2009年5月18日月曜日

娘。たちの太股

「垢が舞う、香りが飛び散る、これは、輪郭と頂点と傾斜と隙間と透明にしか目がない美しさに留め金をしたがる輩の造形意識のひんしょくをかうだろうが、由来がある美は唐突に迷子になる!、そいつらの美が遂行できるのは母親殺し父親殺しだ!、彼女たち以外の美は迷子になる。」

白い9つの塊が美しく騒ぎ立て蠢いてる、言葉を話しもしないし、説明すらしない、音楽が流れ出す、9つの白い塊が踊り出した、音と肉体、合成皮に擦れる脚、生練り色のコットン、打ちっ放しのコンクリートに刺さる影の証印、まかれた髪の毛先の無邪気な散らかり、指先からすべての末端の神経まで発熱してるように赤く火照ってる、黄色でもなんでもなくなってる肌の色、人種さえも跨いで、自らが発する配置してゆくその声が再び彼女たちの身体に降り注ぐ事の全領域にもたらす還りと発育と退行、逆流する血液、化粧の油が皮膚の脂の美しさをばらす、



愛情も譜面にしてください、そんなかわいくもおこがましい事を口走った肉体のなんて譜面破りの肉体論破だ、表現という意識の臨海を無意識のうちに突破してしまっているのが悲劇であるのなら神経伝達とのあうんを仕草のように編み出した生存だ、中心に収縮してゆく肉体、リズムに同期する腰、本来彼女たちの肉体の中心が腰のゆるやかなカーブによって認識できていた自分にあって、新曲では彼女たちの肉体の中心を拡大させられているように思える、脚がブーツによって格段に伸ばされているのだ、その事によっていつも見ているはずの彼女たちの肉体の高さという認識からまず混乱を起こした、美の絶対条件であるかのように祭り上げられる娘。たちの腰に変わって中心に君臨しているのは娘。たちの太股だった、縦の造形を作り出す肉体の箇所で唯一完全な露出を輝かせているこの太股がまるで肉体の聖地のように静かにどこまでも強く裸の肌でいるのだ、こんなにも同時に、娘。たちの太股だけを凝視しているという状況に自分ははじめて立たされてしまったかのように動揺している、それでもどこかで、こんな事は以前からやっていたのだの、娘。の太股の美しさはとうに知って居るだのと言う既視の照合を企てるのならもう自分は完全に信用できない類の男だろう、この太股の状況というのは今まさにこの新曲のダンスショットで起きている事なのだ、こんなにも両太股の隙間が静かに顔を見せている状況に出会した時、自分は見たことがあると言うなら一生口走ってればいい、
出っ張った尻を脚に落とし込み空間に叩きつけることでドン、ドン、ドンとそれを可視させちまってリズムを獲得しながらリズムを身体で見せる、まずは彼女たちのリズムに同期する事を試みるよりか先におまえは小人になれ、そして、彼女たちの肉体につかまってみろ、滑り落ちるだろう、すべての箇所が絶対的な傾斜のなかに存在し、停留を許さない、それらは波打つかのように微動し膨張したり収縮したり咲いたり枯れたりを繰り返す、眼球に力を込めろ目の神経が痛くなるくらいにモニターのまえで血走って視線だけになれ見ているという力以外の機動を停止しろ、無駄だ、それでも彼女たちのどこにもつかまることはできない、素晴らしいのは、なにひとつ彼女たちを捕まえられないという事だ、風も光も埃も彼女たちの太股につかまることはできない、リズムを模写して見せる彼女たちの肉体が凹凸させている造形の音波は歌声を抽出したり波形で言い聞かせたりできない自由で野蛮な原始に満ちあふれてる、彼女たちが踊っているという状況は肉体の出発そのものだ、湧き起こるなにかが永延と起こり続けている、これは認識可能な領域ではないし、説明不可能な彼女たち女である肉体とそれも娘。で或るという肉体だけが到達できる結びつきだ、だからこそ、ヲタが完全なフリコピをして見せてもそれはまったく別物であるし、同性であるおんなどもが調子に乗って同じ格好をして劣化するクローンの醜態で踊って見せてもそんなものは1ミリも彼女たちを踊ってはいないしどこにも到達できてはいない、そう、そんなものはなんでもない、彼女たちの太股の美しい産毛はなぜあんなにもやるべきことを放棄してまで輝くのか、リズムを肉体で取る、それが基盤ならなんて古くさくも道理に敵った古典的なダンス先生諸君の配慮だ、肉体を収縮させる、叩音に合わせ肉体をたたむ、筋肉が完全にたたみきるまえに外すのは、その野蛮で根元的な動作を女の不安定な肉体で支える真ん中の腰と尻だ、腰と尻の強度が絶対に不自由さを手放さずにだからこそその無重力のような中心線からの放射を助けている、それがいつでも彼女たちを救出する、人間がトントントンという単音の無限の連なりに安堵を覚えるのはそれが心臓の音に似ているからだとかそういった証拠でそびえたつ事を放棄しろ、ほとんど、そのリズムの引力に彼女たちがひっぱられ肉体をたたみ込もうとする瞬間に彼女たちの表面にばぁあああと広がる拒絶の反復でまったく別の方向に向かう、リズムが止み、メロディ主体に音が流れ込んでゆく頃、娘。たちは四肢をぱあああっと広げ肉体を収縮から放す、けれども、ここで美しいのは、リズムを取るために開かれた両足の隙間が閉じられるということだ、ふたつ美しい太股が内側で連なり巨大な胸の山のように小人のおれにそびえたつ、その山がわずかに角度を変えて急速に傾斜を強めてゆく、肌のうえで透明な雪崩を起こしては光をも奈落に落としてしまうだろうその太股の斜面、内股にはじめて力を入れ四肢を四方に咲かす、ああ、けれども、再び、リズムが打ち込まれはじめると、肩を前方に移し、顎を引いて、おへそのあたりに魂が結集するみたいに身体を中心に持ってゆく、また収縮か、いや、第一のドン、そのンの時にはもうその収縮がとてつもない勢いで外側に広がってゆく!、ドン、ドン、ドン、このわずか3音のドラムの音が鳴る合間に娘。たちの9つの肉体が無限の力で動き出してる、その瞬間におれが目で追えるものも追えないもの、ありとあらゆる流域で箇所で何かが巻き起こってる、巻き起こっては終焉し再び巻き起こる、平熱や心拍の数字になんの意味があるって言うんだ、ああ、どうだ、リズムもメロディラインも裏切りつづけただ一度も意識下の外で踊らずに踊っているのは!そうだそれは彼女の髪たちだ!、おまえたちの髪は風でも光でもなくおまえたちのダンスによってその時動き出す、装飾品の意味と意図が飾り立てる睫毛にわずかに競争心と同輩めいた輝きを光らせても、それをなぞるおまえの指先のなんて美しい占領だ、結局、踊り過ぎる髪を手櫛で叱る君のダンスの断層と分布の広大な創造に僕は絶叫してるんだ、おまえの抜け落ちる髪の毛、ワックスがけされた床に映る落下する、汗の蒸発、絵里の口角の丸み、れいなの小さく広がる四肢、さゆの瞼と鼻の筋、同調し同期してゆくはずの肉体がちらかってゆく無限に分裂しては増殖してゆく、18のまあるい隠れる胸と露わな18の脇の揺らぐ肌、9の股がななめにずっと浮いている、9の体重、無限変容だけを躍動させる肉体の造形、彼女たちの肉体には平らな場所などひとつも存在しない、そのどれもが丸みを帯びてる、鋭利な円であれ、やさしい円であれ、
娘。たちのダンスというのは肉体の動きで曲のリズムもメロディも表現しなきゃいけないのであるけども、ドラムの音が内側に萎縮するような音であるのなら、肉体を内側に収縮させるように動き、同じようなドラムの音でも外側に広がるように跳ねるものであるのなら肉体を放す、行うべき華麗を筋肉のなかに譜面を植え込むように行うのではなく、素晴らしいのは肉体という唯一の絶対的に支配できる一方で自身のものにはならないものでもあるその肉体だからだ、髪の毛先まで踊っているというその事実はしかし、髪の毛先まで神経を持っていっているという事の証明にはなりはしない、ただ、それでも、愛ちゃんはたしかに髪を振るというそのダンスの流れさえ無意識であってもここでは踊ることができてる、今の娘。たちのダンスの素晴らしさはダンスの全体的な完成を放棄せずに同時に個人そのものが際立ちながら舞っているという事だ、ダンスショットは低位置から移しているのだけれど、小春の鼻の穴のなんて美しくかわいらしい事だろう、柔らかな肌をしなやかに磨き上げる筋肉の凝固で傾斜を作り上げ、光は反射しながら滑り落ちてしまう、真新しいはずの衣類のくたくた具合はどうだろうか、熱だ、彼女たちの熱にやられたんだ、開かれる左右の脚の隙間をぱかぱかするとき、そのとてつもない9つの穴から噴射される香りや空圧に心臓が鷲づかみにされる、まるで、口ではなくそこで呼吸をしているかのように、ヒールの鋭利な尖端は地上を抉るのか、ぐらつくれいな、ぐらつくれいな!、開かれた手のひらの指先の隙間からなにを覗くんだ、腰の始発、脇の石膏、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!