2010年8月9日月曜日

夜空柄のワンピース

自分は今年の夏もいわゆる火薬どもが咲き腫れる打ち上げ花火を遠くからも真上からも横からも真下からも花火の中からも見る事など無い事でしょうし火薬風情の打ち上げ花火は見ない瞬間がいちばん美しいとまで思っているのであまり悲しみも湧き起こらないのですがそれは自分が火薬風情の花火や植物風情の花などの美しさにはとっくに絶望しきってなにもなにも感化されないし喜びも悲しみも覚える事ができないのだから見れなくても見れても同じ事だ、我慢できるどころかその方がいい打ち上げ花火も夏も花もなにもいらない。けれど、もしも乙女の打ち上げ花火や乙女の花を見れなくなるんだったら自分なんて死んでしまった方がましだ。ステージ上の娘。たちは俺にとっては乙女花火でした、とっても綺麗で愛しくて鎮火しない躍動でずっと爆発していた、でも、打ち上げ花火みたいに下品で大袈裟な一瞬の大爆発によって乙女の生死を彷徨うようなそんなはしたないダンスではけしてなかった、その事が、その事が、この世界のなによりも美しく思えた、だからこそ僕は8/8の娘。たちの、この夏の娘。たちの乙女リアルタイムダンスに心底泣いた、今の娘。たちのダンスはせんこう花火の爆発のようだった、娘。たちのダンスの領域、娘。たちが出現するまでの若く本当に若く産まれたてのような肉体や、長い手足をばたつかせるバンビの弾ける躍動で歌ったり踊ったりしてるハロプロの年下の女の子たちも素晴らしかった、けれど、青春コレクションで現れた娘。たちのダンスの運動は空に向かっても地面に向かっても花火爆発していなかった、ただ存在の方へ乙女の方へ自分の方へ、もう何者にも変貌しない事の美しさが、その美しさに息をのんだ、ただ静かに強く穏やかに強烈に、娘。たちのなにかが剥き出しになってしまっていた、娘。たちのダンスが乙女運動の裸だった、もはや彼女たちは娘。でいるその運動以外に肉体の所作の肉体のダンスの着飾りを放棄していた、あれは、あれは、娘。たちの裸のダンスだ、剥き出しのダンスだ、裸って肉体の状態は水平線も継ぎ接ぎも断絶もないひとつの存在そのものだ、四肢も頭も胴体もそのすべての地面が産毛で繋がっているように、青春コレクションを娘。たちがダンスしているとき、娘。たちの躍動は娘。と乙女と一瞬も離れていなかった、すべてがただながれる川のように娘。の力がながれていた、娘。たちは自分たちが踊ったり歌ったりする瞬間だけでなく、ひな壇と呼ばれる椅子のステージに座りながら踊ったりただ手を叩いたりお喋りをしていたりしていた、他の女の子たちのパフォーマンスを見ては踊っている娘。もとびっきりにかわいかったので自分はずっと娘。たちの仕草を見ていました、

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Dear Morning Musume。 君のキャワキャワをキャッチだぜ!