2009年2月14日土曜日

女の子の事や、自分の事、好きな映画や本や音楽でもいい、なにかを書くという行為を自分が行ったときにはもうそこに残るのはおぞましさだけしかないように思えて、それだけを意識するようになってからは、もうただひたすらに黙り込んでしまうしか術はなかったのだけれど、
近頃はもう本当に日常のなかでなにかを書き留めるという気持ちも起こらず、一切の感情の証明が自分のなかに発見できる瞬間が完全に消滅してしまっているようでとても気色が悪い、それだって悲しいわけでもなんでもなく、ただ気色が悪いという肉体的な違和感に近く、精神的なものではない、27年生きてきた訳だけれど自分を自分として癒着していた肉体と精神がバラバラになっているような気がする、ちょっとおかしい、もっとも自分を自分として存在させていた感情や精神の不在は無機的な死のように終わりなくただ体内に充満している、一週間まえに患ったインフルエンザは非日常の熱で、その高熱の過ぎ去った跡に自分に残ったのはあまりにも冷め切った意識だけだった、人間的なすべてを高熱に奪い去られたように思うのに悲しくもない、温度計で体温を測ると35°度を超える事はなかった、自分の平熱がこんなにも低体温だったのか、そうなってしまったのかわからない、この冬、その手がかじかんでいた事にも気づいていなかったみたいだった、プラスでもマイナスでもない瞬間だけが浮き彫りになってゆく日常のなかでどうにかリハビリ的に本屋に行って各専門誌を立ち読みしてなにかに興味を持とうとしてもなにも突き動かされることはない、誰かが新しい音楽に触れて歓喜している時に自分は人間が音楽を聴く事そのものを放棄している、すべてが異常に虚しくうつる、映画だけはかろうじて見つづけているが、それらの歓喜の感激は以前とはまったく異質のものであり、人間として映画を見ているのかわけのわからない存在として映画を見ているのかさえ検討がつかない、この歓喜が正しいものであるのかわからない、映画に限らずあらゆる主人公に人物に感情移入できない、意識的な冷めてる状態ではなく本当に冷め切っている、なんてつまらない存在かと思う、それでも娘。だけはどうしても気になって、画像ひとつ見るだけでも感情を大きく揺さぶられてしまう事がわかっていても、その美しさにとりつかれることは避けないでいられる、

ブログ アーカイブ

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!