演じる彼女がもしもそこに居なければ、舞台「ファッショナブル」も、朗読劇「私の頭の中の消しゴム」も、ドラマ「アクシデントカップル」も、その三作品を自分は、いわゆる「芸術」という領域で展開されるこの演劇やドラマを、もしかしたら少しも、いや、正直に言えばほぼ完全に見向きもしなかっただろうと思う。
彼女が演じるという事について最終稿のように語ろうとすれば、たぶん、ハロモニ。劇場、いや、もっと、どこまでも遡ってしまわなければいけないだろうし、それこそ、リボンの騎士の彼女の事も、シンデレラの彼女の事も、エコ研、証明終了の彼女の事にしたって、私はなにひとつ未だに書けてはいない気がしてならない。
1.物語の秩序 vs 娘。
「ファッショナブル」という演劇は、あらかじめ娘。という存在を企画の段階から包み込みながら創りあげられていった作品であったから、作品自体のおおまかな香りは、娘。の傍に隣接された物語りの形成であり、その物語のなかで展開される事柄や仕草は、娘。という存在を真に脅かすような、この世界の奥底に蠢くような残酷性を惨いまでに織り交ぜてくるなどといった横暴を遂行するような事はけして無かった。
劇中に展開される物語や言葉は娘。の肌に合っていたし、そこには見事に、世界が必要とする感情を呼び起こすいくつかの大事な魔法が散りばめられていたのだし、だからこそ、観る者が娘。に真に萌えていなくとも、世界に存在すべき物語の秩序がひとつのヒントになって涙も流せたはずだった。
だからといって、私がファッショナブルの「本」だけを読んだ時、わざわざこの心の善良な歯車を止めてまでだ、その物語に夢中になるのかといえば、絶対にそれは無いだろう、いや、ここでファッショナブルの本を貶し、娘。たちの演技を賛美すれば、それこそ、あの胸くそ悪いやり口そのままに、なにかを褒めるために貶し、貶すために褒めているという症状に陥ってしまっている訳だけれども、しかしだ、たしかに、私にとっては間違いなく、ファッショナブルがあそこまで感動的だったのは、あの世界の秩序を保ち熱のこもった物語を、娘。たちがあの感情の召還で、物語の細部に娘。たちを澄み渡らせたことではじめて、凍える程の熱い感動を浴びる事になったのだった。
私にとってファッショナブルという劇の本質が物語の「本」という領域のなかにあるのではなく、紛れもなく、舞台のうえに降り立つ娘。たちのその立ち姿であり、声であり、涙であり、笑いであり、呼吸であった。
娘。があの物語のなかに息づくという事と娘。たちが歌うというその領域がまるで同質のかけがえのない事のように思わせる程のなにかを娘。はファッショナブルにおいて、その物語を踏み台にして、そう、踏み台に、ほとんどあの綺麗な物語をあの輝きでねじ伏せて、娘。たちの他の大切なあらゆる瞬間とまったく同様に大切な瞬間にまで演劇中に娘。たちは娘。たちをただ、。とっても、俺たちにとっても、したのだ、この事が、娘。たちの恐ろしさをそのまま形作っているみたいだった。。。もっと細かく書き表してゆく事に時間を割く事から今回は逃げたいと思うのだけれど、つまり、私は、ファッショナブルにおいて、彼女が物語からも舞台からも、ましてや娘。たちからさえも、ただ一人で離脱して、どこかとんでもない領域に居たという事のおかしさとその美しさについてだけ書き留めたい、娘。がいわゆる「作品」として、それぞれが絶対的な強度を持った物語りの骨格に支えられ、一度物語の幕が上がり、そして下がってしまえば終わってしまう個別のものである事、そのどれもが、物語という肉体を強烈に掴んで離さずに存在していた事は、覆すことのできない事実であるのだけれど、しかし、その三作品を演じる愛ちゃんという存在は、まるで、それら個別の物語や舞台のうえを断絶せずに横断しているかのように感じられた、
演じる事の後遺症。。。ガキさんの王子、愛ちゃんの積みかさなって行く女の層、
ジスという女の子は今まで、愛ちゃんが演じてきたどんな役柄の女の子よりも愛ちゃんに限りなく似ていた。それでも、ジスは愛ちゃんではない。きっと、愛ちゃんがジスの声優をやらなかったのであれば「愛ちゃんに似た女優が出ている韓国ドラマがある。」いつしか誰かがその事を発見し、「愛ちゃんに顔が似ている女の子のドラマ」として、静かに俺たちのまえに現れたのかもしれない。
ジスの容姿が愛ちゃんに似ているという事だって、もしかしたら
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