2009年4月8日水曜日

高橋愛 - Ai Takahashi

愛ちゃんの趣向には強い意味と意識が通っていて、それらに無意味に触れようとすれば、絶対に、彼女のあの愛しい姿は見えてこないと思っていた。乙女の無条件の憧れ程こちらが手に負えないものはない、それに、女の子がリスペクトするものを俺なんかが理解できるはずはないと思っていた、理解できたとしても、それは男の視点で湾曲させた思考のデザインであって導き出したそれが真実だとは思えなかった、彼女の外見のかわいさに見惚れた直後に彼女の内面も外見同様の純真さや意志に満ちている筈だと探りだす男の病、彼女を知りたいと意識した当初の絶望は彼女が結局、米国に憧れる女の子だと簡単に罵って、そんな女の子はかわいくないと切って捨てるあのバカげた連中となんら変わりのない程に、僕は彼女を見てはいなかった事になるのだ。
つい先日の番組で小春はNYPD(ニューヨーク市警)とプリントされているピンクのパーカーを着ていた。そのかわいさや美しさ、なによりおかしさは、きっと、小春がNYに憧れてはいないだろう事を僕が勝手に想像していたという事は少なからず関係していて、小春に「小春!!そのパーカーかわかっこいいじゃんか!NY市警だよ!小春ちゃんニューヨーク守っちゃうのかい!?say!小春ピンク巡査だね!わっははっは!」と言う具合に想像が膨らんで、僕はなんだか猛烈にうれしくてにやけてしまった、しかし、もしかしたら小春が「NYPDでしょ!小春知ってるよ!NYでいちばん強いじゃん!」と反撃してくるかもしれない。。。。NYと女の子というテーマは近頃の僕の最重要テーマである。
書きたいことは、愛ちゃんという存在の愛しさだ、なぜ、時折、僕らは愛ちゃんを小さな女の子のように思えてしまうのか、
俺らがというよりは、俺らが「愛ちゃん!」と叫けびたくなるあの瞬間にはかならず、もう娘。たちの妹のなかの誰かが「愛ちゃん!」と愛ちゃんをかまっているような気がする、福井コンで小春が突然に、「愛ちゃんばんざーい!愛ちゃんばんざーい!」と何度も叫びはじめて、その愛しい声が妹の声なのかお姉さんの声なのかわからない愛しい声だった、小春の声は響き渡り、娘。たちが止めなければ永久に小春は声をやめなさいんじゃないかと思えるくらいの勢いだった、この文章でかろうじてただひとつだけ語りたい事は、リゾナントライブコンの後の居酒屋で、路上で、僕とDさんが語った「愛ちゃん」を知ったその衝撃の事だ、たぶん、ある日突然に僕らのなかに「愛ちゃん」は出現したのだ、それは愛ちゃんを「高橋」と呼んできた僕らだけが経験した洗礼だったのかもしれない、小春に「愛ちゃん」と呼ばれた愛ちゃんは笑っていた、
聞き取れなかったが、笑う愛ちゃんに小春が「なんでわらうんですか〜」みたいな事を言った時に、愛ちゃんは「だって小春、愛ちゃんて呼ぶんだもん」みたいな事を言っていた気がする、感動と興奮のなかだったから確かではないかもしれないけれども、あの女の子を「愛ちゃん」と呼びはじめた人間の言葉を僕は素直に書き留めたい、Dさんが言うとおり、僕らはまだ愛ちゃんに出会って間もないのかもしれない、NYと幼児、リゾナントライブで確かに僕らは、NYのクラブで踊るスーパーガールな愛ちゃんとお風呂から出たばかりの幼稚園児のような愛ちゃんを目撃した、NYガールと幼児、

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!