2009年5月12日火曜日

存在しない

自分自身にはっきりさせておこう、娘。に萌えているというこの事態がおれにとって、なにかしらの代わりではないという事を。
女がいない、他にやる事がない、そうしたゼロ地点から簡単に仰ぎ見る事のできる女の子たちでは娘。はけしてない、そんな生やさしい領域にはもう娘。たちはいない、もうおれはなにかを失って娘。に萌えているんじゃない娘。たちに萌えることでしかなにも失う事さえできない魂だという事だ、なにかを諦めたから娘。の側にいるんじゃない、娘。のそばに居たいためになにかを諦めて行かなければいけないんだ、その姿を拝むために命がけで彼女たちが存在している地点に行かなければいけない、絵里ちゃんのひらひら舞うスカートからながれでている空圧にそよいでいるのはどんな言葉よりも物語よりも残酷なリアルだ、絵里ちゃんは白状しない、リアルを、がこの娘。たちに萌えるという事がおれの生きるという事だ、ほとんど生死を伴う行為だと言う事を忘れてはいけない、おれよ、絵里ちゃんをつかまえようなんて思うことなかれ、忘れちまうなよ、絵里ちゃんはかわいい暴力そのものだったはずだ、あのやさしい眠気のなかの強い光を、絵里ちゃんの欠伸のなかに響く命の風を、クラスの馬鹿な男子どもみてぇに娘。のまえで馬鹿にしかなれねぇならとっとと消えちまえ、あの子はやばいって言ってるくせになにもそのやばさに気づいてねぇみてぇな甘っちょろいなにも苦しみも抱かないそんな領域でずっと戯れていられるならおまえらは死ぬまでそれをやってればいいんだよ、絵里ちゃんを見間違え言い違えていればいいんだよ、おれたちはゆく、何人かの娘。萌えたちは真にもだえてる、そうだ、娘。にもだえているのだ、萌えているんじゃない全身で魂でもだえているんだ、あんたらが絵里ちゃんに爆レスもらったって言うならなんでそんなにニヤニヤしてられるんだ?、おれだったらなにもいえねぇ、誰にもいわねぇ、おれたちは3階に居た、Dさんは手にオレンジ色の光を灯していたおれはその傍らにいた、絵里ちゃんは対岸の乙女だった、美しい海を泳ぐ人魚だったんだ、でも絵里ちゃんは娘。だ、絵里ちゃんはそこに居てくれた、おれらの暗闇に浮かぶオレンジ色の光だけを頼りに、絵里ちゃんは手を振ってくれたみたいだった、そんなもの幻想って鼻で笑えばいい、でもあれこそ愛情レスだ、爆レスなんてくそくらえだ、それだけでおれたちはもだえられる、明日を信じられる、すべてを愛せる、嫌なんだよ、軽さが、今の娘。に萌えてると豪語する奴らのその肉体の軽さが魂の軽さが、娘。たちのかわいさに沈まないその軽さが、今の娘。たちの輝きに真にやられてる男なんてわずかなのかもしれない、でも、行こう、行きましょうよ!、おれたちだけは死んじゃだめなんだ!、娘。のかわいさのまえにまだ生きていると思いこんでいるおまえの目はもう死んじまってる、今の娘。たちが世間の博識ぶった馬鹿どもから無視されるような現状のなかで、それでも巻き起こしてるこの事態の凄さを知っていると豪語する人間だって信用ならねぇ、外人ヲタが数人づつ増えてゆく、女の子たちも増えてゆく、おまえらも偽物か?、おれたちは死なない、新曲を歌い踊る娘。たちのふともものあの坂道はどうだ、見つめたとたんにこの瞳が魂が滑り落ちてしまいそうな、もうこの娘。たちの輝きの季節は冗談なんかじゃない、たしかに、たしかに絵里ちゃんのかわいさのまえにシリアスになっちゃいけねぇんだよ、絵里ちゃんはそれをきっと望んではないない、ニコニコしてよう、絵里ちゃんのまえでは馬鹿みたいに、でも、本当はそのかわいさにいつも震えてる心底シリアスになってる、あんまり動く事が好きじゃないって言う絵里ちゃんの身体があんなに動きまわるとき、絵里ちゃんがエリちゃんに突入してるとき、ほんとはおれ、絵里ちゃんにシリアスになっちまう、でも、それは絵里ちゃんの輝き似合わねぇからよ、おれはニコニコすんだ、もうこの季節は生やさしくなんてない、ここからは命がけの季節だ、娘。たちのこの凶暴なまでの魅力に正面衝突しなきゃいけないんだ、娘。たちと時を共にするために必要なのものは心の底から溢れる想いだけだ、それだけが証だ、娘。に血を見せちゃいけねぇ、この傷口で迫っちゃいけねぇ、ニコニコすんだ、おれは馬鹿みたいにニコニコする、でも、絵里ちゃんのかわいさに甘えて本当の馬鹿になっちまったらいけねぇ、抱きしめる事もできねぇ、側にもいれねぇ、ヲタと呼ばれる存在でしかいられねぇならそれを全うするぜ、ガキさんが語ってくれるようなその男になるぜ、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!