2009年4月8日水曜日

女の子の写真

戦争映画を観ているとかならずと言っていい程、兵士のなかの一人は女の写真や切り抜きを自分の寝床の壁に貼っていたり、服の奥に隠していたりする。強者になると、壁の女を見つめながら香水を嗅いだりする者もいる。
砲弾の束の間、ギターを抱えた兵士が故郷の女に想いを馳せる歌を奏でたりする。
戦場に人肌のような電波が降り注いで流れてくるのは「リリーマルレーン」。
仕舞いには、隣の立派な無精髭の仲間に「おまえが若い女の子だったらなぁ!」なんて口走ってしまう。
垢と弾薬と死の匂いの奥底でも、女は姿無くどこまでもいつまでも男たちの世界に香ってる。
「君は金持ちなんだな、じゃあ、戦争が終わったらおれに職を紹介してくれよな」。
「戦場で駄目になりそうな時は、わたしの胸の事を思い出して」洋服店で働いていた兵士が接客した奥さんにそう言われたと語る。
映画のなかの壁の女を見ていると、君たちを思い出す、きっと僕は君たちの写真を壁に貼るか、でなきゃ胸のなかにしまっているだろう、そう考えるたびに、一度も戦場に行っていない事が良いことなのかそれさえわからなくなる、そんな時は平和である事を呪ってしまいたくなる、戦争について男が口を出すことの猛烈な情けなさ、語る資格も、なにもないとはじめから切り捨てていた、こんな事を突然書くのは、昨日見た戦争映画のせいなのか、北の塊が日本上空を通過したからか、F22の記事を見たからなのか、そんな事ことわかりっこない、
小春はノストラダムスおじさんは知ってるだろうか、僕はちょうどあの予言が狂言になるか証言になるかのラインを超える時に若造だった、90年代後半、終わりが終わりなく次から次へと生産されていた、学校を休んでいた時、父親に連れてかれたクレーン射撃場で散弾銃が円盤を砕く光景を見ていた、暴力にも満たないなんの意志もなんの軌道もないその拡散してゆく銃弾の強い力は、迷子のようにただ、円盤を砕きつづけてた。

君たちのファンイベントやなんかで君たちに詰め寄るファンのなかに必死で自分も詰め寄るとき、いつもここが戦場だったらって考えてしまう事がある。男の汗臭くて、必死で、死に物狂いで、彼らは君たちに詰め寄る。
君たち女の子は「戦場」を意識する瞬間はあるのかな、愛する人が戦場に行ってしまったらどうしようって考える事はあるのかな。
なぜ、いつも仮想敵に向かって銃口を向けているのか、ずっと自分がわからない、軍パンはたしかにかっこいい、ナチスの尋常じゃないあのステッチ、

君たちが写真になってくれる事に僕はとても感謝してる。

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!