流が身体中に巡り身体を躍動させついにそのなかで産まれ発音された歌声が踊る娘。たちの唯一奮える事のない理性の左手が握るマイクへと合流するとき理性の骨格が神経起床を起こして娘。たちの指先はマイクの背中でいよいよ踊り出す、奮い立つ小指の末端の君臨ダンス、

愛ちゃんが譜面を破くとき

譜面が読める愛ちゃんの姿をドキュメントで見た事がある。
愛ちゃんはクラシックバレエを踊る。
愛ちゃんが譜面に無意識のうちに抵抗する躍動が好きだ、譜面の理解の要請を砕くその歌声が好きだ、アカデミックな信仰で挑んだはずなのに、譜面には書かれてはいない感情の音で愛ちゃんが啼き歌う瞬間に身震いする、愛ちゃんはいよいよ譜面にビンタをするんだ、愛ちゃんは曲中にめまぐるしく感情を揺らす、「高橋の歌い方は上手く歌おうとしてるだけで全然感情が見えない」なんて浅はかで幼稚でおこがましい耳の持ち主共だろう、愛ちゃん程に歌う事に過剰な感情を抱いてる女の子がハロプロのなかに居るはずがない、愛ちゃんはアカデミックな正常理性にその夢見がちな完成予想図に忠実であろうとすると見せかける曲のはじまりから一転、わずか3分間の曲中のなかで野蛮に野生な乙女の激情に誘われ音程を濡らし粗野な色情を底辺にうねらせ、それでも、一音一句につなぐ息継ぎで恥じらいを吸い込み、また正常な領域に帰還しようとする、愛ちゃんこそは歌うことによって女の子の感情の旅をしでかすんだ、感情に心のすべてが沈んでしまってついにはあのかわいい強い瞳から涙さえつたらせる、あまりにも感情的な野蛮なおいたの女の子だ、あの愛ちゃんの揺らぎが見えない奴らはつんぼなんだ、あの弱さが見えない奴らは盲目者なんだ、そうした視野で聴く者たちの耳こそが譜面通りのゴミ拾いの鼓膜なんだ、愛ちゃんの歌声のながれは譜面のうえを強く勇ましく正しくながれてゆくそれと同時にまるであの嘘発見器の震えて脱線する針が描く美しい動揺と真実の曲線のながれのように歌声が放流されてゆくんだ、愛ちゃんの歌声はひとつのながれじゃない、愛ちゃんの歌声には乙女の断層が空と大地が存在するんだ、i am ai と子供のように幼女の甘い涎のような声で俺たちに名前を言ってきた愛ちゃんはしかし、リゾナントブルーであんなに野生の乙女獣のような、いや、たぶん、今音源化されている乙女の声のなかで誰よりも野生な叫びをきかせる、その声と声の距離に、その合間に無限の乙女の音を秘めなきながら、愛ちゃんは歌ってるんだ、
不当だ不当だ不当だ不当だ不当だ不当だ不当だ苛つく苛つく苛つく苛つく、なんで娘。たちはこんな不当な評価と扱いだけしかこの國ではこの世ではされないんだ、くそくだらない現代めが、くそくだらない人間共が、ただの女だと思うなよただの女の子だと思うなよ、間違ってる間違ってる完全になにかがおかしい、狂ってる、狂ってる、娘。がこんな扱いしかされないんなんておかしいんだ、おかしいんだ、なんてことだ、この世はこんなにまで救いようがない美の自然死で氾濫して娘。を追いやるんだ、俺たちをきちがいの発狂信者みたいに見立てるんだ、どうなっちまってんだよ、貴様らにはセンスがねぇんだ、完全にセンスがねぇんだ、駄目だ、貴様らは駄目だ、なにが劣化だ、貴様らこそ人類の劣化だ、救いようがねぇ、娘。のためにひとつの都市も発火させる事もできねぇ男根どもが、現代のくそ劣化不戦野郎どもは死に腐れ、貴様らに用はねぇ、駄目だ、男なんて駄目だ、なにも見つけられないんだ、なにも見てやしねぇんだ、産まれてから一度もしらふで居たことなんてねえんだろ、あの人は言った、娘。に萌えてない奴らは今すぐ自爆しろ、自爆しろ、自爆しろ、おかしんだ、貴様ら頭がおかしんだよ、あんなに美しい女性たちに跪かないなんて、あんたは美の不能野郎なんだ、あんたは不能なんだ、あんたらもう死んじゃってるんだ、あんたら死んでるんだ、なにがアイドルだ、なにがモーニング娘。だ、あの子たちの名は娘。だ!、すべての概念の外で着床した美に勝手に名前つけやがって、どいつもこいつも解ったような事いいやがって、ただ一度だって澄んだ命で娘。たちが歌い踊る所を見たこともねぇくせに、自分の不能な力を呪うどころか娘。を呪うだなんてなんてクソみてぇな世の中なんだ、そのまま良家の指紋だらけの美にずっと心酔してやがれ、血清のある美にくるまって寝てやがれ、救ってもらってろ、ずっと生暖かなやさしい恐くもない美で毎日を浸せ、美しさと値段と表彰と正常のなかでずっと埋葬されてろ、ああ、娘。は恐ろしい、娘。は美しい、血清なんてこの世にない、娘。、娘。、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!