2010年5月26日水曜日

5/26

やはり彼女の近年の写真集のタイトルの忌々しさと闘う事は私の使命であるし、その事に気づいている彼女を愛する者など私以外に存在するはずもないのだ。
そもそも、最大の敵であるのは彼女であると言ってもいい。
こうした写真集やなんかの時の彼女は、彼女にあまりにも無頓着なのだ。
その無頓着さが彼女である事に間違いはないがしかし、その事と彼女の表現との聖戦の領域とはまた話が違う。
彼女の新写真集の題名は「形」であるが、帯には言葉が添えられている。

「形のないものこそ、どんな形にも彩れる」

これを発案した人物だけが敵だとは到底私には思えないが、彼女は確かにこの題名に頷いたはずなのだ。
私にはそれが許せない。
こんなあからさまな間違いをどうせ周りの30代か40代の文明消火未満の知的不能者の熱弁のなかで鵜呑みにしたのだろう。「馬鹿な女」だ。

芸術という胎児のなかに未だにくるまり、そこにおまえを連れ込むような男共の言うことなど聞かなくても良いのだ。

私の試みている「この行為」そのものはけして彼女の味方ではないという事だけはここにしっかりと宣言しておくが、しかし、私のこの行為ほどに彼女を愛している行為など存在しいないはずだ。

こうした写真集では彼女自身はほとんど彼女の美しさについて無知でありつづけ、
彼女を見つけ、彼女になにかを語り、彼女を撮り、彼女に指示し、彼女に教授する周りの存在も間違ってる。

その事と戦えるのは私だけなのだ。

ブログ アーカイブ

自己紹介

Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!