2010年2月20日土曜日

女の子言葉(さゆれいなブログからはじまるなにか)

先日観たロジエのアデューフィリピーヌでも今日観たロメールの木と市長と文化会館(レネットとミラベルの間違い)でもそうだったけど、女の子がほとんど無意味な言葉を同時に一緒に叫ぶ瞬間のなんて美しい事だろう。その魔法の重大さは、俺たちには到底理解できない翻訳できない強度で女の子たちにとってだけ意味を持つ言葉が木霊してしまう瞬間を覗いてしまった事の異様な感激と恐怖だ。
しかし、俺たちにだって意味がわかる女の子の掛け声がこの世にはある。
さゆによれば、彼女はきょうの大阪のFCのイベントまえの「がんばっていきまっしょい!」を噛んだらしい。(俺も書き噛んだ(い)を抜いて更新してしまった)
観た映画のなかの女の子たちの魔法の掛け声のその女の子呪文よりも謎めいているのは、娘。たち、と言っても、愛しい小娘。たちの二人が、はじめた、いや、ほとんど幸福の事故のように突然起こったブログの言葉だ。
さゆは娘。として娘。である自らの内と娘。たちへの外の目をもったままに言葉を綴る最初の娘。になるのだろうか。いや、最初のとか言葉が乱暴過ぎる。
つまり、さゆを知らない人間から見たらさゆはあまりにも乱暴で横暴とも言える仕草でテレビのなかに現れてしまうだろう、しかし、それでもさゆに興味を持った人間はさゆによって娘。に到達する、
さゆは戦場カメラマンのように娘。を内部から撮り、その花の全容を言葉にして我々を通り越して、そうしたさゆの悪意にだけ誘われた人間たちにこの世界にまで娘。の熱を伝えてくれる可能性を持った唯一の人だ。
れいなちゃんは産まれてはじめて叫ぶみたいに自らを叫ぶ、そのなんていじらしいかわいい言葉だろう。
いよいよ、我々に残された道は娘。たちの娘。たちへの言葉を読みながら目頭を熱くさせる事だけなのかも知れない。
いや、そんな事もないだろう、私たちに書ける事と言ったらはじめからこの事だけだった、そう、俺たちだけの特権のようなこの事。
今や、娘。たちが娘。への愛情を語る傍らに、私の無惨な言葉も転がっているのか。。。と恐ろしくなるが、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!