2010年7月22日木曜日

春コン、涙ッチという運動、音、すべてが有る事の



涙ッチを踊り歌い終えた後に彼女たちは「モーニング娘。でしたぁ!!!」って叫ぶ。



もうダンスだなんて呼ばない呼ばない呼ばない呼ばない呼ばない呼ばないダンスだなんて呼ばない呼ばない呼ばない呼ばない呼ばない呼ばない歌声だなんて歌声だなんて呼べない呼べない呼ばないいつでも捕獲できるはずの肉体がずっと恐ろしくただ躍動し続ける意味も物語も理由もなにもかもが悪戯も涙も濡れる股も欲情も愛撫も涙ッチを踊っている娘。たちの肉体の運動にもう俺はダンスだなんて言葉で見つめることさえおこがましく馬鹿らしくなってしまったそんな肉体運動文明の執念で語るんじゃねぇって自分を罵ったものだ涙ッチだ涙ッチだこの曲には絶対的な振付などないのだと娘。たちは言う振り付けなんて託されてはいない、あの時期に振付を教授しなかったのか、最早涙ッチを歌い踊る娘。の姿を想像したとき、つんくや振付師はただ娘。たちに娘。の躍動を託す事しかできなかったのか、この曲のなかに生身の身体と魂と互いの愛情だけで放り出された娘。たちのその肉体の躍動はどうだ今まさに娘。で居る事の紛れもない運動そのものがただ爆発しているようじゃないか乙女なの少女なの大人なの女の子なのくだらないくだらない娘。だ娘。だいままでだって娘。たちというのは与えられた振付のなかにまるで授業中にふざける女子学生の悪戯にように互いにキスしてみたりおしりを触ったりいろんな娘。たちの愛情由来の仕草の振りを真面目に踊らなかればいけない曲中に紛れ込ませていたそれは脈々と君臨する娘。という状態の動脈にわずかにきらめく一瞬の光の悪戯のようだったけれども涙ッチはどうだそうした絶対に踊らなければいけない娘。たちがその肉体に魂に娘。たちが娘。という存在を客観のなかで背負う契約など完全に葬りさられたあまりにも自由なこの数分間を娘。たちはどう踊って歌って躍動したって言うんだ、見ろよ、見ろよ、おまえの五感で、涙ッチを歌う娘。たちにはすべてが或る、すべてが或る、恐ろしい程に混乱していて同時に澄んでる、地獄と天国の交わった都市のように娘。たちの踊るステージは聖地になった、乙女たちのはずの娘。の肉体はまるで狩りに行く男たちの勇ましさだ、そうだ、瞳は狩りに向かう男の勇ましさなのに踊る胸のなんて今まさに何者かに抱かれようとしている乙女の胸の絶叫だ!!!!!わかるか???おまえにわかるか???俺のこの歓喜が??俺の絶名しそうにこの娘。たちの肉体の躍動に惚れ堕ちて死んでしまう寸前で最後まで見続けた俺の証言をききやがれ、俺は見たんだ、娘。がなおもなおもなおもなも娘。が娘。になるその瞬間を、娘。は永遠に娘。になりつづける、そうだ、そうなんだ、愛ちゃんは絶対にこう言うだろう「モーニング娘。でしたぁ!」、そうなんだ、まさにその言葉のような躍動なんだ、涙ッチにずっとドクドクと脈打ってる「あれ」は娘。のその心臓の音なんだ、娘。たち乙女の愛情の討ち入りだ!!!!!!!!!!!涙ッチは娘。たちが堪えつづけたそのかわいい頬を伝ってながれることはなかったいつかのいくつもの涙が喜びの悲しみの怒りのすべての感情の歓喜の涙が一斉に娘。たちの心から肉体を瞳を歌声を通じて大爆発しているようなんだ、娘。たちが娘。で居る事の喜びも悲しみも乙女で居る喜びも悲しみも泣かずに涙をながさずに肉体と歌声で泣いているんだ娘。たちの産声のようにただどこまでも澄んで響く涙の音で、絵里ちゃんの胸が飛び散るように揺れてしまうとき、愛ちゃんの美しい顔が最期の痙攣のように恐ろしく絶叫するとき、ガキさんが一人で絶叫するときガキさんはまるで俺の産みの親ではないママになってしまうガキさんはあの瞬間すべてを許してしまうんだ、俺達が娘。に出会っちまった事もこんなに身勝手に愛してしまう事も、娘。で居る事も失ってしまった乙女のすべての時間もガキさんはガキさんを許すすべてをすべてを、俺には讃美歌なんだ、れいなちゃんと愛ちゃんが互いに引き寄せられながら互いの周りを軌道するとき、俺にはすべてが息を吹き返す瞬間の音なんだその運動なんだ、今まさに目のまえで乙女が誕生するその運動なんだ、娘。たちが暴れながらキスしてるんだ、娘。たちが誰かに抱かれているんだ、娘。たちが草原を駆けているんだ、すべての風景が、絵里ちゃんがはじめて公園で転んでしまって血を流してしまった膝の傷も踊ってるんだ、絵里ちゃんのすべてがこの地上のあらゆる絶対的な横暴の摂理から逃げ出せているんだ、それでも絵里ちゃんを覆い尽くすあらゆる自然の力学を絵里ちゃんは覚悟を持って受け入れるんだ、そういう踊りなんだ、そういう躍動なんだ、さゆちゃんのダンゴムシを撫でた優しい指先が空間を裂きながら優しく撫でるんだ、さゆちゃんの暴れ咲いて広がる髪に隣で踊る娘。たちの大事な瞬間がぶつかる、さゆは思うだろう、隣の愛ちゃんの瞳を見てまるでかわいい妹のようだと、さゆはそうして愛ちゃんに唇を寄せる、それは純粋なキッスだ、愛する者を愛する者が抱きしめる事のような仕草なんだ、涙ッチを踊る娘。たちの運動はその肉体の動きなんだ、ダンスだなんて呼ばせない誰にもそんな失礼なことは言わせない呼ばないぜ呼べないよ呼ばないよもっとずっと原始で花火分裂で誘発してゆく運動なんだ、娘。たちによる禁断のおいたなんだ、この子たちにはブザが或る、この子たちには美しさがある、この子たちには残酷さがある、この子たちには優しさがある、涙ッチのなかには乙女のすべてが有る、乙女の感情が娘。の感情が四方に散らばりながらまた中心に戻ってくる、重量との正当な戦いと無重力に寝取られる身体のいけない遊び、互いの身体に触れ合あって距離を無くすだろ、瞳をもって互いのなかに侵入してしまうんだ、それでも叫びとともにまた互いの手を放す、出会って別れて、はだけるネルシャツが彼女たちの心をずっと近くに連れ出してみせたとき、ああ、肉体の骨格に肉がなついて関節に流動が落雷して肉体が暴れるだと????ダイナミック?????くだらねぇえええええくだらねぇえええええええんだよすべての法則に逆らってるんだよ決まりきった凌駕できないはずの固定観念を君臨する肉体運動の感情のすべての領域を娘。たちは絶対の花の暴力で超えちまう、涙ッチは娘。という運動そのものだ、その躍動だ、鼓動だ。。。。陽を遮る帽子にネルシャツの娘。たちがまだうさぎの耳とふわふわのピンクとホワイトに包まれてやってきた頃へ、狼の遠吠えまで遡れ、Moonlight nightへ、

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Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!